2018年09月03日

●「垂直尾翼は外から破壊されている」(EJ第4841号)

 JAL123便が墜落した直接的原因は、垂直尾翼が破壊され
たことにあります。1971年7月30日に、岩手県雫石町上空
で、乗客乗員162人を乗せた千歳発羽田行き全日空ボーイング
727機に、訓練飛行中の航空自衛隊のジェット戦闘機が衝突、
全日空機は垂直尾翼を破壊され、空中分解して墜落、乗客乗員全
員が死亡するという痛ましい事故が起きています。
 自衛隊機のパイロットについては、パラシュートで脱出して無
事でしたが、このときも垂直尾翼をやられているのです。このよ
うに、垂直尾翼が破壊されると、航空機にとってはそれが致命傷
になってしまうのです。
 この事故は、すべての責任は自衛隊側にあるとして決着がつい
ていますが、実は、この雫石事故にも重大な疑惑があるのです。
それは、雫石事故とJAL123便事故には共通性があるからで
すが、これについては改めて述べます。
 問題は垂直尾翼が何によって破壊されたかです。これには、次
の2つがあります。
─────────────────────────────
     1.内部からの力で破壊 ・・・ 内部説
     2.外部からの力で破壊 ・・・ 外部説
─────────────────────────────
 ここまで「内部説」で検証してきています。事故調は内部説に
立脚し、後部圧力隔壁の破壊によって垂直尾翼が破壊されたとい
う「隔壁破壊説」を主張し、裁判などではこれで乗り切っていま
す。あくまで隔壁破壊説が原因であり、他の説については、「理
論的根拠なし」や「推論に過ぎない」として退け、とくに外部説
については問答無用で「陰謀論」と極め付けています。
 しかし、隔壁破壊説は、ここまで検討してきただけでもわかる
ように、明らかに説得力を欠いています。どう考えても、主張に
無理があります。ところが、「何かによって垂直尾翼が破壊され
た」という外部説に立つと、誰もが納得できるのです。雫石事故
の場合は、航空自衛隊のジェット戦闘機が、ニアミスによって、
全日空ボーイング727機の尾翼に接触し、垂直尾翼を破壊した
のです。これによって、後部圧力隔壁が壊れ、それが727機内
に急減圧による突風をもたらし、727機は空中分解して墜落し
たのです。
 それにしても14年前に雫石事故という垂直尾翼破壊の航空機
事故という格好のケースがあるのに、JAL123便事故のとき
に事故調はこのケースを無視しています。何が何でも外部説は考
えたくなかったものと思われます。
 これにもっとも近い説を唱えているのは、航空専門家の内藤一
郎氏です。内藤氏は、京都大学工学部航空学科を卒業し、その後
航空大学の教官をしている操縦歴40年のベテランです。その内
藤氏は、垂直尾翼破壊の原因について次のように述べています。
─────────────────────────────
 隔壁犯人説は原因と結果を取り違えていると思います。私は逆
に何かの衝撃でまず垂直尾翼がやられ、その衝撃で隔壁がやられ
たと判断しています。尾翼が隔壁破裂の衝撃波でもぎとられるな
んてありえません。
 いいですか、高度2万4千フィートの外は、0・4気圧です。
機内は0・8気圧程度でしょう。これは高度3千メートルに相当
します。そこで穴があいても、そもそも空気はどんなに速くても
音速(マッハ)以下でしか流れないもんなんです。それに0・8
が噴き出しても、一瞬のうちに圧力は0・6ぐらいに下がってし
まいますから、その衝撃はさらに弱まります。超音速の衝撃波な
んてとんでもありませんよ。(中略)
 隔壁が破れて、機体尾部に空気が充満してその圧力に耐え切れ
ずに垂直尾翼が分解したというのも、機体の尾部には空気が逃げ
出す穴(点検用ドア)がちゃんとついていますから、ありえない
ことです。  ──『週刊新潮』1985年10月10日号より
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 ちょうど同じ時期に、『週刊朝日』は、ボーイング社に対して
次のような電話取材を行っています。
─────────────────────────────
──日本では、後部の圧力隔壁が破壊され、そのために垂直尾翼
 が壊れたという説があるが、そちらはどうみているのですか。
ボ社:その説は、間もなく撤回されたのではないですか。
──そんなことはありません。
ボ社:(前略)私は、2、3日前にその説は、ひっ込められたと
 思っています。日航に当たってください。彼ら(日航)は、そ
 の可能性はないと見放したはずだが。
──圧力隔壁破壊説が強まってきた17日「ボーイング社の調査
 団(訪日中の)が圧力隔壁の破片を調べたが、腐蝕や金属疲労
 の証拠は発見されなかった」と否定の談話がUPI共同通信で
 流れたが、そんなに早く断定できるものですか。
ボ社:彼ら(調査団)が隔壁の破片を調べたところ、「これ(隔
 壁)は衝撃(墜落時等の)によって折れたものと判断できる」
 といっている。 ──『週刊朝日』1085年9月6日号より
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 これは明らかにおかしいです。この時点で日航は、国内向けに
は「隔壁説が有力」と思える見解を出しているのに、ボーイング
社に対しては、これを否定する見解を話しています。明らかなダ
ブルスタンダードです。
 この『週刊朝日』が出た直後の1985年9月7日、「ニュー
ヨーク・タイムズ」紙はボーイング社の「修理ミスの自白声明」
を報道したのです。しかし、この修理ミスは、JAL123便の
事故の原因とは考えられないと述べています。
         ──[日航機123便墜落の真相/011]

≪画像および関連情報≫
 ●全日空機雫石衝突事故/世界の航空事故史に残る大惨事
  ───────────────────────────
   世界の航空機事故史上に残る大惨事が起きたのは昭和46
  年7月30日午後2時すぎだった。事故を知る町民は異口同
  音にいう。「雲一つない、天気のいい、暑い日だった」
   岩手県雫石町の上空約8500メートルで、自衛隊機と札
  幌発羽田行きの全日空機が空中衝突し、旅客機の乗員7人と
  乗客155人の計162人が犠牲になった。
   自衛隊機は宮城県矢本町(現・東松島市)の航空自衛隊第
  1航空団松島派遣隊に所属するジェット戦闘機F86F。操
  縦桿(かん)を握っていたのは訓練生だった。
   教官機と2機編隊で訓練中に、全日空機と空中衝突、ボー
  イング727型機は空中分解した。自衛隊機の訓練生はパラ
  シュートで脱出した。轟音(ごうおん)は東に20キロ以上
  も離れている盛岡市の中心部にまで鳴り響いた。当初は自衛
  隊機の単独事故と思われていた。町役場近くの水田で自衛隊
  機の残骸が発見され、パラシュートで降下する訓練生の姿も
  町内で確認されていたからだ。ところが、事故から間もなく
  自衛隊機と民間旅客機が空中衝突したという衝撃的なテレビ
  ニュースが流れた。町役場の対策本部は騒然となった。町民
  の多くから、飛行機の破片らしき無数の金属片がキラキラと
  光りながら落下していたという目撃情報が寄せられた。午後
  3時すぎ、飛び込んできた町役場の南東約4キロの岩名目沢
  で「複数の遺体発見」の報に対策本部は一瞬、凍り付いた。
                  https://bit.ly/2BY2fjI
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雫石全日空機事故.jpg
雫石全日空機事故
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平野浩様

A, 冒頭に、雫石衝突事故について、「全日空機は垂直尾翼を破壊され、空中分解して墜落」と記されていますが、
(ウィキペディアと「佐藤守著=自衛隊の犯罪」などによると)、全日空機のB727型機の垂直尾翼はT字型で、垂直尾翼の上端に水平尾翼が付いていました。
事故は、自衛隊機右主翼に全日空機の左水平尾翼が追突し、その水平尾翼が大きく損傷して機体制御が出来なくなって墜落に至ったもので、
墜落する過程で音速を超え、機体が衝撃に耐え切れず空中分解しています。
自衛隊機への追突の際に、全日空機の垂直尾翼が大きく破壊されたのではありません。
(事故当時、両機はほぼ同一方向に飛行し、自衛隊機よりも全日空機の方がやや速い速度で飛行し、全日空機が自衛隊機に追突した。)
また、雫石衝突事故は、人家の点在する地帯にあり、衝突直前から墜落する過程まで確実な目撃情報が多数得られています。
(目撃証言などから、全日空機が正規の飛行経路から西へ大きく外れていて、自衛隊の訓練空域に近づいていたことも確認されています。)

一方、日航123便(B747)の場合、垂直尾翼の大部分を失い油圧も失いましたが、水平尾翼は殆ど損傷を受けていません。
また、最も近い目撃情報は、衝突位置から10km以上離れた河津町で、衝突時から10数秒経っています。

さらに、B727のFDRとB747のDFDRはデータの精細度が大きく異なり、B727にはCVRの記録がなくB747のCVRは30分余が録音されています。

このように、日航123便事故と雫石衝突事故とは状況に差異が大きく、参照する意味はないと考えます。


B, これに続く項目で、「事故調は内部説に立脚し、後部圧力隔壁の破壊によって垂直尾翼が破壊されたという「隔壁破壊説」を主張し、裁判などではこれで乗り切っています。」と記されていますが、実際には裁判に至らず、不起訴になっています。

1989年11月22日に前橋地検が不起訴処分を決定し、米田著(P193)などによると、「8・12連絡会」に対して、決定理由の説明会が1990年7月17日に5時間にわたって開かれ、担当検事は、「事故調報告書の結論が疑わしいので起訴できない」、と説明しています。
検察自体には刑事事件として解析する能力がない(あるいは、捜査がゆるされない)ということもわかります。


              2023,10,5ー1      鷹富士成夢
Posted by 鷹富士成夢 at 2023年10月05日 15:01
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