ーベル賞を受賞するまで、「光は波である」と考えられていたの
です。しかし、アインシュタインによって「光は光電子という粒
子である」ということが証明されます。
これを受けて、フランスの物理学者のド・ブロイという人が面
白いことを考えたのです。おおよそ次のようなことです。
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光は波であると思われていたが、実際は粒子だったことが光電
子仮説によって裏付けられている。逆にいうと、粒子が波のよう
に振る舞っているのではないか。 ──ド・ブロイ
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つまり、こういうことです。光はこれより小さくなれない光電
子なので、波の性質が目立つのであり、それより大きな粒子は波
の性質が目立たないのではないかと考えるのです。ド・ブロイは
この粒子ではあるが、同時に波としての性質を持つ波を「ド・ブ
ロイ波(物質波)」と名付け、そのことを博士号の学位論文に書
いて、1924年にソルボンヌ大学に提出したのです。
困ったのは、ソメボンヌ大学の教授陣です。ド・ブロイの論文
の意味がわからなかったからです。そこで、一人の教授がアイン
シュタインにド・ブロイの論文を送って、意見を聞いたのです。
そうすると、アインシュタインからは、次のメッセージが返って
きたといいます。
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この論文は素晴らしい。論文の著者には博士号はもちろんのこ
と、ノーベル賞を与える必要がある。 ──アインシュタイン
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実際に「ド・ブロイ波」は、実験によって確認され、それから
5年後の1929年に、アインシュタインのいう通り、ド・ブロ
イはノーベル賞を受賞したのです。
これによってわかったことは、量子というのは、すべての物質
の最小単位であり、それは波動性と粒子性という2つの性質を持
つということです。これはすべての物質に共通する基本的性質で
あり、「波動と粒子の二重性」といいます。
このことをもっと噛み砕いていうと、われわれが目にする物質
は、粒子性がクローズアップされ、波動性は目立って見えないの
です。しかし、分子から原子、電子、陽子、さらに素粒子サイズ
の世界になればなるほど、そこに流動性が目立ってきます。この
ミクロの世界の物理学が「量子力学」なのです。
これについて、北海道大学の竹内繁樹教授は、自著で次のよう
に述べています。
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世の中を細かく見ていくと、物質も光も、すべてが「量子」で
成り立っている。そういう意味では、身の回りの自然現象を本当
に支配しているのは、「量子力学」ということになる。
私たちがふだん用いている「波」や「粒子」といった考え方は
「量子」がたくさん集まった場合についてだけ正しい理論で、そ
れも「量子力学」から導くことが可能だと考えられている。
もし、世の中のすべてを量子力学で説明できるのであれば、コ
ンピュータの原理として、「量子力学」を持ち出すのは、自然な
ことではないだろうか。
量子計算は、「量子力学」を本質的に利用して、高速な計算を
行う。そのしくみを理解するにはやはりどうしても「量子力学」
の中身に立ち入らなくてはならない。 ──竹内繁樹著
『量子コンピュータ/並列計算のからくり』
ブルーバックス
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さて、量子力学の世界は、通常の物理学の常識が通じない世界
といえます。通常では起こり得ないことが普通に起こってしまう
世界といってもよいと思います。例えば、ハリー・ポッターの映
画で見たような人が壁を通過するようなことがごく自然に起きる
のです。したがって、そういう関心で量子力学を研究すると、興
味は尽きないと思います。そのひとつを上げると、次のテーマを
どのように考えますか。
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誰も見ていない「月」は存在するか?
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何を馬鹿なと思われるかもしれません。しかし、このテーマに
ついてアインシュタインは、死ぬまで悩み続け、多くの物理学者
たちと大真面目に議論を交わしたといわれます。
どういうことかについて少し説明します。多くの人はこう考え
ます。誰も見ていなくても、月は客観的に存在する。多くの人が
見ているし、かつて宇宙飛行士は月に着陸したではないか、と。
しかし、量子力学の世界では、月を含めて、個々人が客観的に
存在すると認識している自然界の事象は、人が観察するという行
為によって千変万化し、誰も見ていないときはそれは存在しない
というのです。
「客観的存在」とは何でしょうか。サイエンスライターのコン
ノケンイチ(今野健一)氏は、次の3つを指摘しています。
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1.自分と離れた外部に存在するものである
2.その存在を五感で認識することができる
3.きちんと定まった物理属性を有している
──コンノケンイチ著
『死後の世界を突きとめた量子力学』/徳間書店
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これら3つはいちいちもっともなことです。しかし、この考え
方に立つと、「客観的存在」とは自分の外側の世界ということに
なります。そうすると、内側、つまりこちら側は自分だけの存在
になってしまいます。このようにきわめて哲学的論争になってし
まうのです。 ──[次世代テクノロジー論/60]
≪画像および関連情報≫
●誰もそれを見ていないとき世界は存在していないのか。
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そのような仮説を主張する物理学者がいて、その話を聞い
て何て奇妙な考えだろうと思っていました。誰が見ていよう
がいまいが、それで宇宙が現れたり消滅したりする事などあ
るはずがないではありませんか。
「モーガン・フリーマンが語る宇宙」でもその説が紹介さ
れていて、誰も見ていない死角が生じると、今までそこにあ
った風景が蒸発するように消えて暗闇になってしまう、そう
いうイメージ映像で表現されていましたが、そんな馬鹿げた
事があるはずがない、この学者は頭がおかしいと思ってまし
た。しかしですね、「忘れてしまった過去は、初めから存在
しないのと同じか?」という疑問は、誰も観測者がいない時
には世界が存在しなくなるという仮説と全く同じ論理である
ことに気づいたのです。
確かに存在していたはずの過去がその記憶(記録)が失わ
れた途端に、存在しなくなってしまう。そして記録が発見さ
れると、再び存在していたことになる。それは、観測者が居
なくなると現実が存在しなくなるという話と全く同じなんで
す。なぜなら、我々が何かの事象を観測するという事はその
事象を記録するという事であり、また、光の速度が有限のc
という速度であるために、観測している事象はその全てが時
間的に過去の出来事なのです。 http://bit.ly/2BDk0Dn
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アルベルト・アインシュタイン