2018年09月04日

●「ボイスレコーダーなぜ公開しない」(EJ第4842号)

 航空機事故の原因究明において重要な証拠物件になるのは「ブ
ラックボックス」です。ところで、「ブラックボックス」とは何
でしょうか。
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 ブラックボックス(CVFDR) =
 コックピットボイスレコーダー(CVR) + フライトデ
 ーターレコーダー(FDR)
─────────────────────────────
 2つのレコーダーのうち、フライトデーターレコーダーは、搭
載されている航空機の電子システムに送信された命令を記録する
電子機器であり、これを分析することにより、墜落直前に航空機
がどのようなフライトをしていたかがわかります。
 もうひとつのレコーダーで、通称ボイスレコーダーと呼ばれる
ものは、正しくは、コックピットボイスレコーダーといいます。
墜落直前の30分間のコックピット内の機長、副操縦士、航空機
関士の会話や物音がすべて録音されています。
 したがって、これら2つのレコーダーのことをブラックボック
スというほか、「CVFDR」と呼ぶこともあります。とくに、
ボイスレコーダーは墜落直前の肉声なので、事故原因究明のカギ
を握る重要な証拠になります。
 しかし、JAL123便墜落事故の場合、いわゆる生のボイス
レコーダーは、事故調や裁判所は聞いていますが、新聞各紙や週
刊誌、それに関連書籍などに出ているコックピット内でのやり取
りは「筆記録」なのです。つまり、事故調の誰かが「音」を「文
字」に直し、それを公開しています。
 したがって、事故調にとって、都合の悪い部分は、カットでき
ますし、表現を改ざんすることも可能です。機内の衝撃音につい
ても「ドドーン」なのか「ドーン」なのか「パーン」なのか、文
字にすると印象も変わるのです。したがって、関係者は事故調に
対して何回も生のテープの公開を求めましたが、事故調は頑なに
これを拒み、最後まで公開拒否を貫いたのです。
 しかもその筆記録についても、事故調の3回の報告のそれぞれ
において少しずつ表現が違っています。言葉のやり取り以外の音
もテープには収録されているはずですが、筆記録には書かれてい
ないのです。事故調はなぜ公開しないのでしょうか。
 この墜落事件について1988年12月1日に群馬県警は、日
本航空12名、運輸省4名、ボーイング社4名、合計20人を書
類送検しましたが、1989年、20人全員不起訴処分が決まっ
ています。それを受けて、事故調はボイスレコーダーの生テープ
を日本航空に返還しています。したがって、現在JAL123便
墜落事故のブラックボックスは、日本航空の管理下にあります。
それなら、なぜ、公開しないのでしょうか。
 しかし、今度はその日航が生テープの公開を拒んでいます。こ
れについて、一部の遺族による技術会のセミナーで、ゲストとし
て講演をしたことのある現役の日航のパイロットのN・S氏は、
123便のボイスレコーダーの生テープについて次のように述べ
ています。これは青山透子氏が要約したものです。
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 乗員側も生のボイスレコーダーの公開について事故調査委員会
に何度も要求してきたが、警察による調査中という理由で、だめ
だった。その後、不起訴が成立したので、生のデータが日航に返
却された。事故調査委貝会のほうからは、刑事事件は不起訴決定
となったため、残骸も日航に返却したし、当委員会とは関係ない
警察の捜査も関係ないので公開するしないは日航の一存です、と
言われた。そこで、会社の判断で公開できるのだから、公開して
ほしいという要請をしたところ、今度はご遺族の手前もあって公
開する訳にはいかないという返事であった。日航は過去の事故時
などは、逆に事故原因を究明するためといって、現場の乗員にボ
イスレコーダー、生のテープを聞かせている。そしてこれは何と
言っているのか、というように原因究明に役立ててきた。それと
比較しても、今回の日航123便墜落については一切聞かせよう
としない。私ども日本航空の機長、副操縦士、航空機関士、あら
ゆる乗員が一緒になつて、真の事故原因を究明しよう、この報告
書はどうも真実じゃない、とオファーをしたのだが、それでも会
社側は一切応じずに逃げている。       ──青山透子著
   『日航123便墜落/遺物は真相を語る』/河出書房新社
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 不思議な話です。事故から33年も経過しているのに、日航は
ボイスレコーダーのテープをなぜ公開しないのでしょうか。一体
何を隠そうとしているのでしょうか。テープを公開すると、事故
調の調査の正当性を否定することになるのでしょうか。それなら
今後のために、ぜひ公開していただきたいものです。
 多くの人は、ボイスレコーダーが筆記録でしか公開されていな
いという事実を知らないと思います。今後二度とこのような事故
を起こさないためにも日航は公開すべきです。これについて、青
山透子氏は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 1985年以降に日本航空に入社した者が9割以上となつた今
あの時の凄惨な日々を実際に経験した人間はほとんどいない。今
年就任した社長も入社2年前の出来事であり、日航に入社すら決
まっていない時期である。その中で「ご遺族への真撃な対応」を
心がけることは大切であるが、その配慮がボイスレコーダーを聞
かせないということにはつながらない。亡くなった人の中には自
分たちの仲間であった15名も含まれており、自責の念から自殺
した社員がいたことも忘れてはならない。だからといって、身内
をかばうがごとくの見方をしているのではなく、万が一、違う事
故原因であったならば、520名の無念はどうなるのだろうかと
いう思いからの追跡なのである。 ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/012]

≪画像および関連情報≫
 ●謎のJAL123ボイスレコーダーは偽装されている
  ───────────────────────────
   過去の航空機事故で、離陸直後や着陸時の事故では生存者
  がいるが、飛行中からの墜落では生存者は一人もいない。生
  存者がいたということは123便は不時着したのだ。日本航
  空123便は4名の生存者が出て、生存者の証言では事故直
  後には他にも多数の生存者がいたという。
   8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多野
  郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を発
  見したのは翌13日の4時で救出が始ったのが8時すぎ。
   1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC−
  130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉は、同機
  が事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から飛び立っ
  た救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政府が
  この救難作業を断ったことを証言している。
   この元在日アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合
  由美さんの手記とも符合する。何故、撃墜されたか・・・・
  いろいろな説があるのですが・・・政府としては墜落事故を
  装い、誰かを殺したかったことは明白なのです。それを書き
  出すときりがないのでここでは記載しませんが・・・。
   日本航空123便の航空機事故は事故原因の矛盾点に目が
  行きがちだが、生存者がいたことや秘密の筈のボイスレコー
  ダーか意図的に公開という事実からこの事故を分析するべき
  であろう。           https://bit.ly/2wBLsgy
  ───────────────────────────

航空機のブラックボックス.jpg
航空機のブラックボックス
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

「民の父母」
http://hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-bed6.html

「民の父母」

上杉鷹山公17歳で米沢藩主となったとき春日神社に血判とともに奉納した和歌。

受け継ぎて国の司となれる身の
忘るまじきは民の父母


仏教聖典より
大薩遮尼犍子所説経

 王たるものの勤めは、民を守ることにある。
王は民の父母であり、
教え(すなわち仏法)によって民を守るからである。
民を養うことは、父母が赤子を養うようなもので、
父母が赤子のことばを待たず、湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、
いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。
まことに王は、民をもって国の宝とする。
これは、
民が安らかでなければ政道が立たないからである。
 だから、
王たるものは、民を憂えてしばらくも心を離さない。
民の苦楽を察し、
民の繁栄をはかり、
そのためには
常に水を知り、風、雨を知り、
実りの善悪を知り、
日照りを知り、
民の憂いと喜びを知り、
罪の有無と軽重、

功績の有無などをよく知って、
賞罰の道を明らかにする。
 このように民の心を知って、
与えなければならないものは時をはかって与え、
取るべきものはよく量って取り、
民の利を奪わないよう、

よく税を軽くして
民を安らかにする。


 王は力と権威によって

民を守り、

このようにして

民の心になって

民をよく見守るものが

王と呼ばれる。


====================


平成30年9月3日(月)
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/209.html#c25
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/194.html#c30


戦後日本政府による沖縄県民へのパワハラいじめに対抗する、
沖縄県民の父母たる知事の親心が書かせた無刀流出師の表。↓
http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-802.html

玉城デニー氏の出馬宣言を読んで孔明以来の世にも見事な
無刀流出師の表であると感嘆しましたので
長周新聞の記事から全文転記します。
http://www.chosyu-journal.jp/shakai/9124

◇玉城デニー氏の決意表明(全文)


 本日、ここに

沖縄県知事選出馬への決意を表明したい。

期せずして県知事選が早まることとなり、

今私自身がここにみずからの意志を示すことの意味を重く深く考えている。


 沖縄が歩んできた、歩まされてきた道は厳しく、険しいものだった。

この島に生まれた1人のウチナーンチュとして、

先人たちの血と汗がにじむこの島の太陽と風を身体いっぱいに受けて育った者として、

今たじろがずに前を向いて踏み出すときがきたことをしっかりと受け止めている。


 なによりこの決意が県民とともにあるものと確信している。

「ウチナーンチュが心一つにしてたたかうときには、想像よりもはるかに大きな力になる」

−−8月11日に奥武山陸上競技場で開かれた県民大会で、

翁長雄治さんは父である翁長雄志県知事がくり返し語った言葉を紹介してくれた。

県民が心を一つにすることを深く望み、

県民が持つ力を誰よりも信じ、

揺らぐことのないみずからの決意が、

いつも県民とともにあることを

最期の瞬間まで命懸けで私たちに発信し続けた知事の強さ、

その思いは、県民の胸の奥に、確かに、

静かに刻まれている。

この知事の強さ、優しさ、沖縄への愛情は、

ここにいる私の背中を押し、

決意と覚悟をもたらしてくれていると感じている。


 その一方で、

知事が誰よりも望んでいた「心を一つにする」ことへの

心ない攻撃があることを強く指摘しなければならない。

それは民意を、

地方自治を

踏みにじる形で

辺野古基地建設を強行するこの国の姿だ。

県の再三の指導にも従わず、

既成事実を積み上げることで県民の諦めを狙い、

一方で基地と沖縄振興をあえて絡ませて揺さぶり、

県民の中に対立と分断を持ち込もうとする。

法令解釈を都合よく変えて、

手続きを踏み倒すことに腐心する国のやり方は

法治国家といえるのだろうか。

故郷の海を守ろうと声を上げる人々を

実力で排除するやり方は、

果たして民主主義の姿なのだろうか。


 しかし、

これら政府が作り出す印象操作に

私たち県民はひるむことなく団結し

一つ一つ

乗りこえてきた。

最新の世論調査において、

辺野古移設を「不支持」とする人たちが全国で44%にのぼり、

「支持」を上回った。

保守政治家であった翁長知事が、

みずから先頭に立って、

沖縄の過重な基地負担のありようを国民に問い、

全国知事会で日米地位協定の不平等を知らせ、

この先何十年もこれで良いのかと、

主権国家としてこれで良いのかと、

この国はこれで良いのかと、

発信し続けてきたことがやっと

浸透し始めてきたのではないかと思う。

政権の冷ややかな仕打ちに直面しようとも

たじろがず、

ウチナーンチュの誇りを持って臨んだ、

その知事の勇気と行動が、少しずつ

国民の関心を呼び覚ましている。

数の力を頼みにした、そんな

政権の手法が次第にほころびつつあることを、

国民、有権者は気付き始めている。

今回の世論調査に、その意識の表れを

共感として私たちも感じとることができる。


 その中において、

知事の最たる遺志であり、手続きの中にある

「埋め立て承認の撤回」を、

私、玉城デニーは全面的に

支持していく。

行政判断を待つ中ではあるが、

来る県政において、

私はしっかりと翁長知事の遺志を引き継ぎ、

辺野古新基地建設阻止を貫徹する立場であることを

ここに表明する。

やりたい放題に飛ぶヘリの下で、

子どもたちは怯えながら授業し、

校庭につくったシェルターに避難させられている。

そんな日常の風景を放置することは、

もはや許されない。

「いい正月を迎えられる」といって埋め立て承認をした仲井真弘多元知事に

政府が約束した「普天間基地の運用停止」は、

来年2月で「5年の期限」を迎える。


 これまで何ら実効性あるとりくみを示さず、

あげく返還が進まない責任を翁長知事になすりつける。

「世界一危険」と認めながら、その

危険を放置し続けているのは、

いったい誰なのか。

こんな「政治の堕落」を認めて良いはずがない。

1日でも1秒でも速やかに

普天間飛行場を閉鎖し、

返還をなすよう

国に強く要求する。

 次の知事は、

その任期中に復帰50年を迎えることになる。

新しい沖縄の姿を、どうやって

県知事選挙でしっかりと県民の皆さんに示していける
か。

従来の東京とのパイプを強調した時代から、

沖縄の存在感と可能性は、

今や格段に上がっている。

アジアをはじめ世界に開かれた沖縄へと力強く羽ばたいている。

翁長知事は、

21世紀ビジョン、

アジア経済戦略構想を

強力に推進した。

遠い目標と思われた観光客数はもう1000万人を目の前にしている。

国税への沖縄の貢献は3000億円をこえている。

また、

子どもの貧困対策は、

翁長県政が柱として肝いりで進めた政策だった。

全国初の実態調査を実施し、

子どもたちをとりまく困難さを具体的に把握できたことで、

官民あげてのとりくみが格段に広がった。

 「県民の生活が第一」

この言葉は、私の政治活動における最も大事な理念であり、

「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉は、

翁長知事から受け継いだ大切な理念だ。

私は、

子どもや女性、若い人たちにうんと

力を注いでいきたいと思う。

人材育成にも力を入れたい。

沖縄で育まれた文化を、芸能を、

世界へ向けてもっともっと発信したい。

地元の企業を大切にし、

働く皆さんの笑顔を増やし、

ユイマール(相互扶助)の精神で

自立と共生の沖縄を目指していく。

「翁長カラー」に「デニーカラー」をプラスしながら、

すべての県民が、

自分の夢を持てるよう、

その方向性を支えていけるよう、

みなさんと協力して政策を練り上げていく。

今、

翁長知事の政策を点検している段階だ。

私の思いと、

県民が求めている政治への思いを

そこへ結んで、

皆さんとともに歩いていければと思っている。

 この

かけがえのない島の未来を、

誰でもなく自分たちの手でつくりだしていく。

生まれてくる子どもたち、

明日を担う若者たちに、

平和で真に豊かな沖縄、

誇りある沖縄、

「新時代・沖縄」を

託せるよう

全力疾走で頑張る。

(平成30年8月29日 玉城デニー氏出馬宣言於那覇市)

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平成30年9月3日 豊岳正彦記す

拈華微笑 南無父母無二佛

goo.ne.jp/ikariyax/e/6f0306c96e29b385b64aa653d6507b25?st=0#comment-form
Posted by 豊岳正彦 at 2018年09月04日 11:30
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