2005年06月21日

テレサ・テンはなぜ香港で成功したか(EJ1617号)

 現在でも多くの日本人にとってテレサ・テンは、台湾出身の一
演歌歌手に過ぎない存在であると思います。テレサ・テンをEJ
で取り上げて12回目ですが、ここまでの記述では、台湾や中国
にとってテレサ・テンという歌姫がどのように重要な存在である
か、なぜ彼女が、台湾と中国の政治の奔流に巻き込まれたのかに
ついては、まだ明確には理解できないと思います。
 これを理解するには、テレサ・テンと香港との関係について知
る必要があります。テレサ・テンが香港に進出するのは、シンガ
ポール、マレーシア、タイ、ベトナムなどの華僑社会でのキャン
ペーンで大成功を収めてからのことです。
 1930年代以前の中国歌謡――とくに女性歌手は「毛毛雨」
(マオ・マオ・ユー―雨の日に鳴く猫の声)といって、独特の裏
声発声法を使っていたのです。ところが1930年代になると香
港における歌謡曲が一変するのです。西洋的なメロディが中心と
なって編曲もきちんと行われるようになり、「毛毛雨」は影をひ
そめるようになっていったのです。
 こういう時期に活躍した歌手としては、「何日君再来」のチョ
ウ・シュアン、パイ・コン、ヤオ・リー、リー・シャンラン(李
香蘭)が上げられます。
 そして1940年代になると、ジャズやクラシック、ダンスナ
ンバーの要素を取り入れた意欲的な中国語歌謡曲が作られ、流行
していくようになっていきます。
 1945年に中華人民共和国が成立すると、自由を愛する芸術
家たちは一斉に香港に逃げ出すのです。その結果、1960年代
までの香港では、中国語歌謡曲はラテンやポップスなどの新しい
音楽を取り入れて一段と西欧化が進み、いわゆる「上海歌謡」と
して定着していきます。
 1960年代になると、ビートルズ旋風が吹き荒れます。これ
が香港歌謡界に大きな影響を与えて、若者たちは、自由に音楽を
作って、それを自己表現の手段とするようになります。そして、
1970年代になって、香港歌謡界に台湾からテレサ・テンが登
場するのです。
 西欧化された上海歌謡に慣れていた香港人にとって、テレサ・
テンの歌う北京語の歌はとても新鮮に響いたのです。香港電台の
中国語番組制作部長は次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 彼女が北京語で歌う曲なら、民謡調の歌謡曲から欧米ポップス
 のカヴァーバージョンまで、何でも人気がありました。あの独
 特の情感に訴える歌い方やベビーフェイスの可愛らしさが、香
 港でもすぐ評判になったのです。
 ――平野久美子著、『テレサ・テンが見た夢』より 唱文社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もうひとつその当時、香港大学の学生バンド「ザ・ロータス」
のリーダーであるサミュエル・ホイが作詞・作曲する広東語ポッ
プスが大流行していたのです。
 サミュエル・ホイの軽快な広東語ポップスと愛らしいテレサ・
テンの北京語歌謡――それらは、それまで欧米ポップスにしか関
心を示さなかった香港の若者たちに中国語歌謡曲に関心を向けさ
せる力となったといえます。
 それに加えて、テレサ・テンの人気に拍車をかけたのは、19
70年代後半から1980年代にかけての香港での日本ブームな
のです。日本資本のデパートが大挙して香港に進出し、日本式ラ
イフスタイルがもてはやされた時代なのです。それに、オフコー
ス、キャンディーズ、近藤真彦、田原俊彦などなど、日本語ポッ
プスが大流行していたのです。そこに日本で成功したテレサ・テ
ンの歌が入っていったのです。
 6月17日のEJ第1615号で触れた香港でのテレサ・テン
/十五周年記念コンサートでのことです。第3部に登場したテレ
サ・テンは中国の歌の合間に、広東語、潮州語、台湾語、福建語
を使い分けて、香港、シンガポール、台湾、インドネシア、タイ
アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、世界各国からわざわざ
やってきた華人ファンに挨拶したあと、ひときわ声を張り上げて
北京語で次のようにいったのです。
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  ・・・それでは大陸から来てくださったお客さま!
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 そのとき、かなりの数のお客が立ち上がって、手が熱狂的に振
られたのです。既に述べたように、当時大陸では、精神汚染一掃
キャンペーンで、テレサ・テンの歌は禁止処分になっていたにも
かかわらず、延べの全観客7万人の20%にわたる1万人以上の
人がテレサ・テンのコンサートのために香港に来ていたのです。
続いてテレサ・テンは観客に次のように呼びかけます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       同胞の皆さんに盛大な拍手を!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そうすると会場からは地鳴りのような拍手と大歓声が巻き起こ
り、香港コロシアムのドームを揺らしたのです。そして、ラスト
ナンバーは、あの「何日君再来」だったのです。そのとき実際に
会場にいたという平野久美子さんの本では次のように書かれてい
るのです。
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 ラストナンバーはやはり「何日君再来」だった。会場を埋めた
 観客は総立ち状態。あまりに歓声が大きくてテレサ・テンの歌
 はほとんど聞こえない。フルバンドの演奏だけが耳に残った。
 歌い終わった彼女は何回も何回も「謝謝」をくりかえし、バッ
 クステージに消えていった。        ――前掲書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「私はどこにいてもチャイニーズです」――いつもテレサ・テ
ンはくりかえしていたのです。テレサ・テンのこの人気の凄さに
中国政府、台湾政府が関心を持たないはずはないのです。


≪画像および関連情報≫
 ・平野久美子著
『華人歌星伝説/テレサ・テンが見た夢』
  晶文社刊

1617号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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