01年〜1909年)という人物がいます。セオドラ・ルーズベ
ルトには、次の有名な言葉があります。
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太い棍棒を携えつつ、穏やかに話せ、さればさらに遠くまで
前進できる。 ──セオドラ・ルーズベルト
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「穏やかに話せ」といっていますが、ルーズベルトは穏やかに
話したことなど生涯を通じて一度もなく、いつもカン高い声と派
手な身振りで、熱っぽく話し、あらゆる事柄にエネルギッシュに
対応した大統領として知られています。
一部には軍国主義者であるとの評価はあるものの、生涯に40
冊以上の本を著しており、そのテーマも、海軍の歴史からバード
ウォッチングにいたるまでの幅広く多岐にわたっていたといわれ
るルネッサンス風教養人だったのです。
彼は、いわゆるモンロー・ドクトリンを拡大解釈し、西半球の
どの国ともヨーロッパ諸国からの侵害を受ければ、戦い、撃退す
ると言明しているのです。そして、モンロー・ドクトリンに関連
して、「世界の警察官」宣言をしています。
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南北米の秩序を守るためには、アメリカが国際的警察権を行
使する用意がある。 ──セオドラ・ルーズベルト
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なお、セオドラ・ルーズベルトのいう「太い棍棒」とは海軍力
のことを指しています。彼は、米海軍きっての戦略家アルフレッ
ド・セイヤー・マハン提督の『海上権力史論』を精読し、米国の
シーパワーの復活が通商の拡大と繁栄を導くと力説し、海軍力を
増強しなければ、モンロー主義宣言と米国の名誉を放棄すること
になると力説したのです。このマハン提督の本には、次のような
ことが書かれています。
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アメリカ西岸の安全のためにはサンフランシスコから3000
マイル以内にある港湾、すなわちハワイ・ガラパゴス・中南米な
どに外国の給炭所を獲得させないという不退転の決意をもたなけ
ればならない。 http://bit.ly/2aRfaUD
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このように、米国が英国に次ぐ海軍力を持つ海洋国家を目指し
たのは、このマハン提督の本とそれを実際に行動に移したセオド
ラ・ルーズベルトの影響が大きかったといえます。この頃から米
国はワシントンやジェファーソンが唱えた孤立主義を捨て、モン
ロー・ドクトリンを拡大解釈して、その行動面では、欧州列強に
負けじと海外権益を拡充する積極介入主義に変化していったので
す。孤立主義からの脱却です。
ちなみに、このセオドラ・ルーズベルト大統領の、次の次の第
28代米国大統領がウッドロー・ウイルソンであり、彼の下で米
国は第一次世界大戦に遭遇するのです。そして、国際連盟が結成
されることになるのです。これについて、既出の高畑昭男氏は次
のように述べています。
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マッキンレーや、セオドア・ルーズベルトが「力の外交」に目
覚めて対外積極介入に転じ、領土や利権の拡大などの実益を追求
したのに対し、ウィルソンは道義や理念の側面から積極外交を推
進した。自由や民主主義といったアメリカの価値を世界に広げる
「国際主義」を、外交の柱に据えたのである。
──高畑昭男著『「世界の警察官」をやめた
アメリカ/国際秩序は誰が担うのか』/株式会社ウエッジ刊
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上記の「マッキンレー」とは、第25代米大統領ウイリアム・
マッキンレー(在任:1897年〜1901年)のことです。こ
マッキンレー大統領の時代に「メイン号事件」が起こります。こ
の事件は、米国の陰謀といわれているので、どのような事件か述
べておくことにします。
米国は、中南米を支配下に置きたいと考えていたのですが、当
時はキューバ、グアム、フィリピンなどはスペイン領だったので
す。マッキンレー大統領は気の優しいナイスガイだったのですが
利権は守るという考え方の持ち主だったのです。
とくにキューバは何年間かにわたり、その宗主国のスペインに
対し、反乱を起こして戦っていたのです。そのため、キューバの
首都のハバナに米国は巨額の投資をしており、それが危険にさら
されていたのです。しかし、南北戦争で懲りている米国民はスペ
インとコトを構えるのは絶対反対だったのです。
そういうわけでマッキンレー大統領は、資産を守る名目で、戦
艦「メイン」をハバナ港に派遣します。ところがその戦艦「メイ
ン」が、ハバナ港に入った直後に突然爆発し、乗船していた米兵
200名以上が死傷したのです。
米国のメディアは、これはスペインによる仕業であるとする記
事を大々的に報道したのです。これが米国民の怒りに火を注ぎ、
スペインとの戦争に発展します。米西戦争です。その結果、この
戦争に勝利した米国は、スペイン領のキューバ、グアム、フィリ
ピンを次々に勢力下に置いたのです。
まるで戦争になることがわかっていたような米軍の手際の良過
ぎる対応から、当時から本当にスペインの仕業かどうか疑われて
いたのです。つまり、戦艦「メイン」の爆発は、米軍による自作
自演ではないかと思われていたのです。しかし、多くの米兵も死
傷していることから、まさかとは考えられていたのです。
事件から約70年以上が過ぎた1970年代になって、この事
件は米国の謀略であったことが証明されています。米海軍自身が
スペインの騙し討ちではなく、米国の自作自演の芝居であったこ
とを認めたのです。領土拡張のためなら、自国民も殺害する国で
あったということです。 ──[孤立主義化する米国/020]
≪画像および関連情報≫
●戦艦「メイン」号事件について
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19世紀も半ばになって、かつての大植民帝国スペインは
次々と領土を失い、没落の一途をたどる。(ただし勘違いし
てはならないのは、植民地時代に作り上げた人と金と物の流
れ、特にカトリック組織を通した通路は決して失われていな
いということだ。一つの帝国にとって「旧植民地」は単なる
「旧」では無い)最後に残された植民地は、キューバ、プエ
ルトリコ、フィリピン、グアム周辺と、アフリカの一部(現
在の赤道ギニアとサハラウイ)であった。1880年代以降
はそのキューバとフィリピンで独立運動が盛んになりスペイ
ン政府は激しく弾圧を繰り返す。1895年にキューバで、
ホセ・マルティー(同年に殺害される)が指導する独立運動
が大きな盛り上がりを見せ状況は危機的になる。
一方、南北戦争の混乱から立ち直り、またインディアンの
大虐殺と土地の強奪をほぼ完了させたアメリカ合衆国は、南
北戦争でやや出遅れた感のある帝国主義的進展を開始させる
時期にあった。彼らにとってフィリピンなどの太平洋の諸島
とカリブ海はまさに垂涎の的であった。キューバにはすでに
砂糖キビ・プランテーションに大量の米国資本が投下されて
いたのだ。まさに「甘い汁」である。そして国内のイエロー
・プレス(イエロー・ジャーナリズム)と呼ばれる様々な新
聞が「スペインによるキューバ人大虐殺」を書きたて、国民
の反スペイン感情を煽ってていたが、同時にそれは「独立と
自由を守る正義のアメリカ人」という国民のナルシシズムを
心地良くくすぐるものでもあっただろう
http://bit.ly/2aKSLGr
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セオドラ・ルーズベルト元米大統領