に伝えています。
─────────────────────────────
◎森友文書書き換えの疑い
財務省問題発覚後か/交渉経緯など複数個所
──2018年3月2日付、朝日新聞朝刊
─────────────────────────────
これは朝日新聞の渾身のスクープといえます。このところ安倍
首相が先頭に立っての朝日新聞攻撃に対する「報復」ともとれる
スクープです。
このEJは11日に執筆しています。ところがこの事件は10
日の夜に大きく動いたのです。財務省は、森友決裁文書に「書き
換え」があったことを認め、12日に国会で発表する運びになっ
たのです。まさに激動です。
それによって事態がどう動くか、このEJ執筆時点では見通せ
ない状況です。そこで、朝日新聞が報道の失敗で謝罪した福島第
一原子力発電所事故「吉田調書」について、新聞のあり方との関
連から、先に書くことにします。特定文書を巡る騒動である点は
今回と同じです。
2014年の夏は、朝日新聞にとって、さんざんな年であった
といえます。それは、次の2つの朝日新聞の報道が取り消しの処
分になり、朝日新聞は日本中からバッシングを受けることになっ
たからです。
─────────────────────────────
1.吉田証言の取り消し ・・・ 慰安婦問題報道
→ 2.吉田調書の取り消し ・・・ 福 島原発報道
─────────────────────────────
ここでは「2」の問題について考えていきます。2014年5
月20日のことです。朝日新聞の朝刊の1面に次の見出しが躍っ
たのです。一大スクープ記事です。
─────────────────────────────
◎所長命令に違反、原発撤退、福島第一、所員の9割
政府事故調の「吉田調書」入手
──2014年5月20日付、朝日新聞
─────────────────────────────
「吉田調書」とは、2011年に発生した東日本大震災による
福島第一原子力発電所事故で、陣頭指揮にあたった吉田昌郎福島
第一原子力発電所所長(当時)が、政府事故調の聴取に応じたさ
いの記録文書であり、400ページ以上あります。当時政権を率
いていたのは、民主党の菅直人首相です。
しかし、吉田昌郎氏は事故調に対して次の上申書を提出し、第
三者への公表を拒んでいたのです。なお、吉田昌郎氏は2013
年7月に死去しています。
─────────────────────────────
国会事故調が内部で調査のために用いる限りにおいて承諾する
ものであり、本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表さ
れることは望みません。 ──2012年5月29日
─────────────────────────────
つまり、吉田調書は本来外に出るはずのない文書なのです。そ
れを朝日新聞の木村英昭記者と宮崎知己記者は入手したのです。
どうやら、朝日新聞の記者はそういう秘密文書を手に入れるのは
得意のようです。そのうえで朝日新聞は、2014年5月20日
付の見出しの記事を掲載したのです。以下は、記事の概要です。
─────────────────────────────
東日本大震災4日後の11月3月15日朝、第一原発にいた所
員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10
キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上
昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこ
の命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。
──マーティン・ファクラー著
『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』/双葉社刊
─────────────────────────────
このとき政府の事故調(事故調査・検証委員会)は、吉田所長
を含む772人の関係者に、合計1479時間もの時間をかけて
聴き取り調査をしています。そしてその最終報告書は、2012
年7月23日に提出されています。しかし、当時の民主党政権は
調査結果を非公開にしています。確かに吉田所長の非公開の要望
はあったものの、政府としては全面非公開にするべきではなかっ
たのです。文書の非公開の扱いは、自民党の安倍政権になってか
らも続き、朝日新聞のスクープが行われるのです。
朝日新聞の見出しを見ると、福島第一原発にいた東京電力の作
業員のほとんどが、吉田所長が「待機せよ」と命令したにもかか
わらず、10キロ南の福島第二原発に撤退したという意味にとれ
ます。「きっとパニックになり、命令を無視して一斉に逃げ出し
たんだな」というようにとれる内容です。
しかし、事故調が聴き取りをした作業員の証言によると、命令
の内容がバラバラで、もともと事故のさいは、第二原発に撤退と
いうことになっていたので、それにしたがったまでというように
一貫していないのです。マーティン・ファクラー氏はこれについ
て、次のように述べています。
─────────────────────────────
「秘密の調書」を熟読してみると、吉田所長の命令は現場まで
正確に伝わっていなかったことが読み取れる。まるで命令が伝言
ゲームのように伝わり、現場のスタッフが聞いた内容は、吉田所
長が出した当初の命令と異なっていた。スタッフが意図的に命令
違反したわけではなく、命令の内容を正確に把握しないまま誤っ
て撤退してしまった。これが実態だろう。
──マーティン・ファクラー著の前掲書より
─────────────────────────────
──[メディア規制の実態/046]
≪画像および関連情報≫
●「吉田調書」が教える「東電撤退事件」/竹内敬二氏
───────────────────────────
2013年7月に亡くなった吉田昌郎・元福島第一原発所
長は、政府事故調に400ページにわたる膨大な証言を残し
ていた。格納容器の爆発危機に直面したとき、作業員の9割
が所長の意図に反して第二原発に移ってしまった事実も語ら
れている。菅首相が東電に乗り込んで「撤退は認めない」と
叫んだ、有名な「東電撤退事件」の真相の一部がやっと現れ
た。しかし、政府事故調の報告書には、このことがきちんと
反映されているとは言い難い。現政府は吉田所長だけでなく
772人に対して行われた調書を「非公表にする」としてい
る。事故の詳細を教える一級の資料をなぜ出さない。
吉田氏は政府事故調から計13回、延べ時間29時間にわ
たって聴取された。担当したのは事故調事務局に出向してい
た検事。「捜査のプロ」が事実を確認しながら聴取したもの
で、資料としては一級品だ。この調書は公表された訳ではな
く、朝日新聞が入手し、独自に2014年5月20日と、そ
の後に報じた。事故調査では多くの人が聴取されたはずだが
これほど詳しい記録が残されていることは知られていなかっ
た。ほかのメディアでは報じられていないため、吉田調書が
存在が明らかになったニュース自体を知らない人も多いだろ
う。吉田調書は語り口調のまま書かれており、事故直後の原
発内の恐怖、焦り、緊張がそのまま分かる。
http://bit.ly/2p9JYq7
───────────────────────────
「吉田調書」を伝える朝日新聞の記事