2018年03月14日

●「なぜ朝日は謝罪に追い込まれたか」(EJ第4723号)

 2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東京電力の所員
の90%に当たる650人が、吉田所長の命令に反して、福島第
二原発に撤退したという事実は、当時の菅首相の言動と合わせて
考える必要があります。
 3月14日の深夜のことです。当時の海江田万里経済産業相は
東京電力の清水正孝社長から電話を受けたのです。そのときの清
水社長の申し入れは次の通りです。
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 放射線量が多く、これ以上、現場では作業ができません。所員
を第1原発から第2原発に退避させたいのですが・・。
                 ──東京電力清水正孝社長
─────────────────────────────
 海江田経産相は、直ちにそのことを菅首相に伝えたところ、菅
首相は「そんなことあり得ない」と怒鳴ったといいます。菅首相
は、15日午前ち4時17分、怒りを胸に自ら東京電力の本社に
乗り込み、清水社長や幹部社員と対峙します。そのときのやりと
り(想定)は次の通りです。
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菅 首相:本当に撤退を考えているのか。
清水社長:いや、そうではありません。すべてを引き揚げるわけ
     ではなく、必要な人員だけ残し、その他は離れるとい
     う意味です。
菅 首相:もし、撤退したときは東電は100%潰れることにな
     るからね。
清水社長:・・・
─────────────────────────────
 しかし、その時点では、福島第一原発からは650人が既に第
2原発に撤退していたのです。首相の許可は得ていない。首相の
判断を待っていたのでは、作業員に多くの死者が出ることを清水
社長はわかっていたからです。
 13日の午後も清水社長は菅首相に官邸に呼び出され、「なぜ
こんな事態になったんだ。あまりにも不手際を繰り返している」
と怒鳴られており、首相から撤退の許可をもらうことは無理と考
えたものと思われます。
 そのとき、清水社長は、菅首相から、政府と東電の統合本部の
設置を打診され、受け入れるしかなかったのです。菅首相として
は、これによって、勝手に撤退などさせないという強い意志を示
したのです。そして、統合本部には、首相の名代として、細野豪
志首相補佐官が常駐し、放射性物質の封じ込めから米国との連携
までを一手に担う体制こなります。
 それでは、朝日新聞の記事はどこが問題だったのでしょうか。
 朝日新聞としては、多くの東京電力の職員が、吉田所長の命令
に違反して撤退したと伝えることによって、強いインパクトを読
者に与えようとしたのです。これは、3月15日の早朝に菅首相
が自ら東京電力本社に乗り込んで、撤退を止めようとしたあのパ
フォーマンスとリンクします。
 しかし、これによって、吉田所長の制止にもかかわらず、多く
の作業員が第一原発から、第二原発に逃げ出したというイメージ
を与えてしまいます。これでは、危険を覚悟して働いている人た
ちにあまりにも失礼です。
 初めて遭遇する危機的状況において、大混乱が生じ、指揮系統
が機能せず、吉田所長の命令が正確に届かなかった。こういう事
実は、正確に報道する必要があります。災害時にはそういうこと
が起きるということを後世に残すためにも、起きた事実を報道す
べきです。そして、そういう事実を伝えることによって、「吉田
調書」というまだ国民に公開されていない調書が存在することを
多くの人に伝えることができるのです。
 これについて、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーテ
ィン・ファクラー氏は次のように述べています。
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 私から見れば、朝日新聞の「吉田調書」スクープは間違ってい
るわけではない。事実は合っていた。だが、記事の伝え方におい
て、間違えたニュアンスを読者に与えてしまった。「伝えるべき
事実を正確に伝える」という、調査報道において大切な細かな神
経の使い方が不足していたわけだ。その結果、大スクープのネタ
を手につかんでおきながら、朝日新聞は自壊への要因をつくって
しまったのだ。        ──マーティン・ファクラー著
      『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』/双葉社刊
─────────────────────────────
 朝日新聞の報道のおかしさに最初に気が付いたのは、吉田昌郎
氏本人に直接インタビューした経験を持つジャーナリストの門田
隆将氏です。門田氏は、「『朝日新聞』吉田調書報道の罪」と題
して、『週刊ポスト』/2014年6月20号に記事を掲載して
います。(巻末「画像および関連情報」参照)
 朝日新聞社は「朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損」してい
るとして、記事の取り消しを求める抗議書を送達し、訴訟による
法的措置をとると警告したのです。
 しかし、8月になると、他の報道機関も「吉田調書」を手に入
れ、朝日新聞のスクープを真っ向から否定する報道が相次いだの
です。8月18日の産経新聞、8月24日のNHK、8月30日
の読売新聞などがそうです。
 これらの動きを受けて、安倍政権も吉田昌郎所長の聴取記録書
を公開することに方針を転換し、2014年9月11日に内閣官
房が「吉田調書」を含む「政府事故調査委員会ヒアリング記録」
を正式に公開したのです。このとき吉田氏が上申書で非公開を求
めていた聴取記録書も本人の遺志に反して公開されています。
 ここに及んで、朝日新聞社は一段と追い詰められ、同日夜に朝
日新聞は木村伊量社長と杉浦信之取締役編集担当は記者会見を開
き、記事を取り消したうえで、謝罪したのです。
            ──[メディア規制の実態/047]

≪画像および関連情報≫
 ●門田隆将 朝日新聞「吉田調書」報道の罪 全文掲載
  ───────────────────────────
   午前6時過ぎ、ついに大きな衝撃音と共に2号機の圧力抑
  制室(通称・サプチャン)の圧力がゼロになった。「サプチ
  ャンに穴が空いたのか」。多くのプラントエンジニアはそう
  思ったという。恐れていた事態が現実になったと思った時、
  吉田所長は「各班は、最少人数を残して退避!」と叫んでい
  る。たとえ外の大気が「汚染」されていたとしても、ついに
  免震重要棟からも脱出させないといけない「時」が来たので
  ある。
   この時のことを朝日新聞は、1面トップで「所長命令に違
  反/原発撤退」「福島第一/所員の9割」と報じ、2面にも
  「葬られた命令違反」という特大の活字が躍った。要するに
  700名近い職員の9割が「吉田所長の命令に違反して、現
  場から福島第二(2F)に逃げた」というのだ。
   その根拠になる吉田調書の部分は、朝日(デジタル版)に
  よると、以下のようなものだ。
   「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここが
  また伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかとい
  う話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をし
  たら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指
  示をしたんです。         http://bit.ly/2GgNib4
  ───────────────────────────

作家/門田隆将氏.jpg
作家/門田 隆将氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | メディア規制の実態 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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