であり、いわゆる国軍ではないのです。これはかつてのソ連も現
在の中国も同じです。このようにしておくと、クーデターが起こ
りにくいのです。
しかし、このような軍隊は強固な利益集団を形成し、その利権
や予算を争い、軍閥化する可能性が高いのです。江沢民時代の中
国ではそれが上海閥として顕在化したのです。
江沢民主席時代から、軍、すなわち人民解放軍を牛耳ってきた
軍人といえば、次の2人です。江沢民元主席の腹心です。
─────────────────────────────
東北の虎 ・・・・ 徐才厚
西北の狼 ・・・・ 郭伯雄
─────────────────────────────
その社会主義政権が最も嫌うのが党のための軍隊を国軍化する
ことです。胡錦濤前主席は人民解放軍の国軍化こそ政治改革の核
心であるとして、それに挑戦しようとしたのですが、江沢民元主
席を中心とする軍の猛反発によって挫折しています。そのとき、
胡錦濤前主席の改革を潰す先頭に立ったのが上記の2人です。
ちなみに、軍の国軍化は中国における「8つのタブー」の筆頭
に位置付けられています。「8つのタブー」とは、雑誌やメディ
アに通達されている取り上げることが禁止されている事項です。
─────────────────────────────
≪8つのタブー≫
1.軍の国軍化問題
2.三権分立
3.天安門事件
4.党・国家指導者及び家族の批判・スキャンダル
5.多党制
6.法輪功
7.民族・宗教問題
8.劉暁波
─────────────────────────────
ここで、中国において押さえておくべきことがあります。江沢
民と胡錦濤政権時代の20年間は、グローバル経済の発展のなか
で外交を極めて重視し、経済成長を優先に考えた政策をとったと
いうことです。その基本は、対日重視政策だったのです。
確かに江沢民政権は強い反日政策をとり、胡錦濤政権では靖国
問題や尖閣国有問題などは起きたものの、その基本は日本を重視
する政策だったのです。「政冷経熱」といわれるように、経済成
長が何よりも重要だったからです。しかし、それは習近平政権に
なってその外交政策は一変するのです。これについて、福島香織
氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
習近平の外交は、強い軍の存在と、それをきっちり掌握する強
い党であることが共産党体制維持の最重要課題であるから、周辺
の大国にはきわめて強い態度で出ることが大切であった。なので
習近平政権当初から、その外交政策は国際社会が目をむくような
横暴さであり、粗野であった。その中でもとくに、日本は敵視さ
れている。 ──福島香織著/『赤い帝国・中国が滅びる日
/経済崩壊・習近平暗殺・戦争勃発』/KKベストセラーズ
─────────────────────────────
習近平主席は、2012年11月の中央委員会総書記に就任時
点から強い意欲で軍制改革に取り組んだのです。2013年3月
に国家主席になると、その年の秋の三中全会のコミュニケに軍制
改革を盛り込んだのです。
そして軍を掌握するために上記の徐才厚と郭伯雄という軍に影
響力の強い大物上将を失脚させ、軍制改革をやりやすくしたので
す。2014年3月に徐才厚、2015年4月に郭伯雄を自らが
推進する反腐敗キャンペーンを名目に逮捕・失脚させ、軍制改革
の邪魔者を排除したのです。この2人を失脚させると、江沢民元
主席は影響力を発揮できなくなるからです。
習主席が進める軍制改革については、改めて詳しく述べますが
それは人民解放軍にとって不都合極まるものであったのです。そ
のため、当然のことながら江沢民派からのさまざまの抵抗はあっ
たのです。それが2015年8月の習近平主席とその幹部の暗殺
未遂事件につながってくるのです。
ところで、習近平という人物は、かつてのソ連の指導者フルシ
チョフ総書記に似ているといわれます。なぜなら、フルシチョフ
も軍制改革を行ったからです。社会主義革命から誕生した政権は
「銃口から生まれた政権」といわれますが、それは陸軍の銃口な
のです。フルシチョフの軍制改革は、陸軍軍縮であり、陸軍司令
部の撤廃です。これには、軍閥化している軍の大反発を招くこと
になります。このフルシチョフの改革について、福島香織氏は次
のように説明しています。
─────────────────────────────
フルシチョフは陸軍を軽んじて、核ミサイルの優先発展を決め
た。このことに盟友とされたマリノフスキー元帥は、各軍ともバ
ランスよく発展させるべきだ、陸軍を無視してはならないと反対
したが、フルシチョフはそれを聞かなかった。習近平は陸軍より
も海空軍の発展を優先させている。1964年のフルシチョフの
失脚は、軍に見放されたことが一つの重大な原因だとしている。
──福島香織著の前掲書より
─────────────────────────────
習近平主席による軍制改革も現在の陸軍中心の「軍区制」から
空軍と海軍中心の「戦略区制」に変更しようとするものです。こ
れはきわめて合理性があるのです。なぜなら、現在の中国にとっ
て、陸の国境線から攻め込まれるリスクは、ほとんどないからで
す。そうであるとすると、陸軍は大幅に削減されることになりま
す。これが習主席のいう「30万人の兵力削減」です。
──[米中戦争の可能性/013]
≪画像および関連情報≫
●フルシチョフの時代
───────────────────────────
フルシチョフの時代は、あの有名な『スターリン批判』か
ら始まる。第20回党大会において、外国代表を締め出し、
スターリンの個人崇拝、独裁政治、粛清の事実を公表した。
特に粛清について発表された数字は世界に衝撃を与えた。第
17回党大会で選出された中央委員・同候補139名のうち
98名が処刑、党大会の代議員全体1986名のうち110
8名が同様の運命をたどった。彼らに科せられた「反革命」
の罪状は、その大半が濡れ衣であったと言うものであった。
スターリン批判はスターリンの個人批判にとどまり、それが
可能にになった体制の問題にまで掘り下げられなかった。
スターリン批判によって重い空気は取り払われたが、政治
体制、経済政策はスターリン時代を踏襲したものであった。
消費産業に一定の配慮はされたものの、軍需・重工業重点は
変わらず、5か年計画は継続された。農業政策に通じていた
彼は、農業改革を実施。西シベリアや中央アジア等の処女地
開墾を行い食料・農産物の増産に成功する。特に中央アジア
では大規模灌漑で、綿花生産は大きな成果を挙げ、一帯は綿
花地帯と化し綿工業も発達した。農業生産での成功で、数年
の間にアメリカを追い越すとフルシチョフは豪語するように
なった。実はソ連は広大な耕作地を持ってはいたが、気象条
件に左右される環境にあり、相次ぐ戦乱、集団化の失敗等で
悩みは農業問題で、食料が自給出来なかったのであった。
http://bit.ly/2iMdodj
───────────────────────────
フルシチョフと習近平