2016年08月03日

●「米国は孤立主義のDNAを有する」(EJ第4332号)

 米国外交といえば「同盟外交」といわれます。冷戦時代におい
て米国は、自国を防衛し、東側陣営に対抗するため、価値観を同
じくする国とは同盟関係を築くことにより、自由世界の安全と秩
序を守ってきています。
 米国は、ヨーロッパについてはNATO、アジア太平洋では日
本、韓国、豪州と同盟を結び、その同盟ネットワークによって、
ソ連を中心とする東側陣営に盤石の体制をとってきたのです。
 しかし、米国という国のDNAをたどると、そういう米国とは
まるで違う姿が浮かび上がってきます。草創記の米国はそうでは
なかったからです。それは、米国の初代大統領ジョージ・ワシン
トンの「告別の辞」に、アメリカという国のDNAを見ることが
できます。
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 われわれはどうして特別な場所にいる利点を捨てようとするの
でしょうか。われわれの立場を捨てて、外国の立場に立とうとす
るのでしょうか。なぜ、われわれの運命をヨーロッパの運命と織
り交ぜて、われわれの平和と繁栄がヨーロッパの野心や競争、利
害、移り気、気まぐれに巻き込まれなければならないのでしょう
か。いかなる国とも恒久的な同盟関係を避けることこそ、われわ
れの真の政策なのです。
      ──1796年9月17日/ジョージ・ワシントン
         ──高畑昭男著『「世界の警察官」をやめた
  アメリカ/国際秩序は誰が担うのか』/株式会社ウエッジ刊
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 これは明らかに非同盟主義を謳っています。つまり、孤立主義
です。ワシントンは「世界のいずれの国家とも永久的同盟を結ば
ずにいくことこそ、われわれの真の国策である」と辞任のさいの
告別の辞で訴えているのです。
 どのような理由で米国はこのような孤立主義の外交政策をとっ
たのでしょうか。
 それは、誕生したばかりの米国の置かれていた状況を知るとわ
かってきます。当時の米国は、東部13州だけで構成される小国
に過ぎなかったのです。13州の人口は約220万人、南部の奴
隷を加えても300万人には届かなかったのです。
 これに対してヨーロッパ列強の人口は、フランスの約2300
万人を筆頭にドイツ約2200万人、スペイン約1000万人で
あり、米国とはケタがひとつ違うのです。もし、これらの列強に
攻められたら、米国はひとたまりもなかったといえます。
 そうかといって、どこかの国と同盟を結べば、その国の起こす
戦争に巻き込まれるリスクがあるし、その国の敵国に攻められる
恐れもあります。当時のヨーロッパの列強は、そういう戦争を何
回も繰り返していたからです。
 幸い米国は、ヨーロッパとは地続きではなく、日常的な関わり
を避けることができる地政学的位置にあります。したがって、米
国はヨーロッパの列強から距離を置く孤立主義をとり、その間に
経済建設を行うことができたのです。
 そういう米国も英国との独立戦争のときは、フランスと同盟を
結び、何とか独立を勝ち取っています。これに関して既出の高畑
昭男氏は次のように述べています。
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 実際、独立13州は対英独立戦争の際にはフランスと一時的同
盟を結び、その軍事支援を得て、かろうじて勝利を達成した。だ
が後年、フランス革命に伴って欧州列強による干渉戦争が起きた
ときは、フランスとの同盟関係がまだ生きていたにもかかわらず
アメリカは直ちに中立を宣言し、同盟解消に動いている。独立時
の対仏同盟は「緊急避難の一時的同盟」にすぎなかったのだ。こ
うした経過を見れば、初期のアメリカがいかに小国であったか、
いかに欧州列強の介入や干渉を恐れたか、そしていかに欧州のも
めごとに巻き込まれないようにして単独行動の余地を残すかに心
を砕いていたことがよくわかる。
         ──高畑昭男著『「世界の警察官」をやめた
  アメリカ/国際秩序は誰が担うのか』/株式会社ウエッジ刊
─────────────────────────────
 このように米国外交の底流には、非同盟、不関与、内向きとい
うワシントンの掲げた孤立主義が脈々と流れており、それは、ワ
シントン大統領の下で国務長官を務め、第3代大統領になるトー
マス・ジェファーソン、第5代大統領のジェームス・モンローへ
と受け継がれていくことになります。
 この米国の孤立主義が影をひそめるようになったのは、第13
代のミラード・フィルモア大統領の時代からです。米国は折から
の世界の帝国主義の流れに乗って、積極的に海外権益を追及する
積極介入主義に変わっていきます。ちなみにこのフィルモア大統
領が1853年にペリー海軍提督に命じて日本を訪問させ、日本
に開国を迫ったのです。日米関係のはじまりです。
 実は今日までの米国の外交を振り返ってみると、孤立主義と積
極介入主義が繰り返されていることがわかります。世界から撤退
したり、戻ったりしているのです。ごく大雑把にいうと、米国は
18世紀末に独立してから伝統的に孤立主義を採りながら、19
世紀末に世界の大国となってから、帝国主義的介入を展開、第二
次世界大戦後は世界的覇権を握っています。そして20世紀末の
冷戦終結からその力は大きく揺らぎながら、現在もなお強大な影
響力を保っているということができます。
 リーマンショックの後誕生したオバマ政権の外交姿勢は、明ら
かに世界から撤退しようとしています。孤立主義の復活です。人
間に例えると、身体が弱り、気力が落ち込んだり、自信を失った
りすると、どうしても気分が内向きになり、DNAに組み込まれ
た孤立主義が頭をもたげてきます。現在の米国の状況はこれに似
ていると思います。「米国第1主義」を唱えるトランプ氏がもし
大統領になったら、この傾向は一層強まるでしょう。
            ──[孤立主義化する米国/017]

≪画像および関連情報≫
 ●アメリカになぜ「トランプ現象」が起こるの?/吉野孝教授
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   現在、世界では2つの潮流、外向き志向(グローバリゼー
  ション、国際主義)の潮流と内向き志向(国内優先主義、排
  外主義)の潮流がぶつかり合っている。
   その顕著な例は、EU諸国のイスラム系移民・難民の受け
  入れ問題にみることができる。かつてEUは規模の拡大を目
  指し、西欧以外の多くの国から労働者を受け入れた。
   しかし、1980年代になると、外国人労働者の排斥を主
  張する極右政党が台頭し、その後、イスラム系移民の増加に
  ともない、グローバリゼーション政策を象徴する多文化主義
  を見直す国も出現した。シリア内戦の泥沼化により2015
  年春からEU諸国に流入するイスラム系難民が激増したもの
  の、8月にドイツのメルケル首相が「難民受け入れ」を表明
  した。しかし、同年11月にパリ同時多発テロ事件が発生し
  さらに多数の難民がEU諸国に殺到した結果、EUは、20
  16年3月に、密航船でギリシャに渡ってくる移民・難民を
  一部の例外を除いて全員送り返すことでトルコと合意した。
  こうして2つの潮流の対立に直面し、EUは従来の政策を見
  直さざるをえなくなったのである。
   ところで、外向きか内向きかをめぐる対立が、別の意味で
  大きな国内政治争点となっている国もある。それは他ならぬ
  アメリカである。         http://bit.ly/2aGahgz
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ジョージ・ワシントン米初代大統領.jpg
ジョージ・ワシントン米初代大統領
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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