2007年06月20日

●構造改革派の正体は何か(EJ第2105号)

 「新古典派経済学」を名乗る学派には次の2つがある――前回
そうお話しいたしました。
―――――――――――――――――――――――――――――
    新古典派経済学 ・・・ ニュー・クラシカル
    新古典派経済学 ・・・ ネオ ・クラシカル
―――――――――――――――――――――――――――――
 ネオ・クラシカルの方から説明します。ネオ・クラシカルは、
新古典派経済学にケインズ経済学を組み合わせた新古典派総合の
経済学のことであり、その創始者が1970年にノーベル経済学
賞を授与されたポール・サミュエルソンなのです。
 これに対してニュー・クラシカルは、自由放任(レッセ・フェ
ール)の下での経済が理想であり、現在の経済で起こっている不
都合は、いろいろな障害が経済の機能を阻害していることが原因
と考えるのです。したがって、これらの障害を排除することこそ
が正しい経済政策であるというのです。
 それでは彼らが障害と考えるものは具体的には何でしょうか。
それは、あらゆる社会的、経済的な規制なのです。したがって、
それらの規制の緩和や撤廃、さらに一歩踏み込んで経済の構造改
革が重要な課題と考えるのです。そしてもちろん政府の経済への
介入をできるだけ少なくしようといる――そのため歳出の削減を
強く求めるのです。
 自由放任(レッセ・フェール)の下での経済の障害のひとつ、
失業を例にとって考えてみます。ケインズ経済学では、失業は有
効需要不足による不況が原因で起こるので、政府が有効需要創出
政策を行うことで解決するという考え方に立ちます。
 ところがニュー・クラシカルでは、失業は硬直的な雇用慣行や
雇用環境に問題があると考えるのです。つまり、制度が悪いと考
えるわけです。賃金制度を見直して、賃金水準を柔軟に変更でき
るようにすべきだと主張するのです。具体的には、最低賃金制の
撤廃や人材派遣の自由化などの制度見直しがありますが、これら
は現代社会のなかで次々と実現しつあります。
 このように、ケインズ経済学もニュー・クラシカルも、ともに
自由放任(レッセ・フェール)の下での経済が理想と考えている
点は同じなのです。ともにアダム・スミスの古典派経済学を原点
としているのです。
 しかし、そういう経済の下では往々にして障害が起きるのです
が、その場合、政府が介入して是正するという立場のケインズ経
済学と、「見えざる手」がスムースに働くように制度などを改正
・撤廃をするとともに、経済を構造的に改革するというのがニュ
ー・クラシカルの考え方なのです。したがって、ケインズ経済学
では「大きな政府」、ニュー・クラシカルでは「小さな政府」が
前提となるのです。
 既に何度かご紹介している「経済コラムマガジン」の著者は、
このニュー・クラシカルをいわゆる「構造改革派」として次のよ
うに厳しく批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革派の主張は論理的ではない。構造改革派の教典は古典
 派経済学である。しかし古典派経済学に基ずくレッセフェール
 (自由放任主義)経済は、歴史的に破綻している。現実の経済
 は古典派理論のようには動かなかったのである。ところが構造
 改革派の人々は、なんと経済が古典派理論通りうまく動くよう
 に今度は現実の社会の構造の方を変えようというのである。倒
 錯した感覚である。ハルマゲドンを予言した新興宗教団体が、
 実際にハルマゲドンを起こそうとしたのと非常に似ている。た
 しかに構造改革派は新興宗教的な体質を持っている。社会改革
 運動とは実に胡散臭い動きである。
           ――経済コラムマガジン/476号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 「経済コラムマガジン」でも述べているように、構造改革派の
唱える古典派経済学は歴史的に破綻して一度姿を消しているはず
なのです。それがどうして息を吹き返したのでしょうか。
 結論からいうと、ケインズ経済学による財政政策がなぜか人気
を失い、劣勢になったことです。一国の経済が不況になると、ケ
インズ政策は否定され、構造改革派が台頭してくるのです。それ
に「ベルリンの壁崩壊」の影響が大きいのです。つまり、共産主
義・社会主義国家が没落し、政府による経済への過度の介入が悪
であるとみなされるようになったことと無関係ではないのです。
 よく考えてみると、日本はこの数10年間――とくに小泉政権
において、構造改革派が唱える案が取り入れられてきており、彼
らの推進する社会改革活動が進んでいるように見えます。
 「経済コラムマガジン」によると、構造改革派の人々の特徴は
を次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済をマクロ(一国の経済)で捉えるという考え方が衰退して
 いる。今日の経済学者は、盲目的に「小さな政府」「官業の民
 営化」「規制緩和による競争促進」を訴える。ところがこれに
 よって落ちこぼれる人々が出て来ると指摘されると、必ず「セ
 ーフティーネット」を張ると言う。「セーフティーネット」な
 んて心にもないくせに、慌ててこのセリフを付け加えるのであ
 る。        ――「経済コラムマガジン」/444号
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済をマクロでとらえる学者が少なくなっているという指摘は
重要です。確かにマクロ経済学者でありながら、平気で経済をミ
クロで分析する人がいます。マクロとミクロでは結論が逆になる
ことは少なくないので、間違った情報が伝えられてしまいます。
 そして、前提条件を明らかにしないままに財政赤字が巨額であ
り、それが時々刻々と増えているということばかり強調して財政
再建が焦眉の急であると強調する――そういう社会情勢になって
いるといえます。その象徴的なものはテレビで表示される「借金
時計」であるといえます。  ――[日本経済回復の謎/14]


≪画像および関連情報≫
 ・「見えざる手」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アダム・スミスの『国富論』第4編に、ただ1回だけ出てく
  る有名なことば。スミスによると、社会の各個人は自己の利
  益だけを追求してゆくうちに、見えざる手に導かれて自分の
  思いもかけぬ目的、つまり社会全体の利益を達成することに
  なる。なぜなら、スミスの念頭にある各個人は、自己の資本
  を使って最大の利益をあげようとする資本家のことで、最大
  の利潤を求めて、最大の勤労を維持し、その結果、生産物の
  価値を最大ならしめるから、全生産物の価値にひとしい社会
  全体の年収入も最大になるとされるのである。
    http://www.sarimedi.com/value/2005/11/post_296.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

A_EX~X.jpg
posted by 平野 浩 at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済回復の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。