のは18時12分20秒のことです。それから12分22秒後の
18時24分42秒にJAL123便の機長は「スコーク77」
を宣言します。その間に何があったのでしようか。
これについて、角田四郎氏は、非常に意欲的で有意義な試みを
行っています。それは、ボイスレコーダーの記録に加えて、傍証
のある「推定」と傍証のない「想像」、さらに生存者の「証言」
を加えて、JAL123便のコックピットと機内および東京進入
管制(羽田)と東京管制(所沢)のやり取りを再現したのです。
とくに何も断っていないのは、ボイスレコーダーの記録です。対
話者は、C「機長」、O「副操縦士」、F(副操縦士)、S(ス
チュワーデス)を表しています。
JAL123便が、18時18分33秒に東京管制から、シー
パーチ直行の許可をもらった後から、「スコーク77」までのや
り取りを角田四郎氏の本から転載します。
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◎18分33秒:(東京管制)日航123便、現在位置からシー
パーチ(非義務位置通過点)に直行することを許可する。
◎18分38秒:了解、現在位置から直行する。
「推定」ベルトサイン、オフ。スチュワーデスは、子供客にサ
マーキャンペーンのぬいぐるみ人形を配り始める。小川哲夫氏
は右通路より機外を撮影。高度1500フィート。
◎22分頃:「証言」川上慶子さん、咲子ちゃん、スチュワーデ
スから人形をもらう。落合由美さん雑誌を読む。「推定」高度
20000フィートに達す。
◎23分頃:「想像」(O)機長!前方右45度に不明機発見。
(C)どこだ!なんだあれ!調べて、早く。(O)はい。
◎23分頃:(C)距離は?近いの、小さいの。(O)小さいで
すね。何でしょうあれ!(F)わかりません。
◎23分頃:(F)あー!こっちに近づいてきますよ。(C)ベ
ルト・オン!(F)はい。(C)なんだ、あいつ!調べて。レ
ーダー?
◎23分××秒:ピン・ポーン(音)。(S)ただいまベルトサ
インがつきました。もう一度ベルトをして下さいませ。
(客)すみません、トイレに急いで行きたいですが、ダメです
か。(S)ちょっとお待ちください。
◎24分10秒:「想像」(F)はい、なんですか。(S)お客
様でトイレに行き・・・・。(F)レーダーには映りません。
(C)なんなの、調べて、よく見て!(O)はい。
◎24分12秒:(S)・・たいとおっしゃる方がいらっしゃる
んですが、よろしいでしょうか。
◎24分15秒:(O)気をつけて。(F)じゃ気をつけてお願
いします。(O)手早く。(F)気をつけてください。(S)
はい、ありがとうございます。
「想像」操縦室全員、緊張して前方を凝視。正体不明の小型飛
行物体は、右10度に接近中、高度約23000フィートと日
航機とほぼ同じ。進行方向、西南西。速度不明。ぐんぐん近く
なる。
◎24分34秒:ドーン、ビー・ビー・ビー。
◎24分38秒:「想像」(F)だめ!やられた。
◎24分39秒:「想像」(C)なんかわかったの?なんか、あ
たったぞ?
◎24分42秒:(C)スコーク77
──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
/このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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ひとつのポイントは、羽田空港離陸後、どこでベルトサインが
オフになったかです。通常離陸後8分〜10分で消えるのが正常
です。ボイスレコーダー(筆記録)上では確認できないのです。
角田氏がベルトサインオフを18分38秒頃と推定したのは、
生存者の川上慶子さん(当時12歳)の証言で、スチュワーデス
から、ぬいぐるみをもらったのが、そのぐらいの時間だったから
です。当然のことですが、スチュワーデスがサービスをはじめる
のは、ベルトサインがオフになってからです。
このとき、川上慶子さんは、母親に妹のもらった人形の方がい
いといったところ、母親にたしなめられたといっています。その
約5分後の23分になって、ベルト・オンになっています。コッ
クピットでは、正体不明の飛翔体が123便に迫ってくるのを発
見し、ベルト・オンのサインを出しています。機長は、衝突の危
険を察知して、事前にベルト・オンを指示したのです。もし、垂
直尾翼破壊の原因が、急減圧による後部圧力隔壁破壊であるとす
るならば、機長が事前にそれに気がついて、ベルト・オンのサイ
ンは出せないはずです。したがって、事故の原因は内部説ではな
く、外部説にならざるを得ないのです。
上記のやり取りは、いくつかの「想像」や「推定」部分を含む
とはいえ、矛盾なく、ぴったりと収まっており、外部説──謎の
飛翔体の衝突による垂直尾翼破壊説を説得力を持って裏づけるも
のです。ここに事故調が、生のボイスレコーダーを最後まで公開
せず、筆記録しか公開しなかった理由があります。おそらく音声
による生のボイスレコーダーを公開すると、そこに誰でも外部説
を裏づける決定的な証拠が収録されているからでしょう。だから
こそ、ボイスレコーダーを筆記録にしたのです。
筆記録であれば、都合の悪い部分は自由にカットできますし、
音の高さとか、衝撃さとか、声の調子などから感じとることがで
きる緊迫感などを誤魔化すことができるからです。それに、おそ
らく事故の関係者ではない一般の人々は、ボイスレコーダーがま
だ公開されておらず、事故調の作成した筆記録に過ぎないことを
知らないと思います。その生のボイスレコーダーは、現在日航が
保管しているはずです。なぜ、公開しないのでしょうか。
──[日航機123便墜落の真相/016]
≪画像および関連情報≫
●日航機事故から29年・フジテレビ特番を見て/2014
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単独機の事故としては世界最悪の520人が犠牲となった
1985年8月のJAL123便便墜落事故から29年が経
過した(2014年の記事)。月日の流れの速さを改めて感
じるが、私の脳裏に焼き付いたあのむごたらしい酷暑の夏の
記憶は今なお決して薄れることはない。「御巣鷹の尾根」は
今なお私、そして安全問題研究会の原点だ。
ところで、今年の8月12日は、いつもの年と少しばかり
違った。フジテレビ系列の全国放送として、特別番組「8・
12、日航機墜落30回目の夏〜生存者が今明かす“32分
間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”」が放送された
からだ。(中略)
だが、同時に私は、事故というより「事件」と呼ぶほうが
適切かもしれない「御巣鷹の真相」は、おそらくこの番組で
も明かされることはないだろうと思っていた。なにより30
年近い歳月は短いようで長い。当時を知る関係者も少なくな
り、遺族ですら高齢化で険しい御巣鷹の尾根への慰霊登山を
断念する人が毎年増え続ける現実がある。今頃になって新事
実が飛び出すくらいなら、とっくの昔に出ていて不思議はな
いし、圧力隔壁崩壊説に疑問を抱く人なんて、日本全国に今
なお数万人単位で存在する。
ミサイル撃墜説、自衛隊「無人標的機」衝突説を初めとし
て、この間、ありとあらゆる言説が流されてきた。この事故
のことを卒業論文のテーマにしようと考えた学生が教授に相
談したところ「君の命が危ない。悪いことは言わないからや
めなさい」と言われた。 https://bit.ly/2NP6obc
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垂直尾翼がなくなったJAL123便
A, 始めの角田著から引用された仮説は、推定または想像で記されている部分の根拠が示されていないのは不満ですが、大筋では同意できます。
B, 末尾の部分で、「この事故のことを卒業論文のテーマにしようと考えた学生が教授に相談したところ「君の命が危ない。悪いことは言わないからやめなさい」と言われた。」と記されています。
これは青山著に載っている話ですが、奇妙な話です。
池田昌昭氏も青山透子氏も、多数の著書を出されていますが、命を狙われてはいません。
仮に、この教授の話が本当なら、「池田著や青山著は明らかに虚構だから命の心配はないが、真相に近づくと命が危ない」という意味になり、そんな話を紹介するのは不可解です。
池田氏や青山氏以外にも、多くの人が日航123便墜落を扱った著作を出して真相を訴えているが、彼らも命を狙われていないのは、彼らの著作が全て虚構だと言いたいのでしょうか?
この話は、自分は危険を冒して著述をしているという、自己宣伝のための作り話、という印象を受けます。
2023,10,7−1 鷹富士成夢