2016年08月04日

●「ジェファーソンは何をやったのか」(EJ第4333号)

 異例づくしの今回の米国の大統領選挙の背景について知るには
アメリカ合衆国の外交の歴史を振り返る必要があります。とくに
当初泡沫候補者といわれたドナルド・トランプ氏が、なぜ共和党
正式候補者になれたかについては、それが必要なのです。
 昨日のEJでも述べたように、米国外交の基本的理念は、初代
大統領のワシントン、第3代大統領のジェファーソン、第5代大
統領のモンローによって築かれたといえます。これら3人は、米
国の孤立主義というDNAを形成したといえます。
 それでは、非同盟主義を説いたワシントン大統領の国務長官を
務めたトーマス・ジェファーソンとは、どのような人物であった
のかについて考えてみることにします。
 トーマス・ジェファーソンといえば、「独立宣言」の起草者と
して有名です。「独立宣言」は、トマス・ジェファーソンが起草
し、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスが修正して
アメリカ独立戦争の2年目にあたる1776年7月2日の第2回
大陸会議総会で13植民地の全会一致で決議されています。8日
にフィラデルフィア市民に正式発表、翌日ニューヨークのワシン
トン軍の前で朗読されたのです。
 米国の独立宣言は、イギリスの圧政、悪政を告発し、平等、自
由、幸福の追求などの基本的人権と圧政に対する革命権を認め、
高らかに宣言したものです。ジェファーソンは起草者ですから、
独立宣言には彼の考え方がよくあらわれています。
 ジェファーソンは国務長官として、政府の中枢に入りますが、
財務長官のハミルトンや副大統領のジョン・アダムスなどを中心
に、連邦政府の権限を強化すべきであると主張するフェデラリス
トがたくさんいたのです。ジェファーソンはこれに反対したので
アンチ・フェデラリストといわれます。
 1791年にジェファーソンは、アンチ・フェデラリストを結
集して「リパブリカン党」を結成します。そして、両派は大論争
を巻き起こすことになるのです。
 1797年、第2代大統領を選ぶ選挙で、フェデラリストのア
ダムズが当選し、ジェファーソンは次点だったのです。ところが
そのときの規則では、副大統領は次点が就くことになっていたの
です。つまり、大統領はフェデラリスト、副大統領はアンチ・フ
ェデラリストですから、うまくいくはずがないのです。これは、
1804年に改正されるのですが、このようなヘンな規定が残っ
ていたのです。
 しかも、当時副大統領職は、初代副大統領のジョン・アダムズ
が「人類の作った最も不要な職」と嘆いたほどの閑職であり、超
ヒマなポストだったのです。このときの状況について、米国の歴
代の大統領について詳しいジャーナリスト、コルマック・オブラ
イエン氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 1797年、ワシントンは大統領の座を降りる際、後継者たち
に「パーティ・ポリティックス(党利党略優先の政治)に陥って
はならない」とクギを刺して退いた。
 しかし、それは完全に無視された形になり、フェデラリストと
リパブリカンの対立はどんどんヒートアップした。それに比べれ
ば今日の民主・共和両党の確執などは、まるで子供の喧嘩のよう
なもの。アダムズ自身は自党のフェデラリストとは一線を画し、
党優先を避けるために自分の考えを全面に押し出して、意思決定
をするようになった。こうした姿勢は双方の党から反発を招く結
果となった。  ──コルマック・オブライエン著/平尾圭吾訳
             『大統領たちの通信簿』/集英社刊
─────────────────────────────
 4年後の1801年の大統領選では、ジェファーソンはアダム
ズを破り、第3代大統領になります。1804年に選挙法は改正
され、次点を副大統領にするという規則はなくなり、少しずつ正
常化されていきます。ジェファーソンは、2期の1809年まで
大統領を務めますが、次のような綱領を公表します。それまで政
党は綱領を公表することはなかったので、画期的なことです。そ
こには、ジェファーソンの政治信条が明確に出ています。
─────────────────────────────
 私はあらゆる国との自由貿易に賛成する。政治的な結びつきは
どことも結ばない。外交的機関はほとんどないかあるいは無であ
る。私は新しい条約を結んでヨーロッパの紛争に入って行こうと
は思わない。ヨーロッパの均衡を保つために虐殺の戦場に入ろう
とは思わない。自由の原則に対抗する戦争に対して国王達と同盟
を結ぼうとは思わない。      ──トマス・ジェファソン
                   http://bit.ly/2amVSX8
─────────────────────────────
 この綱領を見るとわかるように、ジェファーソンの政治信条は
ワシントンの非同盟主義が色濃く反映されています。それに加え
てジェファーソンは、大統領就任演説において、文官の武官に対
する優位、少数意見の尊重、信仰の自由、言論出版の自由など、
民主主義の原則を打ち出しています。このような民主主義の高ま
りを「ジェファソニアン・デモクラシー」といっています。
 またジェファーソンはリパブリカン党であり、連邦政府の権限
の強化、巨大化には反対していたので、「連邦政府は国防と外交
を、それ以外は州政府で」という、現在でいう「小さな政府」を
実現しようとしたのです。
 そして、大統領任期の最後の1808年には、予定されていた
とおり、黒人奴隷貿易を禁止する措置を決定しています。しかし
奴隷制度自体は残っており、それを廃止する南北戦争は1861
年に起きるのです。
 ジェファーソンは、アンチ・フェデラリストである自分が政権
を持つ意義を「1800年の革命」と呼んでいます。このジェフ
ァーソンの薫陶を受け継いだのが、第5代大統領になるジェーム
ズ・モンローです。モンローはこれを発展させ、モンロー・ドク
トリンをまとめるのです。──[孤立主義化する米国/018]

≪画像および関連情報≫
 ●ジェファソン政権の特色
  ───────────────────────────
   1800年の大統領選挙は「1800年の革命」と呼ばれ
  ることが多い。ジェファソンはそれを、「1776年の革命
  が政府の形体上の革命だったように、それは政府の原理上、
  真の革命でした。それは剣によって達成されたのではなく、
  理性的かつ平和的な改革の手段、すなわち人民の投票によっ
  て達成されました」と説明する。
   ジェファソンにとって「1800年の革命」は「第2のア
  メリカ革命」であった。さらにアメリカという広大な領域に
  共和制を樹立するという「実験」は<ジェファソンにとって
  「共和政ローマ時代以来全く例を見ない」ものでもあった。
  ジェファソンの理念はアメリカだけにとどまらず、「我々自
  身のためだけに行動するのではなく、全人類のために行動し
  ている」と述べているように全人類をも対象にしている。そ
  れは当時のアメリカの使命感を如実に示している。
   従来、ジェファソンは、弱体な行政府を望み、「黙示的権
  限」の合憲性に対して疑義を唱えていた。ジェファソンの考
  えによると、各州はその領域内で大幅な権限を保持し、連邦
  政府は専ら外交と通商問題を担うようにするべきであった。
  そうすれば連邦政府を「非常に簡素な組織」にとどめること
  ができ、僅かな職員と費用で済ませることができると大統領
  になる少し前にジェファソンは語っている。
                   http://bit.ly/2aDYBMR
  ───────────────────────────

トマス・ジェファーソン米3代大統領.jpg
トマス・ジェファーソン米3代大統領
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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