たプロセスをもう一度振り返ってみます。
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◎1774年 9月 ・・・ 第1回大陸会議
◎1775年 4月 ・・・ 独立戦争勃発
◎1775年 5月 ・・・ 第2回大陸会議
◎1776年 7月 ・・・ 独立宣言採択
◎1781年10月 ・・・ 独立戦争終結
◎1787年 9月 ・・・ 合衆国憲法制定
◎1789年 4月 ・・・ 初代大統領就任
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このプロセスから、米国の独立が通常の国の独立運動とは違う
ところが見えてきます。次の2つのポイントがあります。
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1.独立戦争が始まってから、1年3ヶ月後に「独立宣言」
が採択されていること
2.戦勝の6年後に憲法が制定され、その1年半後に連邦政
府が発足していること
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「1」から考えます。
英国による米国植民地への懲罰的な課税に反発して、米国植民
地13州のうち、ジョージア州をのぞく12洲がフィラデルフィ
アに集まって、会議を開いています。これが第1回大陸会議とい
われるものです。1774年9月のことです。
このとき、パトリオット(愛国者)、ロイヤリスト(王政派)
厭戦ノンポリ、それぞれ3分の1ずつであったといいます。それ
ぞれ議論はあったものの、パトリオットの主張によって、「宣言
と決議」で植民地に対する英国議会の立法権の全面的否定と、英
国の不輸入、不輸出、不消費を守るための「大陸通商断絶同盟」
結成を宣言したのです。この参加者のなかに、初代大統領になる
ヴァージニア州代表のジョージ・ワシントンがいたのです。
戦争はいきなりはじまったのです。ことは英国軍がボストン近
郊のコンコードに貯蔵されていた植民地側の軍需物資を接収する
ため出動したことが発端です。
この当時、植民地側の米国には、州ごとに州兵や地方を守る民
兵がいただけで、職業的な軍隊などなかったのです。とても精強
な英国軍に太刀打ちできるレベルではなかったのです。当時の状
況については、ウィキペディアを参照します。
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戦争が始まったとき、アメリカには職業的な陸軍も海軍もなく
各植民地には地元の民兵隊が存在するのみで、これが自らの地域
防衛にあたっていた。独立戦争前のアメリカでは、イギリス軍が
各植民地の民兵隊を補助的に用いていた。開戦時、一部を除いて
この民兵隊のほぼ全てがアメリカ軍に加わった。
民兵の装備は簡単なものであり、ほとんど訓練されておらず、
通常は制服もなかった。当時、民兵の従軍期間は数週間から数か
月間に限られており、家から遠く離れた所へは行きたがらなかっ
たので、通常大規模な作戦には使えなかった。民兵には正規兵の
ような訓練や規律が欠けていたが数では勝り、レキシントン・コ
ンコードの戦い、ベニントンの戦いとサラトガ、さらにボストン
包囲戦では正規兵を打ち負かすことができた。米英両軍共にゲリ
ラ戦を用いたが、アメリカ軍はイギリス軍正規兵がいない地域で
効果的に王党派の活動を抑えた。 http://bit.ly/2daPKV3
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英国軍がコンコードの軍事物質を奪いに来るという情報は事前
に漏れていて、米国側はほとんどの物質を移動していたのですが
やって来た英国軍とレキシントンで衝突し、ゲージ将軍率いる英
国軍兵士数名が死亡、コンコードでは244名が死傷するという
戦闘に発展したのです。これが独立戦争の事実上のはじまりにな
ったのです。これが「レキシントン/コンコードの戦い」です。
パトリオットたちは、これは独立戦争の開始であると捉えて、
1775年5月10日、フィラデルフィアで第2回大陸会議を開
催します。この会議は米国独立革命の最高の連絡会議になってい
たからです。
この会議において、13州の代表は「武力抵抗の理由と必要の
宣言」を採択し、アメリカ連合軍を創設し、ジョージ・ワシント
ンを総司令官に任命したのです。これを受けてワシントン将軍は
ボストンに向い、ヨーロッパ諸国と外交関係を結ぶために、外交
使節の派遣と戦争遂行に必要な紙幣の発行を決めています。そし
て、ペンシルヴァニア州代表のフランクリンが「連合の規約と永
久の連合」案を作成し、1776年7月に独立宣言を採択したの
です。「1」の独立戦争開始の1年3ヶ月後に独立宣言が採択さ
れた事情は、以上の通りです。
独立戦争がはじまる前の状況では、いわゆる「パトリオット」
と「ロイヤリスト+厭戦ノンポリ」が強く対立していたのです。
しかし、「ロイヤリスト+厭戦ノンポリ」は、「パトリオット」
のリーダーシップに引きずられたといえます。トマス・ジェファ
ーソン、アレクサンダー・ハミルトン、トーマス・ペインなどが
強力なリーダーシップを発揮したのです。
冷泉彰彦氏の本には、「パトリオット」と「ロイヤリスト+厭
戦ノンポリ」の対立軸が出ているので、それを添付ファイルにし
てあります。実は冒頭の「2」、すなわち「戦勝の6年後に憲法
が制定され、その1年半後に連邦政府が発足していること」につ
いての解明はこの対立軸に深く関係します。
つまり、連邦政府を設立することに対して、パトリオットによ
る「理想を追い求める賢人政治」とロイヤリストと厭戦ノンポリ
による「現実のなかで個別の実利を追い求める大衆世論」の対立
が生まれるのですが、後者がポピュリストと呼ばれる勢力になっ
ていきます。これについては、明日のEJで述べます。
──[孤立主義化する米国/067]
≪画像および関連情報≫
●欧米で台頭するポピュリズム、背景にあるもの
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現在の政治ムードを表す言葉を1つ挙げるとすれば何だろ
うか。怒り、不安、ポピュリズム(大衆迎合主義)――。い
ずれを選ぶにしても確かなのは、大西洋を挟む両サイドの雰
囲気に等しく当てはまるだろうということだ。欧州と米国の
政治潮流は往々にして同調するが、今ほどそれが如実なこと
はめったにない。どちらでも政治的な既成勢力が揺らぎ、非
主流派が舞台の中央に躍り出ている。各政党は様変わりし、
有権者は従来の支持政党から離れているようだ。
米国でこうした流れを明白に表しているのが、大統領選の
共和党候補指名争いで富豪のドナルド・トランプ氏が首位を
走っていることだ。トランプ氏は政党登録を5度変えており
すんなりと定義づけられるイデオロギーや政策綱領を持たな
い。最も知られている政策は不法移民のほか、少なくも一時
的にイスラム教徒を国から締め出すという方針だ。同氏の主
なセールスポイントは、米国の政治階級を「ばか」と呼んで
はばからないことと、大統領就任のあかつきにはワシントン
の全てをぶち壊すと公約している点だ。
しかし、これはトランプ氏だけにとどまらない。左派のバ
ーニー・サンダース上院議員が民主党の指名争いで大健闘し
ている。彼らが実践する反体制的な政治は、大統領選に出馬
する数カ月も前から欧州でも拡大していた。欧米でこうした
機運をあおっているのは、中間層が感じている経済的な不安
や、流入する移民に雇用を奪われ、社会保障費などの公的資
金が吸い取られることへの警戒感だ。
http://on.wsj.com/2ecvyhC
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●図表の出典/冷泉彰彦著/『民主党のアメリカ/共和党のア
メリカ』/日本経済新聞社刊
独立戦争から建国当初の対立軸