たのでしょうか。
1997年6月、財政構造改革の最終方針が決まった頃、橋本
内閣の求心力はかなり高かったのです。一方に梶山――与謝野ラ
イン、他方に加藤――山崎(山崎拓政調会長)ラインが官邸に設
置した財政構造改革会議を中心に、財政構造改革に反対する族議
員退治を競い合って政権の車の両輪となっていたからです。
しかし、自民党の保守を代表する梶山としては、どうしても自
社さ派の主張に傾斜しがちな加藤幹事長とはそりが合わず、確執
を積み重ねることがあまりにも多かったのです。
そこで梶山は橋本に加藤更迭を持ちかけたのですが、聞き入れ
られず、自らが身を引く決意を固め、1997年9月に橋本が自
民党総裁選に無投票で再選を果たしたのを機に、与謝野と一緒に
官邸を去ったのです。
しかし、梶山は自らの案による財政再建をあきらめたわけでは
なかったのです。1997年11月21日、梶山は首相の橋本と
沖縄に向かう政府特別機に同乗していたのです。沖縄復帰25周
年記念式典に前官房長官として招かれていたからです。
その機中で梶山は橋本に「後で読んでおいて欲しい」といって
あるペーパーを渡したのです。そのペーパーこそ、翌週の『週刊
文春』に掲載され、永田町や大蔵省、金融界に大きな波紋を広げ
ることになる「梶山10兆円構想」だったのです。
ちょうどこの頃、金融界においては、少し前なら予想もつかな
い次の事態が起こっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
11月 3日 三洋証券会社更生法適用申請
11月17日 北海道拓殖銀行が経営破たん
11月24日 山一証券が自主廃業を決める
―――――――――――――――――――――――――――――
実はこれらの一連の経営破たんでは、山一証券の破たんが一番
衝撃であったと思われがちですが、実は三洋証券の経営破たんが
金融関係者にとっては一番のショックだったのです。
というのは、三洋証券では資金繰りがつかず、史上はじめての
無担保コールのデフォルト(支払い不能)が起こってしまったか
らなのです。
短期金融市場では、金融機関同士は相互信用のもとに無担保で
日々の資金を融通し合う仕組みができています。したがって、今
までの常識では、たとえ破たんしても無担保コールだけは返却す
るという金融機関同士の「仁義」があったのですが、それが崩れ
たからです。そして、その影響で拓銀が破たんしたのです。
もちろん四大証券の一角である山一証券の経営破たんは一種の
社会不安を巻き起こしたのです。なぜなら、山一証券が破たんす
るということは、どんな大企業が破たんしても不思議はないとい
うことを意味していたからです。そのため、これが個人消費を一
挙に冷え込ませる結果になったのです。
金融収縮に消費減退が重なって日本経済は危機の淵に立つこと
になったのですが、そんなとき発表された「梶山構想」は大きな
インパクトを社会に与えたのです。バックライターがいる――と
いう噂は多く出ましたが、梶山は政策面をよく勉強しており、梶
山自らの構想と考えてよいと思います。
「梶山構想」について『官邸主導』の著者、清水真人氏は次の
ように紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
梶山構想――それはひと言で言えば、金融機関の自己資本増強
にそれまで禁じ手中の禁じ手だった国の一般会計から財政資金
を一気に投入し、金融不安一掃の決意を示すという内容だった
のである。まず、政府が保有する日本電信電話(NTT)や日
本たばこ(JT)の株式の売却益を償還財源の担保とし、10
兆円程度の「改革・発展国債」を発行する。それを銀行が発行
する優先株の購入などの形で投入する。さらに銀行経営者の責
任追及、不良債権の情報開示の徹底などを提唱。国債は新産業
の育成など景気対策にも積極的に活用すればよいという。
――清水真人著/日本経済新聞社刊
『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
この梶山構想よりも早く元首相の宮澤喜一は「宮澤私案」を橋
本に渡し、早急な検討を提案していたのです。宮澤私案では、預
金保険機構の財源を強化する案だったのです。具体的には、金融
機関の破たん処理に伴う損失を銀行などが収める保険料による積
立金でまかないきれないときに、同機構が自ら債券を発行して資
金を調達し、財源不足を補うという仕組みなのです。この債券は
政府保証債とし、資金運用部(財政投融資/郵貯・年金)資金で
引き受けるという構想なのです。
橋本首相から宮澤私案の検討を命ぜられた加藤幹事長は頭を抱
え込んだのです。というのは、あの住専処理のさい、財政資金は
「信用組合以外は使わない」と封印してきたからです。
もし、その財政資金を銀行などにも投入することになると、自
民党総務会から政策転換だとして、強烈な執行部批判が出ること
が必至だったからです。
そのとき総務会には、「4K」といわれる論客がすべて揃って
おり、その激しい揺さぶりを耐えしのぐことを執行部は「K点越
え」と称していたほどだったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
第1のK――亀井静香 第2のK――河野洋平
第3のK――梶山静六 第4のK――粕谷 茂
―――――――――――――――――――――――――――――
事態は宮澤私案に沿って動き出したのです。そして、12月1
日には、元首相の宮澤が現首相の橋本に予算委員会で質問して、
国民に金融機関処理が万全であることを印象づける演出までやっ
たのです。 ――[日本経済回復の謎/18]
≪画像および関連情報≫
・1997年12月1日/予算委員会の橋本首相の発言より
―――――――――――――――――――――――――――
預金者を守る、お客様を守る、そして金融システムの安定性
を守る、そのためにはあらゆる手段を行使していく決意であ
ることを申し上げておきたい。私自身、公的支援によってセ
ーフティーネットを完備する、そして預金者を保護すること
が重要なことだという思いは大変強く持っている。
――橋本首相
―――――――――――――――――――――――――――