2018年07月20日

●「ELIZAの名前の由来をさぐる」(EJ第4810号)

 いわゆる「チャットボット」は、人工知能ではなく、「人工無
能」と呼ばれています。要するにAIではないという意味です。
しかし、「人工無能」というと、何となくまがい物のイメージが
ありますが、けっしてそういうことではないのです。それはそれ
で十分人の役に立つからです。この場合、AIであるかないかは
問題ではないと思います。
 田方篤志氏が推進しようとしている「心を持つロボット」は、
人工無能を脱して、本物のAIを作り出そうとする動きととらえ
ることができます。それが本当に実現されるかどうかはともかく
チャットボットとは分けて考えるべきであると思います。
 さて、既に述べているように、人工無能、すなわち、「お喋り
ロボット」の元祖は、「イライザ/ELIZA」です。MITの
ジョセフ・ワイゼンバウム教授が、1964年から1966年に
かけて書いたプログラムで、精神療法に使われたといわれていま
す。このプログラム「イライザ」は、現在でも、英語でなら十分
会話ができるそうです。
 ところで、「イライザ」というと、何かを思い出しませんか。
有名な映画に登場する人物です。そうです。映画「マイ・フェア
・レディ」の主人公、イライザ・ドウリットルです。この映画は
原作はバーナード・ショーの「ピグマリオン」ですが、言語学者
であるヒギンズ博士(レックス・ハリソン)が、イライザ(オー
ドリー・ヘップバーン)のなまりのあるひどい言語の矯正を通し
て、彼女を博士の理想の淑女に仕立て上げていく物語です。言語
の修正ということが何もしゃべれないコンピュータに言葉を喋ら
せることによく似ていると思いませんか。
 実はこの映画の公開は1964年なのです。バイゼンバウム教
授がイライザのプログラムを書き始めた時期と一致しています。
映画のことをバイゼンバウム教授が知らないはずはなく、もしか
すると、映画を観たかしれません。確証はありませんが、対話プ
ログラム「イライザ」は、映画「マイ・フェア・レディ」からと
られたものではないでしょうか。
 対話プログラム「イライザ」についてもうひとつ付け加えてお
くことがあります。それは、「パリー/PARRY」というプロ
グラムについてです。パリーも対話プログラムであり、イライザ
と共に精神療法に使われたチャットボットです。
 1972年、バイゼンバウムと一緒に仕事をしていた精神科医
のケネス・コルビーが作成したプログラムです。パリーは、偏執
病的統合失調症患者をシミュレートしようとしたものといわれて
います。パリーは、コンピュータの性能も向上していたので、イ
ライザよりは対話の内容の質が向上していたといわれます。
 バイゼンバオムの「イライザ」と、コルビーの「パリー」に関
して、きわめて興味ある記述が、あるサイトに出ていたので、少
し長いですが、参考までにご紹介します。
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 当初ワイゼンバオムは、この単純極まりないELIZAの仕様
に皆落胆するであろうと想定した。しかし、それが誤りであるこ
とがユーザーによって示された。実際にはELIZAに知識も理
解力もないと知るユーザーですら、ELIZAに相談を持ちかけ
ようとしてきたのである。ELIZAと親密な関係を築こうとす
る者もいた。精神科医たちですら、ELIZAの名声を聞き付け
て、コンピュータ精神療法の可能性に興味を示し始めていた。
 ワイゼンバオムは、この周囲のELIZAへの好意的な反応を
観て、人工知能が人間と同程度のコミュニケーション能力を有し
ているという誤解を招いているのではないかと懸念した。さらに
バイゼンバオムは、ELIZAをめぐる周囲の反応から、人々の
文化的な価値観に揺らぎを与えてしまっているのではないかとも
懸念していた。
 これに対して、ワイゼンバオムと共同開発していたスタンフォ
ード大学の精神科医ケネス・コルビーは、コンピュータ精神療法
の有用性を重視していた。誰もが自分の抱えている問題を気兼ね
なく相談できるコンピュータ精神療法は人々のためになる。そこ
でコルビーはELIZAを機能的に拡張させた「SHRINK」
を精神療法に貢献するという問題設定の下で公開した。
 ワイゼンバオムとコルビーの見解の相違は、コンピュータは自
我が持てるか否かという問題に直結している。ワイゼンバオムに
とって、それはあり得ないことであった。ワイゼンバオムは、コ
ンピュータが「わかりました」と述べても、それは嘘や錯覚に過
ぎないと主張していた。一方コルビーによれば、コンピュータ精
神療法にはそうした哲学的・倫理的な問題は伴わない。と言うの
も、プログラムには自我があるからだ。コルビーによれば、その
その自我とはそのプログラムを設計したコルビー自身であった。
                  https://bit.ly/2O1n9Aa
─────────────────────────────
 ひとつわからないことがあります。それは、コルビーの「SH
RINK」と「PARRY」の関係です。おそらくSHRINK
の発展形がPARRYではないかと考えられます。
 興味があるのは、単なる対話プログラムに過ぎないイライザが
精神療法にかなり役立っているという事実です。それを誰よりも
驚いたのがワイゼンバオム自身であったという点です。それを見
ていた精神科医のコルビーが「これは使える」と考えても不思議
ではないのです。
 コルビーは脳はハードウェアで、行動はソフトウェアであると
考えています。彼は、精神疾患はソフトウェアの問題と考えたの
です。ソフトウェアにはエラーが付き物ですが、エラーはデバッ
クして、コードを再記述すれば正常化します。人間の場合は、そ
のエラーを言語を通じて、言語として外部化することが、求めら
れますが、精神状態の言語化は、情報処理と同じであると考えた
のです。情報処理を通じて、様々な目的に密接に関連した決定規
則の集合を備えた意思決定機構であると考えたのです。
          ──[次世代テクノロジー論U/054]

≪画像および関連情報≫
 ●初代会話ボット「ELIZA」がすごい理由
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   心理療法のうち、会話を中心的な手段として行われるもの
  を心理カウンセリングとも言う。カウンセリングとはもとも
  と「相談」を意味するもので、カウンセラーは高度な専門知
  識を基に相談者に対して適切な解決策を示すことで問題解決
  を援助するといった役割が求められる。しかし、心理カウン
  セリングでは対話を通じて相談者(クライエント)が自ら自
  己の問題に向き合い、主体的に問題を解決していけるよう導
  くことが求められる。中でも来談者中心療法では、カウンセ
  ラー側の知識の量や権威は不必要とされ、それよりも、クラ
  イエントに対する無条件の肯定的関心、共感的理解などをど
  う実現するかが重視される。
   したがって、何か新しいことを提案するのではなく、相手
  の話の繰り返し、感情の反射、明確化といった技術が必要に
  なる。この繰り返しや共感といった会話モデルは、会話の意
  味を把握できないコンピュータにも模倣させやすいものだっ
  たのである。
   ELIZAはセラピストとして実験的に導入されたが、コ
  ンピュータプログラムとの対話にハマる人が続出した。ジョ
  セフ・ワイゼンバウムは感情的に没頭する人々を見て衝撃を
  受け、開発者でありながらその後コンピュータの限界を論じ
  生身の人間や自然との対話こそが大切であり、コンピュータ
  を過信してはならないという主張を積極的にするようになっ
  た。ELIZAにハマった人たちの中には、対話の記録や対
  話中の様子をまるでプライバシーであるかのように隠すよう
  になったという。機械に実際に「心を持たせる」ことはまだ
  まだ先の難しい問題になりそうだが、人間が機械に「心を感
  じる」ことは案外簡単なことなのかもしれない。
                  https://bit.ly/29ONNdl
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イライザ・ドウリットル.jpg
イライザ・ドウリットル
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 次世代テクノロージ論U | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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