2007年06月25日

●政府与党全体の経済失政(EJ第2108号)

 2001年4月12日、首相・森喜朗の退陣表明を受けた自民
党総裁選に再び出馬したときの橋本元首相の挨拶です。
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 財政再建を急いだ結果が、今の不況の一つの原因になった。こ
 れは率直に認める。国民にお詫び申し上げる。――橋本龍太郎
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 選挙戦術の一環とはいえ、かつての総理大臣が自分の経済政策
の失敗を認めるのはきわめて異例のことです。しかし、橋本とし
ては、がんじがらめの状況で、ああいう政策をとらざるを得ない
状況に追い込まれたともいえるのです。そのときの橋本元首相の
周辺の状況を少し探ってみることにします。
 1996年、橋本は首相になると、「官邸主導」というよりは
「橋本主導」に非常にこだわっていたといいます。金融ビックバ
ンについては、大蔵省総務審議官の武藤敏郎の指揮下で、証券局
長・長野厖土、銀行局長・坂篤郎が練り上げたシナリオを首相自
らがけん引する姿を演出する「橋本主導」にこだわったのです。
 したがって、行革においても橋本はそういうかたちをとろうと
したのです。しかし、当時の梶山官房長官は、そういう橋本のパ
フォーマンスを内心苦々しく思っていたのです。そこで、行革を
橋本の「格好のおもちゃ」にさせないよう与謝野を使って首相が
やらざるを得ないようにもっていく作戦を立てたのです。
 財政再建の影の仕掛け人は梶山静六その人であったのです。橋
本と梶山について、当時幹事長の職にあった加藤紘一は次のよう
に述べています。
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 橋本さんは梶さんにろくに相談せず、行革をペットイシューに
 してまい進した。橋本政権をつくったのは自分だという自負の
 ある梶さんはそれに不満で、与謝野氏を巻き込んで財政再建に
 命をかけると言った。橋本さんはそれほど熱心ではなく、梶さ
 んに乗った形だった。     ――加藤紘一幹事長(当時)
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
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 梶山と与謝野は、歳出を個別に切っていく方法だけでなく、上
からタガをはめていく手法――財政再建法づくりを目指すように
大蔵省の主計局にはっぱをかけていたのです。しかし、当の大蔵
省はというと、最後に責任を押し付けられることを恐れて、なか
なか乗ってこなかったのです。政治主導を警戒したのです。
 そこで、与謝野が精力的に動いて、主計局に対して次のことを
申し渡すところまでコトを運んだのです。
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 首相、蔵相経験者でつくる財政再建会議を官邸に設け、与党で
 財政再建法に取り組む必要がある。首相経験者らが中心になる
 親会議と、三党幹事長(当時は自・社・さ連立政権)、政策担
 当責任者でつくる幹事会をつくろう。大蔵省は下働きを務めて
 ほしい。           ――清水真人著の前掲書より
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 1997年1月21日、財政再建会議に参集した首相・蔵相経
験者たちは財政構造改革に対して非常に積極的な姿勢を示したの
です。なかでも中曽根康弘はもっとも積極的だったといいます。
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 今は戦後50年で最大の非常時だ。自社さ3党が大局的に譲り
 合ってこの困難を克服する必要がある。財政改革をやり抜けば
 経済にもプラスになる。          ――中曽根康弘
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 また、もともと積極財政を身上とするケインジアンの宮沢喜一
は、財政再建は「総論」だけでは問題は解決せず、「各論」まで
踏み込んで、分野ごとの歳出削減が必要であると強調したといわ
れます。中曽根のいう「財政改革をやり抜けば経済にもプラスに
なる」という発言に代表されるように財政再建会議は、これから
起こってくる数々の難問の解決のかぎはすべて財政再建の成否に
かかっているというような明らかにおかしなムードになっていっ
たのです。
 そういう意味で、梶山と与謝野の仕掛けは成功しつつあったと
いえます。しかし、橋本としてはやっかいな米国の要求もあり、
こういうムードは頭の痛いことだったのです。
 1997年5月20日、首相官邸で橋本首相と加藤幹事長の間
でこのようなやり取りがあったのです。
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 加藤「97年度は補正予算で対応させてほしい」
 橋本「幹事長、それはダメだ」
 加藤「それは大変厳しいお話ですが・・・」
 橋本「4月の日米首脳会議で補正予算での財政出動はしないと
   はっきり言ってきた。農業だけやるというわけにはいかな
   いんだ」         ――清水真人著の前掲書より
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 加藤幹事長は、補正予算阻止に猛反発した農林族を調整できず
補正予算の計上を首相に求めたのです。そうしないと党内が持た
ないと判断したからです。
 しかし、橋本首相としては、4月25日にワシントンで行われ
たクリントン大統領との日米首脳会談で、大統領に公共事業によ
る内需刺激策を強く求められたさい、財政構造改革路線を盾にし
てこれを断った経緯があるのです。
 このように、よく「橋本失政」といいますが、橋本首相として
は、既に敷かれている財政構造改革路線をとらざるを得ないよう
に走らされていただけといえるのです。
 しかし、橋本のバックに回って族議員の抵抗を抑え、大蔵官僚
を指揮して財政構造改革路線を進めてきた梶山と与謝野は次の橋
本改造内閣では姿を消して、橋本政権のパワーは大きく減退する
ことになったのです。    ――[日本経済回復の謎/17]


≪画像および関連情報≫
 ・EJ第2000号達成記念会開催!/6月16日
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  6月16日(土)、東京日比谷のレストラン「松本楼」にお
  いて、「EJ第2000号達成記念会」が開催され、大勢の
  の方が来賓されました。EJは1998年10月15日を第
  1号として、ウィークデイの毎日、8年以上にわたって継続
  してお届けしてきております。パーティーにご参集いただい
  た皆様、お祝いのメッセージをいただいた皆様へ感謝の意を
  捧げます。ありがとうございます。       平野 浩
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posted by 平野 浩 at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済回復の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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