おきたいことがあります。それは、1968年12月に行われた
「エンゲルバートのプレゼンテーション」についてです。私がこ
のことを知ったのは、IIJ(インターネットイニシアチブ)の
会長兼CEO、鈴木幸一氏の著書を読んでのことです。
1969年1月元旦のことです。当時22歳の鈴木幸一氏は、
米誌『ローリング・ストーン』を読んでいたそうです。同誌は、
音楽や政治および大衆文化を扱う隔週発行のマガジンです。
たまたまその号は、同誌としては珍しく、コンピュータ関連の
記事がいくつか掲載されており、そのなかに「センセーショナル
な試み」というタイトルの記事があったのです。鈴木氏は、気に
なってその記事を読んでみたといいます。そうしたら、次の衝撃
的なフレーズを目にしたのです。
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コンピュータはメディアである
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1969年(昭和44年)といえば、大型コンピュータの全盛
時代です。当時のコンピュータは「計算機」そのものであり、コ
ンピュータは大企業のコンピュータ室に格納されている巨大なマ
シンというぐらいの認識しかなかったのです。ちなみに1969
年1月といえば、ソ連の有人宇宙船「ソユーズ」4号と5号が史
上初の有人宇宙ドッキングに成功したというというのが大ニュー
スになっていたのです。
鈴木幸一氏は、「コンピュータはメディアである」という記事
について、次のように述べています。
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その記事は、コンピュータが自ら通信機能をもつという、まっ
たく新しいコンピュータの概念を提示していた。それまでは、コ
ンピュータは「電子計算機」としてただ情報を演算処理するだけ
の機械であり、通信といえば、交換機という専用機で音声を運ぶ
電話のことを指していた。
両者の融合を可能にした技術基盤が、コンピュータ・サイエン
スである。コンピュータ上で、情報処理と通信が一体として動く
ようになることで、コンピュータと通信が別個のものであった時
代には想定もできない変化が訪れるはずだ。両者の技術体系が異
なるままでは、そのアジャストはそう簡単ではない。その意味で
コンピュータと通信を融合させるこの試みは、いま振り返っても
センセーショナルなものであったことは間違いない。
──鈴木幸一著
『日本インターネット書記』/講談社刊
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この「情報処理と通信が一体として動くメディアとしてのコン
ピュータ」の記事の元になったのは、1968年12月に行われ
たダグラス・エンゲルバート氏のプレゼンテーションです。この
とき、エンゲルバート氏は、先週のEJで述べたように、ARP
ANETの研究員の一人であり、このプレゼンテーションの次の
年の10月にARPANET、後のインターネットの原型になる
ネットワークが開通することになるのです。
そのプレゼンテーションは、当時のコンピュータではけっして
できないことが将来実現すると主張しています。しかし、現代の
われわれから見ると、毎日ごく当たり前のようにやっていること
ばかりです。当時の鈴木幸一氏が目を見張ったのは当然です。
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コンピュータの画面の前に座った人間が、画面上の複数のグラ
フィカルな「ウィンドウ」を見比べながら、マウスやキーボード
を使って文章をリアルタイムに編集する。そして、作成した文書
を遠隔地のコンピュータに送る。いまではごく当たり前の操作方
法だが、そのルーツはこのときのプレゼンにある。エンゲルバー
トのプレゼンが、その後のコンピュータ開発に与えた影響ほ計り
知れない。現代を生きる私たちにとってなじみ深い「パソコン」
も、エンゲルバートなくしては考えられない。彼のコンセプトは
「パソコンの父」と称されるコンピュータ科学者のアラン・ケイ
をはじめ、個性的で奔放な日々を送っていた若いエンジニアたち
に受け継がれ、その後、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ
とマイクロソフト創業者のビル・ゲイツが、パソコンを製品化し
世に送り出した。初期のパソコンは、キーボードすらついていな
い代物だったが、エンゲルバートのプレゼンが、パソコンを生ん
だひとつのきっかけとなったのである。
──鈴木幸一著の前掲書より
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このエンゲルバート氏のプレゼンの話は、当時定職に就いてい
なかった鈴木幸一氏に大きなショックを与えます。何よりもセン
セーショナルだったのは、遠隔地にいる人間同士がコンピュータ
を介してコミュニケーションをとるというアイデアです。これが
実現すれば、まさしく「コンピュータはメディアである」といえ
ます。この新鮮な驚きがなかったら、現在のIIJという企業は
誕生することはなかったと思います。
コンピュータを相互接続させるとどんなことが起きるのか、当
時はまったく認識されていなかったのです。そもそも異なる設計
によって製作されたコンピュータ同士を相互接続させてデータを
送ることは当時相当の難問だったのです。
議論が重ねられた結果、この難問は、仕様が同一の「IMP/
インプ」という名前のコンピュータを導入することによって解決
します。IMPは現在のルータの役割を果たすコンピュータであ
り、次の言葉の頭文字をとったものです。
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IMP
Interface Message Processor
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──[次世代テクノロジー論U/011]
≪画像および関連情報≫
●「クリック猿とマウス」/桂英史氏
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ねずみ(マウス)という動物の存在感は、なかなか不思議
である。キッチンなど日常生活の周辺に出没すると、大騒ぎ
になる。無理もない。都市生活においては、不衛生のシンボ
ルとして知られる動物だからだ。その出没を目撃すると、人
はブルーになる。ねずみそのものが気持ちわるいこと以上に
自分の生活空間が不衛生であるとの烙印が突きつけられた気
分になってしまうからだ。したがって、ゴキブリ以上の大敵
として駆除の対象になる。繁殖力が抜群で、ウイルスのキャ
リアとしても、申し分ない。ただ、この繁殖力はうまく利用
されていて、動物実験では長く主役の座を占めている。
この都市生活者の敵も、いったん「手のひらサイズ」のシ
ンボルとなってしまうと、なぜか人々の寵愛を一身に集める
存在となる。ミッキーマウスがその典型である。このミッキ
ーマウスとともに、20世紀はもうひとつマウスのシンボル
を登場させた。それがマウスというコンピュータの入力デバ
イス(装置)である。
マウスがこの世に登場したのは、1968年のこと。およ
そ35年も前のことである。サンフランシスコで開かれた秋
期合同コンピュータ会議で、NLSと呼ばれる対話式のコン
ピュータが公開された。公開したのは、ダグラス・エンゲル
バートという、国防省高等研究計画局出身の電子工学の研究
者である。 https://bit.ly/2KzBbXf
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エンゲルバートのプレゼン


