2017年07月14日

●「築地再整備は実質何もしていない」(EJ第4563号)

 築地再整備を決めた鈴木俊一知事は都知事4選を果たしており
4期目は次の4年間です。この期間中に築地の再整備工事は進め
られていたはずです。
─────────────────────────────
    鈴木俊一知事/4期目
    1991年4月23日〜1995年4月22日
─────────────────────────────
 確かに、東京都は築地市場の「第4次再整備基本方針」に基づ
き、1991年1月から築地の再整備工事をはじめています。こ
の工事は、鈴木都政の4期目の4年間を通して、続けられていた
ことになっています。しかし築地市場の完成当時の写真と見比べ
ても、どこをどのように工事したのか、はっきりしないのです。
写真を見ても、どこも変わっていないように見えるからです。
 もちろん、当初の工期は14年ですから、鈴木知事退任後さら
に10年間工事を続け、2005年に完成する予定だったことに
なります。何とも超スローペースの工事です。もっとも営業を続
けながらの工事であり、当時は築地の最盛期であったので、時間
がかかることは理解できますが・・・。
 実は、鈴木都政4期目の4年間を通して、準備段階で400億
円を使いながら、仮説の駐車場などを作っただけに止まっている
のです。したがって、築地市場自体は何も変わっていないのは当
然のことです。なぜそうなったのかというと、理由は次の3つに
絞られます。
─────────────────────────────
       1.種地が確保できなかったこと
       2.あまりに時間と費用がかかる
       3.業界の調整が大変だったこと
─────────────────────────────
 ここで「種地」とは、工事のためある部分を移動するための土
地のことです。そのため、業者同士でモメたりと、いろいろ大変
だったことは理解できます。この築地再整備について、建築家で
東北芸術工科大学教授の竹内昌義氏は、築地再整備について次の
ように述べています。
─────────────────────────────
 この平成元年(1989年)前後は築地市場のピークの時期で
ある。最も混んでいた時代である。計画自体は青果と水産で二階
建て。再開発のビルが新大橋通り沿い、隅田川沿いにも建設され
る大規模な再開発プロジェクトであった。ローリング(少しずつ
工事の現場を移動していき、結果として全部の工事をする方法)
するためのスペースがなかったことも理解できる。しかし、当時
のローリング工事の計画は、市場機能の配置に対しての配慮があ
まり感じられない。ここから約30年、時代は大きく変化したの
である。        ──竹内昌義著/「築地市場改修案」
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 5年間という年月をかけて、しかも400億円もの大金を使っ
てできたのは「仮設の駐車場」だけです。そんな馬鹿なことはな
いと思います。したがって、1996年に一般会計に築地再整備
費用の名目で貸し付けた400億円もバブル政策の後始末に使わ
れたものと思われます。したがって、その後の追加の2000億
円と合わせて「臨海会計」のために使われたのです。
 つまり、東京都は最初から築地再整備などやる気はなかったの
です。ただし、東京都の市場当局としては、鈴木知事の治世下で
は最小限の工事にとどめ、築地再整備にはまるで関心のない青島
治世下の4年間で築地の移転地を必死で探していたものと思われ
ます。青島幸男知事は、臨海副都心計画は実施しないことを公約
にして当選しているのです。
 築地再整備のための市場会計の積立金がバブル政策の後始末に
使われたのではないかという噂は市場関係者間ではかなり広がっ
ていたようです。築地問題に詳しいジャーナリスト池上正樹氏の
レポートによると、ある市場関係者は次のように述べています。
─────────────────────────────
 当初、築地での再整備計画で、都は約2400億円の予算を組
んでいたんです。しかし、バブルが崩壊して、臨海再開発も失敗
し、財政が悪化した。本来は、築地再整備のための独立会計予算
をその穴埋めで使ってしまい、資金が不足した。だから築地を売
却して、移転するしかなくなってしまったのです。
                   http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 これに加えて池上正樹氏は、「東京魚市場卸協同組合五十史」
の次の記述を紹介しています。
─────────────────────────────
 都の路線変更にあったのは、バブル経済の破綻で都市場の財政
事情が極めてひっ迫してきたことがある。都市場は企業会計方式
を採用しており、施設整備費の大部分は起債に依存していた。使
用料で賄うことなどは殆ど不可能である。起債残高が1000億
円もある中で、すべてを築地市場に投入するわけにはいかない事
情があった。             http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 このように、築地市場を再整備するための積立金を取り崩して
しまった東京都の市場当局としては、それを取り戻す方策として
考えたのが築地市場の売却です。今や築地は銀座に近い東京の一
等地であり、高く売れるからです。
 その代わり、築地市場をどこかに移動させる必要があるが、な
るべく土地の安い場所に移動させることができれば、市場を建て
ても欠損の穴埋めができるからです。そしてそのターゲットとし
て選ばれたのが、豊洲の東京ガスの跡地なのです。そのさい、食
の安全・安心のことはまるで考えていなかったのです。まさに役
人の浅知恵です。土壌汚染のことなどほとんど考えていなかった
と思われます。       ──[中央卸売市場論/010]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ豊洲が選ばれたのか/「築地移転延期」
  ───────────────────────────
   そもそも、築地市場の移転先として豊洲が選ばれたのはな
  ぜか。老朽化が進んでいる築地市場をめぐっては、1980
  年代〜90年代に移転や現在地での再整備が検討されたが、
  調整の難航や整備費の増大などで、都はいったん計画を中断
  した。業界団体の要望などを受け、都は平成10年ごろから
  再び移転先の模索を開始。候補地には豊洲のほか、江東区の
  石川島播磨重工業造船所跡地や有明北、中央防波堤内側、中
  央区晴海の5ヶ所が挙がった。
   選定の条件となる用地の広さや交通アクセス、築地の商圏
  への近さを検討し、都は豊洲のみが全ての条件を満たすと判
  断した。ただ、対象地は東京ガスの工場跡地で、同社は土地
  売却に前向きではなかったが、移転を進める石原慎太郎知事
  (当時)は“右腕”の浜渦武生副知事(同)を交渉役にあて
  「三顧の礼を払って説得した」(石原氏)。
   ガスの製造過程ではベンゼンやシアン化合物、ヒ素などの
  有害物質が発生する。13年の同社による調査で、工場跡地
  の土壌から環境基準の1500倍に上るベンゼンが検出され
  たが、都は「東京ガスの土壌汚染処理が完了すれば問題はな
  い」とし、反対の声も上がる中で、同年に豊洲移転を正式に
  決めた。             http://bit.ly/2tgbu54
  ───────────────────────────

青島幸男元東京都知事.jpg
青島幸男元東京都知事
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 中央卸売市場論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
劉暁波氏の「08憲章」は共産党一党支配に反対し、権力分立、人権保障、公正な選挙を求めている。

多くの国で実証済みのごく穏やかな提案に過ぎない。

だが中国政府は「国家政権転覆扇動罪」に処した。その共産党政権こそ正統性を問われるべきだ。

劉氏の最後の言。「言論弾圧の最後の被害者になることを望む」
Posted by 残虐非道な中国政府 at 2017年07月18日 01:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/451766831
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック