の「朝鮮国連軍」です。そこで、どのようにして朝鮮戦争が起き
たのかについて考えてみます。
北朝鮮軍が韓国に侵入したのは、1950年6月24日の午後
10時頃のことです。そのとき、トルーマン米大統領は、ホワイ
トハウスではなく、ミズリー州インデペンデンスの自宅にいたの
です。そこにアチソン国務長官による北朝鮮軍侵入の速報が入っ
たのです。
トルーマン大統領は、翌25日に安保理を緊急招集し、北朝鮮
による武力攻撃により、韓国の平和が破られたとし、北朝鮮に対
し、直ちに攻撃停止と軍の撤収を求める決議(82号)を9対0
で採択します。続いて、韓国政府の要請に対し、攻撃を撃退し、
国際平和と安全を回復するために必要なあらゆる支援を加盟国に
求める決議(83号)を7対1で採択しています。極めて迅速な
決定です。このとき安保理は正常に機能したのです。
安全保障理事会は、現在においては常任理事国5ヶ国、非常任
理事国10国の15ヶ国の構成ですが、1965年以前は非常任
理事国6ヶ国の11ヶ国の構成だったのです。2つの決議のうち
82号の9対0はソ連ともう1国の欠席、83号は反対はユーゴ
スラビア、ソ連、エジプト、インドは欠席です。
このときなぜソ連は、欠席していたのでしょうか。
これについては、少し歴史を振り返る必要があります。朝鮮半
島が分断された原因は、ソ連のスターリンの策略にあります。当
時、日本とソ連は中立条約を結んでいたのです。しかし、スター
リンは、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相との
ヤルタでの密約に基づき、広島、長崎に原爆が投下された直後の
1945年8月に「日ソ中立条約は延長せず」と日本に一方的に
通告し、日本に宣戦布告し、侵攻を開始したのです。
この侵攻のとき、ソ連軍は満州と朝鮮半島になだれ込み、朝鮮
半島の北部に日本が降伏した後も居座り続けたのです。当時朝鮮
は日本が併合していたのです。このソ連の行為を日本人は決して
忘れてはなりません。なぜなら、ソ連はやってはならないことを
日本に対して2つやっているからです。
1つは日ソ条約の条約違反です。ソ連は一方的に条約を延長し
ないと通告していますが、条約は1946年まで有効であり、明
らかな条約違反ということになります。
2つは、事実上敗戦が決まっていたのに、北方領土までソ連軍
が占領したことです。これが違法であることはいうまでもないこ
とです。この問題は現在に至るも解決していないのです。
ソ連が朝鮮半島北部、正確にいうと、北緯38度線の北部に居
座ったのは北方領土を占領した策略と同じです。戦争終結のどさ
くさに紛れて他国の領土に侵攻し、そのまま居座って自国の支配
下に置く卑劣な作戦です。
朝鮮半島については、共同信託統治下に置かれ、速やかに統一
国家として独立されることが連合軍として原則合意されていたの
です。そのため、朝鮮半島に居座り続けるソ連に対し、米国は朝
鮮半島からの撤退を要求したのです。
しかし、ソ連は撤退しなかったのです。そのとき米軍は朝鮮半
島の南部に展開していたものの、その数は限られていたのです。
なぜなら、米軍の多くは日本にいて、日本軍の終戦処理に追われ
ていたからです。
ソ連は北への自由な出入りを禁止し、日本が残した産業基盤を
接収し、本気で統治を始めたのです。米国は国連総会の決議の下
に朝鮮に関する国連臨時委員会を創設し、朝鮮半島の南北両域で
の自由選挙を求めたものの、ソ連は拒否し、そのまま朝鮮の北部
に居座り続けたのです。
米国はやむを得ず、朝鮮半島の南部地域だけに自由選挙を実施
させ、1948年8月に李承晩を初代大統領とする大韓民国が正
式に発足するのです。それを待っていたように、同年9月9日、
ソ連の後押しによって、朝鮮民主主義人民共和国が金日成を主席
として共和国樹立の宣言をします。これが、朝鮮半島の南北分断
のはじまりです。
これに平行してソ連は安全保障理事会に対し、難問を持ちかけ
ていたのです。それは、1949年10月1日に建国された中華
人民共和国を安全保障理事会の常任理事国として、中華民国に代
わって就任させよと迫っていたからです。しかし、米国などの多
数派が拒否したため、それを不服としてソ連は安全保障理事会を
ボイコットしています。
もちろん北朝鮮をそそのかして韓国に武力進攻させたのはソ連
の仕業です。それなら、ソ連は常任理事国としてなぜ「拒否権」
を行使して北朝鮮を守らなかったのでしょうか。その点について
ソ連は事態を少し甘く見ていたようです。高畑昭男氏はこれにつ
いて次のように述べています。
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推定10万人の北朝鮮軍はまたたくまに韓国領土の大半を席巻
し、緒戦は破竹の勢いがあった。このため、スターリンは仮に安
保理決議が成立しても、北朝鮮軍が力ずくで既成事実を固めるこ
とができると踏んでいた可能性もある。だが、アメリカを中心と
する朝鮮国連軍は、緒戦の劣勢を立て直し、9月に入ると仁川上
陸作戦を機に反転攻勢に成功し、北朝鮮軍を敗走させた。
──高畑昭男著『「世界の警察官」をやめたアメリカ/
国際秩序は誰が担うのか』/株式会社ウエッジ刊
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現在、朝鮮戦争は停戦状態になっていますが、北朝鮮と韓国の
間には平和条約が締結されていません。このことはあまり知られ
ていませんが、「朝鮮国連軍」は、現在でも米、英、仏の「3人
の警察官」をはじめとする8ヶ国による国連軍後方司令部が日本
に設置されています。もし、北朝鮮と韓国で戦闘が再開されると
即座に朝鮮国連軍が動く体制が現在でも維持されているのです。
──[孤立主義化する米国/011]
≪画像および関連情報≫
●「韓国の亡命政権、難民に備えよ」(2015年9月)
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朝鮮戦争勃発前、「そのとき」に備えて現実的な対応に取
り組んだ地方自治体がある。半島と地理的に近い山口県だ。
韓国の李承晩政権の日本亡命と難民流入対策として、独自に
情報収集を進めていた。19日に成立した安全保障関連法を
めぐる情緒的な反対論とは対極にある「いま、目の前にある
危機」に取り組んだ県の対応を、安保問題の専門家も注目す
る。(九州総局 村上智博)
山口県が、国とは別に独自の情報収集に乗り出した直接の
きっかけは、さきの大戦終了後、朝鮮半島からの密入国者が
増えていたためだ。むろん、戦後に建国した北朝鮮による、
不穏な動きを探るのが最大の主眼であった。
「山口県史」によると、朝鮮半島の緊張の高まりに危機感
を持った知事の田中龍夫が昭和22年、まず手をつけたのが
知事直轄組織の「朝鮮情報室」の創設だった。36歳の若さ
で知事に就任した直後のことだった。
朝鮮総督府の勤務経験者ら朝鮮語に長けた人材を集め、中
波と短波をラジオで傍受し翻訳した。田中はこうして得た情
報を分析し「朝鮮情報」という冊子にまとめ、首相の吉田茂
ら閣僚に報告していた。 http://bit.ly/1NiBrdK
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アチソン元米国務長官