実を明らかにしていきます。ビル・クリントン第42代米大統領
のことをどのように評価しているでしょうか。
ビル・クリントン元大統領は、1993年1月から2001年
1月まで2期にわたり、大統領職を務めています。一般論として
の評価としては、経済政策を重視し、米国に世界大戦後2番目に
高い好景気を実現させることによって、米国の巨額の財政赤字を
削減することに貢献した大統領としての高い評価があります。
しかし、その一方において、在任中はモニカルインスキーとの
不倫などのスキャンダルが暴露され、窮地に陥ると、そのタイミ
ングに合わせるかのように、アフガニスタンやスーダンへの爆撃
を行っています。これらの攻撃は、「スキャンダルから目をそら
させるための爆撃」であるとして批判されたものです。
さらに日本人にとっては最も友好的でない大統領として親しみ
を感じない人が多かったと思います。それは彼の姿勢が露骨に中
国寄りだったからです。あるサイトでは、クリントン元大統領の
対日姿勢について次のように述べています。
─────────────────────────────
(クリントン元大統領は)基本的に、日本嫌いで中国に友好的
であるという姿勢を隠していませんでしたので、そこが評判の悪
さの基本だと思います。中国で江沢民に反日政策を取らせたのが
クリントン大統領だといわれています。
アジア太平洋地域では歴代政権と違い親中華人民共和国であり
今後の主要な貿易相手国としての重要性を認める一方、日本や中
華民国(台湾)などの同盟国には非常に厳しかった。1998年
の中華人民共和国訪問時には、江沢民総書記(当時)との会談で
「台湾の独立不支持、二つの中国及び一中一台の不支持、台湾の
国連等国際機関への加盟不支持」を表明し、台湾だけでなく、ア
メリカ国内の保守派からも大きな非難を浴びた。日本政府に対し
ては減税や銀行への公的資金の投入を高圧的に内政干渉にも近い
形で要求し、当時の橋本首相さえも激怒したという。
http://bit.ly/2b5w8MD
─────────────────────────────
結論からいうと、このビル・クリントン氏は、米国大統領とし
てはたいした人物ではなかったのです。いわゆる裏の寡頭勢力に
担がれた大統領に過ぎなかったのです。
ビル・クリントン氏は彗星のごとく現れ、あれよあれよという
間に支持を固めて大統領になっています。その相手の共和党の候
補は、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(父)であり、湾岸戦
争で、イラクを破った大統領の2期目であったのです。米国では
戦争に勝利した大統領は人気が高く、大統領選では無敵といわれ
ているのですが、無名のビル・クリントン氏はそのブッシュ氏を
破って大統領になったのです。
このビル・クリントン氏については、2006年5月8日付の
EJで書いているので、ここではそれをリライトしてお届けする
ことにします。
クリントン氏の政治経歴は、アーカンソー州の知事を12年勤
めただけです。その実績はどうだったのでしょうか。
アーカンソー州の人口は約260万人、全米人口の100分の
1に過ぎない小さい洲です。この洲の当時の状況について、米国
のいくつかの研究所が行った調査の結果は次の通りです。
─────────────────────────────
勤労者の平均賃金 → 49位 全般的福祉状況 → 45位
平均個人所得 → 47位 幼児の死亡率 → 49位
全般的労働条件 → 49位 若年層の雇用 → 50位
教師の給与 → 50位 環境政策 → 48位
─────────────────────────────
これを見ると、米国50州のうち、いずれも最下位かそれに近
い順位であることがわかると思います。このドン尻の州を当時の
クリントン知事が引き継いで、30位ぐらいにしたというのであ
れば、見事な行政手腕といえますが、12年やって49位のまま
だったのです。これでは、行政手腕のなさを疑われても仕方がな
いでしょう。
1992年4月、クリントン氏はニューヨーク州での予備選挙
で勝利し、民主党大統領候補の指名を確実にしたのですが、その
時点での評判はあまりよくなかったのです。それは次の数字によ
くあらわれています。
この数字は、予備選に投票した民主党員のなかで「現在立候補
している人物以外に立候補して欲しい」と答えた人の比率です。
─────────────────────────────
ニューハンプシャー州 ・・・・・ 29%
ジョージア州 ・・・・・・・・・ 40%
スーパーチューズデイ ・・・・・ 50%
コネチカット州 ・・・・・・・・ 60%
ニューヨーク州 ・・・・・・・・ 66%
─────────────────────────────
それに加えてクリントン氏については、アーカンソー洲知事時
代、女性スキャンダル、マリファナ疑惑があり、予備選の期間中
メディアはそれを取り上げて、さんざん批判したのです。このよ
うに、まともであればとても米国の大統領になれるような人物で
はなかったといえます。
ところがです。ビル・クリントン氏が正式に民主党の大統領候
補に指名されると、メディアの攻撃が一斉にストップし、好意的
なものに変わるのです。そしてメディアの攻撃の矛先は、クリン
トン氏の相手のブッシュ氏(父)に向けられたのです。
問題は、そのようなクリントン氏は、なぜ米国の大統領選に出
ることができたのでしょうか。大統領選に出るには大変な資金が
かかるのです。その資金はどこから調達したのでしょうか。
これら多くの疑問がありますが、この謎については明日のEJ
で述べます。 ──[孤立主義化する米国/029]
≪画像および関連情報≫
●世界中を狂乱の渦に巻き込んだ不倫スキャンダルの顛末
───────────────────────────
1998年、第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリン
トンの浮気が発覚した。相手は、ホワイトハウス実習生モニ
カ・ルインスキー24歳。大統領の不倫スキャンダルはマス
コミ報道に煽られ、世界は狂乱の渦に巻き込まれた。
不倫スキャンダルの5年前の1993年、46歳のクリン
トンは、第二次世界大戦後に生まれたベビーブーマー初の大
統領となる。1996年に再選。ババ(兄弟)のニックネー
ムで、国民的な支持と人気を一身に受けたものの、在位の2
期8年は数々の疑惑やスキャンダルにまみれる。大統領の下
半身問題は、政敵の格好の攻撃材料になった。
1994年、クリントンは、アーカンソー州知事だったと
き、部下だったポーラ・ジョーンズにセクハラ容疑で告訴さ
れた。クリントンは、ホワイトハウスの実習生ルインスキー
と性的関係を持っていたが、公判中、ルインスキーとの性的
関係を否定する。
ところがクリントンは、ルインスキーに「私と関係があっ
たことを裁判で言わないでくれ」と念押ししていた。困った
ルインスキーは、同僚に電話をかけて相談を持ちかける。話
を聞いた同僚は、裁判で偽証することを拒み、ルインスキー
との会話のテープを公にした。 http://bit.ly/2bxEEFh
───────────────────────────
ビル・クリントン元米大統領