=孤立主義」は、第3代大統領トマス・ジェファーソンに引き継
がれ、それは第5代大統領ジェームズ・モンローによってさらに
発展させられるのです。
ところでモンロー大統領とは、どういう人物だったのでしょう
か。コルマック・オブライエン氏の本から、モンロー大統領の項
目の一節を引用します。
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あるときジェファーソンは友人のモンローのことを、「彼の心
はあらぬ方向に向っているかもしれない。彼の心は外に、海外に
向かっている。だが、その心は純粋で、悪いという根拠はなにも
見つからない」。こういったモンロー評は一般的なもので、大統
領としての彼はたいていの場合、勤勉で優しい気質を反映した仕
事ぶりだった。 ──コルマック・オブライエン著/平尾圭吾訳
『大統領たちの通信簿』/集英社刊
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モンロー大統領は、1817年から1825年の8年間大統領
職にあったのですが、当時のアメリカ大陸にはヨーロッパの植民
地が多く残っていたのです。したがって、モンローの時代は、ア
メリカ大陸内のヨーロッパの植民地に対して、米国としてどのよ
うに向き合うかが問われていたといえます。
そういう背景を受けて、モンロー大統領は、1823年12月
に議会に提出した一般教書のなかで、外交方針として次の3つの
原則を打ち出したのです。
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1. 欧州への不干渉と中立
2. 南北米大陸への不干渉
3.欧州による南北米への干渉阻止
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これらの3つの原則は、米国はヨーロッパ諸国に干渉しないが
同時にアメリカ大陸全域に対するヨーロッパ諸国の干渉にも反対
するという思想です。モンローは、独立戦争を戦った最後の世代
のワシントン(初代)、ジェファーソン(第3代)、マディソン
(第4代)と続く、ヴァージニア州出身の大統領です。
モンロー大統領は、上記3つの不干渉原則を踏まえて、具体的
に次のような外交方針を打ち出したのです。これは「モンロー・
ドクトリン」と称され、米国の基本的な外交方針として、20世
紀前半まで維持されたのです。
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1.合衆国は、新世界でヨーロッパ強国が所有している植民地
に干渉しない。
2.ヨーロッパ強国がその君主制の制度を西半球のいかなる地
域にせよ広げようとすることは我国の平和と安全にとって
危険なものと見なす。
3.すでに独立を達成した国を圧迫するヨーロッパの強国は合
衆国に対する非友好的な意向を示すものと見なす。
4.アメリカ両大陸は今後、ヨーロッパ強国によって将来の植
民の対象と考えてはならない。また、合衆国としてはヨー
ロッパの事態に干渉する意図はない。
http://bit.ly/2aod9iT
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考えてみると、第二次世界大戦は日本が参戦するまでは、ヨー
ロッパの戦争であったといえます。ヨーロッパではナチスドイツ
が台頭し、フランスが完全に占領され、英国も大空襲されていま
す。そのため、連合国はしきりに米国に参戦を求めますが、米国
はモンロー主義を盾に取り、参戦を拒んだのです。当時の米国の
世論は、戦争に巻き込まれることを極度に嫌ったのです。
米国にいわせると、これを破ったのは日本軍による真珠湾攻撃
が原因であると主張します。なぜなら、これによって米国の世論
は「好戦的」に変化したというのです。
これについては、当時、ルーズベルト大統領は日本の真珠湾攻
撃を事前に知っていたといわれています。しかし、あえて日本に
攻撃させることで、アメリカの世論を変化させ、連合軍への参加
のきっかけにしようとしたというのです。
もっと陰謀論的にいうと、ルーズベルト大統領は、わざと日本
を米国と戦争せざるを得ない状況に追い込み、真珠湾を攻撃させ
たとなります。これが、ルーズベルト大統領が第二次世界大戦後
に国連を立ち上げて、モンロー主義を「国際主義」に発展させよ
うとした動機になったのではないでしょうか。
その後の米国は、このモンロー・ドクトリンを基本とする外交
の下で、着々と国力を増強していったのです。これについては、
高畑昭男氏の本から引用します。
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若いアメリカはモンロー・ドクトリンを基本とする外交の下で
着々と国力を蓄えていった。ナポレオン時代のフランスからルイ
ジアナ領を購入(1867年、ジェファーソン大統領)し、帝政
ロシアからアラスカを購入(1867年、アンドリュー・ジョン
ソン大統領)した他、メキシコから分離独立したテキサス州を併
合しただけではなく、米墨(メキシコ)戦争(1846〜48年
ジェームズ・ポーク大統領)に勝利して、メキシコ領だったカリ
フォルニアなども手に入れて、領土を大幅に西へ拡大した。奴隷
制をめぐって国を二分した南北戦争(1861〜65年)では、
アメリカ分裂を画策する英国の介入を阻止するために苦心したが
それ以外の期間は欧州列強に対する中立と孤立主義の外交を維持
することによって、おおむね平和と繁栄を享受し、めざましい勢
いで国土と国力を増やしていったのである。
──高畑昭男著『「世界の警察官」をやめた
アメリカ/国際秩序は誰が担うのか』/株式会社ウエッジ刊
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──[孤立主義化する米国/019]
≪画像および関連情報≫
●トランプ氏はモンロー主義に戻りたい米国民の本音を語って
いる/杉江義浩のオフィシャル
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11月の選挙でドナルド・トランプ氏がアメリカ合衆国大
統領になろうとなるまいと、米国民の本音は「アメリカ・フ
ァースト」であることに変わりはありません。言ってみれば
よその国のことはどうでもいい、外国の問題に関わるのはや
めて、アメリカ人の幸せだけを考える政府にしよう、という
非常に内向きな考え方です。その考え方が今や主流になろう
としています。
日本や韓国、あるいはヨーロッパにアメリカ軍を駐留させ
たり、アフガニスタンやイラクに攻撃をしたり、と「世界の
警察官」と呼ばれるくらい積極的に外交上のリーダーシップ
をとってきた昨今のアメリカしか知らない僕たちには、にわ
かに信じがたいことです。けれどもこのような外交に積極的
なアメリカの姿は、アメリカ建国以来の歴史を見ると、ここ
70年あまりの一時的な姿にすぎないことが分ります。本来
のアメリカは、もともと、とても内向きな国だったのです。
1823年、第5代アメリカ大統領ジェームズ・モンロー
が議会で演説して提唱した外交方針であるモンロー主義とい
うのがあります。アメリカ合衆国は南北アメリカのこと以外
には口を出しませんよ、ヨーロッパはヨーロッパで、好きに
やってください、と明言したのです。モンロー主義とは、典
型的なアメリカ孤立主義だとも言えます。
http://bit.ly/2aoIOh1
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モンロー米5代大統領