2007年06月27日

●「交付公債」という絶妙の智恵(EJ第2110号)

 金融危機に対応する自民党対策本部は、元首相宮澤喜一を本部
長にいただき、宮澤私案に沿った対策が進み出したのです。この
状況では、誰でも梶山構想ではなく、宮澤私案を中心として対策
が立てられる――そう考えていたはずです。
 しかし、最後の土壇場で橋本が大きく揺れたのです。衆議院予
算委員会の質疑で、橋本は当の宮澤元首相をひっぱり出して金融
危機解決の意欲を示したのが、1967年12月1日のこと。そ
の次の日の12月2日のことですが、橋本は梶山に次の電話を入
れているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 じっくり話を聞いて勉強したいので、官邸に来てもらえないだ
 ろうか。                  ――橋本首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本は急に考え方を変えたわけではないのです。橋本は11月
21日に沖縄に向かう特別機のなかで梶山から受け取ったレポー
ト――梶山構想について研究していたのです。
 橋本は首相秘書官の坂篤郎に梶山からもらったペーパーを渡し
検討を命じていたのです。坂首相秘書官は、大蔵省出身で中小金
融課長の経験もある金融のベテランだったのです。
 坂は梶山構想に関して「この内容は基本的には正しい」と橋本
に答えていたのです。その話を聞いた橋本は坂に梶山に「構想を
支持する」という旨の手紙を書かせ、そのうえで梶山を官邸に呼
んでいるのです。
 それからもうひとつ橋本は、ここで打ち出す金融危機政策を歴
史に残るものにしたいという野望を抱いていたのです。こういう
ところが橋本の橋本らしいところなのです。どんなときでも、パ
フォーマンスを考えて行動する姿勢です。
 橋本が考えていたのは、かつて田中角栄が蔵相の時代に山一証
券に対して実施した日銀特融なのです。今回、山一証券が廃業に
追い込まれたので、それを連想したのかもしれません。橋本はど
うせやるならそれに準ずるものにしたい――そう考えたものと思
われます。
 それに宮澤私案に乗ると、その後継者とされている幹事長の加
藤紘一にリーダーシップをとられてしまい、歴史に残るものにな
らないとも考えたのでしょう。それにこのところ、橋本と加藤・
山崎執行部の間にはすきま風が吹いていたのです。
 この情報を掴んだ大蔵省の桶井主計局長ほかの幹部は竹下事務
所に駆け込んだのです。竹下とはあの竹下登元首相です。当時予
算にかかわる重要政策を通すには、陰のドンである竹下の力が必
要であるとして、とくに大蔵省幹部は頻繁に竹下詣を繰り返して
いたのです。
 このとき竹下はどういう判断をしたのでしょうか。
 竹下は梶山構想に関しては極めて深刻であると考えていたよう
です。それは彼の次の言葉によくあらわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
      梶山構想は政局に火を付けかねない
―――――――――――――――――――――――――――――
 竹下が心配したのは、梶山構想を無視すると、梶山が水面下で
新進党の小沢党首と結んで、与野党問わずに連携する「危機突破
の議員連盟」という連合軍を作って、議員立法でやりかねないと
考えていたからです。
 しかし、10兆円の国債を発行するということは、財政構造改
革路線に明らかに反するのです。やるとすればひと工夫する必要
がある――竹下はこう考えたのです。竹下は集まってきた大蔵省
の幹部に次のようにいったといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
      あれ(梶山構想)は面白いわなぁ
―――――――――――――――――――――――――――――
 大蔵省の幹部は、竹下の発言を「もし、梶山構想を実現すると
したら、どんな智恵があるか」という意味にとったのです。これ
を受けて大蔵省の主計局が中心となって考えだしたのが「交付国
債」なのです。交付国債を金融用語辞典で引いてみると次のよう
に出ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 交付国債とは現金の代わりに交付するために発行される国債で
 資金借入のために発行される通常の国債とは性質が異なる。土
 地の買収や補償金などの現金支払に代えて交付され、実際の現
 金の支払を後年に繰り延べる。    ――金融用語辞典より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ごく簡単にいうとこういうことになります。政府は受け手に現
金を渡すのではなく、債券(国債)を交付するのです。受け手は
現金が必要となった時点で政府に支払いを要求するのです。政府
は支払いを要求された時点ではじめて予算措置を行い、それに応
ずるという仕組みなのです。
 この仕組みは政府が国際機関に資金を出す場合などに使われる
のです。そのため、「出資国債」とか「拠出国債」と呼ばれたり
するのです。その仕組みを梶山構想に使おうというのです。
 どうしてこれが「絶妙の智恵」なのかというと、仮に政府がこ
の交付国債を預金保険機構に交付しても、その時点では予算上は
国債の増発にならないという点にあります。
 預金保険機構に交付する場合、実際にそれが使われるのは先の
ことです。したがって、それまでは財源問題は生じないのです。
そのため、財政構造改革の路線にも反しないで済むのです。そう
かといって、必要になれば使えるのですから、いざというときの
支えにはなるのです。
 つまり、宮澤本部案や加藤執行部の路線を守りながら、梶山構
想も取り入れることができるのです。だから、絶妙の智恵といわ
れるのです。
 資金の出し方を決めた竹下は、さっそく関係者の根回しをはじ
めたのです。        ――[日本経済回復の謎/19]


≪画像および関連情報≫
 ・田中角栄蔵相の日銀特融
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1965年5月28日は戦後の経済史に残る重要な日になり
  ました。日銀が証券会社向けに事実上無担保・無制限に特別
  融資することを決めたからです。いわゆる日銀特融です。ま
  ず大手の山一証券が対象になり、2ヵ月後の7月には大井証
  券にも特融が実施されました。この異例の措置によって信用
  不安の拡大を抑えることができましたが、日銀特融に至る過
  程はなかなかドラマチックなものでした。  
    http://www.nikkei.co.jp/nkave/about/history_2.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済回復の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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