2016年07月25日

●「なぜUNを国際連合と訳したのか」(EJ第4325号)

 ルーズベルトが理想として掲げた国連による集団安全保障シス
テムをごく簡単に述べるとこうなります。
 それは、「戦争なき世界」を実現するために各国の武力行使を
原則禁止し、侵略行為が起きたときに安全保障理事会と常任理事
国の「5人の警察官」が合意の下で武力行使権限を行使し、平和
を回復する仕組みです。「5人の警察官が力を合わせて世界の平
和を守る」という壮大な理想であるといえます。
 このさい、実際に紛争処理に当たるのは国連に常設する「国連
軍」ということになっています。国連軍とは安全保障理事会(安
保理)と特別協定を結んだ加盟国がそれぞれ兵力を供出し、安保
理に直属する軍事参謀委員会の助言を得て、軍隊を直接指揮する
というものです。
 しかしすべては理想倒れに終わっています。何よりもソ連のゴ
リ押しで常任理事国に「拒否権」が与えられたことによって集団
安全保障システム自体が機能不全に陥っています。国連軍につい
ても肝心の安保理と特別協定を結ぶ国がなく、いままで一度も組
織されたことはないのです。
 といっても「国連軍」らしいものが結成されたことがこれまで
に2回あります。「朝鮮国連軍」とイラクを攻撃するための湾岸
戦争のさいの「多国籍軍」の2つです。これについては、改めて
述べることにします。
 さて、ここでなぜ日本政府がユナイテッド・ネーションをあえ
て「国際連合」と訳し、いままで使ってきたかということについ
て考えます。なお、日本が国連に加盟するまでの記述は「UN」
という表現を使うことにします。
 UNの集団安全保障システムが正常に機能するなら、加盟国は
自国を防衛するための最小限度の軍隊組織を持つだけでよいこと
になります。よく考えると、自国の防衛以外に他国に武力行使を
しない憲法を持つ日本にとってUNの集団安全保障システムは実
に理想的なものであるといえます。
 日本は、サンフランシスコ講和条約が発効し、主権が回復した
1952年にUN加盟を申請したのですが、冷戦の最中でもあり
ソ連をはじめとする社会主義国の反対によってなかなか実現しな
かったのです。
 しかし、1956年10月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復
によって、1956年12月12日に安保理決議121の承認勧
告を得て、12月18日の全会一致の承認で、80番目のUN加
盟国になったのです。
 日本は、国連に加盟すると、異常なほど国連に力を入れ始めた
のです。日本は折からの高度成長の波により、国力を向上させて
いたので、80番目の加盟国とはいえ、しだいに国連における影
響力を高めつつあったのです。確かに国連が適切に機能してくれ
れば日本にとっては有益です。
 そのため、実際は常任理事国の拒否権によって機能不全に陥っ
ていた国連を「世界平和実現のための国際機関」にしようとして
「国際連合」と訳したものと考えられます。ちなみに日本が国連
に加盟した1956年の通常予算の分担率は1・92%であり、
当時の加盟国80ヶ国が出す予算総額の50分の1以下の資金を
負担するに過ぎなかったのです。しかし、日本は2016年には
米国に次いで分担率は10%を負担するまでになっています。
 しかし、多額の分担金を負担する割には、日本の国連に占める
影響力は必ずしも高いとはいえないのです。これについては、外
国の国連専門家たちからは、日本の影響力の微小さについて不公
平であるとの声も上がっています。
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◎フランス国際法学者ロスタン・メイディ氏
 日本は急速に増えている国連平和維持活動(PKO)経費の多
くを負担しているが、意思決定過程からは外されている。この事
実に日本側から強いいらだちの感情が起きるのは当然だろう。
◎米国元国務次官補プリンストン・ライマン氏
 国連では、分担金の額が影響力の主要素であることは疑問の余
地がない。アメリカに近い最高レベルの金額を長年払いつづけて
きた日本の国民からその支払額にふさわしい地位を国連で得るこ
とへの期待が当然出るだろう。
        ──古森義久著/『国連幻想』/産経新聞社刊
─────────────────────────────
 問題は、常任理事国の改革を含む国連改革の実施です。これに
ついては、長い間にわたって一顧だにされなかったのですが、こ
こにきて、少しずつその機運が盛り上がりつつあります。なぜな
ら、本来は世界の警察官の役割を果たすべき常任理事国が本来の
任務を果しているとはいえないからです。オバマ米大統領までが
「もはやアメリカは世界の警察官ではない」という始末です。
世界の警察官であるからこそ常任理事国のポストが与えられてい
ることをオバマ大統領は忘れています。
 2016年7月21日付、日本経済新聞の夕刊に、次期国連事
務総長候補のアルゼンチンのスサナ・マルコラ外相の記事が掲載
されていたので、紹介します。
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◎事務総長選で安保理改革訴え/候補のアルゼンチン外相
 次期国連事務総長選に立候補しているアルゼンチンのスサナ・
マルコラ外務・宗務相は日本経済新聞の取材に応じ、「一部の国
のみが決定権を持つ国連安全保障理事会は行き詰まっている」と
話した。次期総長選の争点として安保理改革の是非を問う意向を
示した。2016年末に退任する国連の潘基文事務総長の後任選
びに立候補している。「(政治的権限を持たない)事務総長は意
思決定する立場ではないが、私は意思決定の過程に選択肢を提供
できる」として、常任理事国に偏重した意思決定の仕組みの変革
を訴えた。 ──2016年7月21日付、日本経済新聞/夕刊
─────────────────────────────
            ──[孤立主義化する米国/010]

≪画像および関連情報≫
 ●安保理は機能不全から抜け出せるか/安保理関係者
  ───────────────────────────
   「国連は今、悩み続けている」。2012年の暮れ、国際
  社会の平和と安全を守ることを任務とする国連安全保障理事
  会の関係者は、NNNの取材に対してこう漏らした。
   確かに、2012年ほど、安保理の限界が声高に批判され
  た年もなかっただろう。拒否権を持つ常任理事国の意見の不
  一致。そして、その度に、国際社会として一枚岩の対応に出
  られないという機能不全。その象徴がシリア問題だった。
   内戦の激化により死者が4万人を超えたともいわれるシリ
  ア問題で、この1年、安保理は何ら有効な対応策を打ち出す
  ことができなかった。アサド政権への制裁を求める安保理決
  議案は、3度にわたってロシアと中国の拒否権で廃案となっ
  た。「欧米」対「中露」で分裂する安保理に孤立無援となっ
  た特使のアナン前国連事務総長は、任命からわずか半年で、
  安保理への批判を口にして調停役から自ら退いた。
   また、シリアに派遣された非武装の停戦監視団も、数か月
  間の活動で撤退を余儀なくされた。そもそも、そこには監視
  するべき「停戦」などなかったからだ。アサド政権は数度に
  わたって停戦を受け入れるかのような姿勢を見せたが、結局
  戦闘がやむことはなかった。
   こうした事態に安保理が対応できなかった最大の理由。そ
  れは国際社会の結束の欠如だ。アサド政権に対する圧力の是
  非、また、国際社会はどこまで介入するべきか、こうした点
  で安保理は「欧米」対「中露」で真っ二つに割れ、結局、内
  戦収束に向けた道筋をつけることはできなかった。
                   http://bit.ly/2a4Lx2o
  ───────────────────────────

スウェーデン/スサナ・マルコラ外相.jpg
スウェーデン/スサナ・マルコラ外相
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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