2016年07月19日

●「安保理拒否権はなぜ設けられたか」(EJ第4321号)

 米国のルーズベルト、英国のチャーチル、ソ連のスターリンの
3人は、テヘラン、ヤルタと場所を変えて、国際連合の構想を固
めていったのです。4人目の世界の警察官をフランスにするか、
中国にするかをめぐっては意見がまるで合わなかったのです。
 チャーチルとスターリンは中国の参加に反対し、フランスにつ
いてはルーズベルトとスターリンが反対したのです。米国が推す
中国については戦いで「あまりにも弱過ぎる」とし、フランスは
英国に亡命フランス政権を組織したシャルル・ドゴール将軍が強
い反共主義者であるとしてスターリンが反対したのです。
 結局、ダンバートン・オークス邸での会議を経て、「一般的国
際機構の設立に関する提案」(ダンバートン・オークス案)がま
とまり、世界の安全を守る安全保障理事会は米国、英国、ソ連、
フランス、中国の5ヶ国に決定したのです。これによって世界の
警察官は5ヶ国になったのです。
 そのときの案には、現在とは大きく違う点があります。それは
国連の加盟国は戦争を含む武力行使が一切禁止され、もしこれに
違反すると、安全保障理事会の5人の警察官による武力行使を含
む強力な制裁を受けるというものです。
 しかし、ダンバートン・オークス案には、5人の世界の警察官
には「拒否権」が与えられており、1ヶ国でも拒否権を行使する
と、安全保障理事会は強制行動を起こせなくなってしまうという
のです。これに中南米諸国が懸念を表明したのです。
 もし、安保理常任理事国5ヶ国の利害の伴うある国が加盟国の
どこかの国を侵略しようとしたさい、利害の伴う警察官が安全保
障理事会で拒否権を使うことがあるからです。そこで、中南米諸
国は、メキシコ郊外のチャプルテペックで会議を開き、安全保障
理事会の承認が得られない場合は、自らの国を守る自衛権を行使
できるようにするという決議をしているのです。これが、次の国
連憲章第51条の「個別自衛権」になったのです。
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 ≪国連憲章/第51条≫
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃
が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維
持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の
権利を害するものではない。(一部省略)http://bit.ly/XZ7yG3
─────────────────────────────
 問題は、安全保障理事会常任理事国になぜ「拒否権」が与えら
れたかです。拒否権にとことんこだわったのはソ連です。これが
決まったのは、ダンバートン・オークス邸の会議においてです。
 これには面白い話があります。このとき、ソ連の主席代表とし
て出席していたのは、アンドレイ・グロムイコ駐米大使です。あ
の長い東西冷戦時代の外相として、西側をとことん揺さぶり、悩
ませた人物です。
 ところが、グロムイコ代表は、ダンバートン・オークス会議で
は、「とてもナイスで、ものわかりのよい人物」だったといわれ
ているのです。これについて、国際問題評論家の古森義久氏は次
のように述べています。
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 ソ連の国連創設への当時の取り組みは米英側が予想したよりは
ずっとスムーズで柔軟だった。だからこそグロムイコ代表の言動
も「ナイス」と評されたのだろう。ただし同じ人物評でも崩壊し
た旧ソ連側に語らせると「ダンバートンオークス会議でのグロム
イコはスターリンの理想的な走り使い少年だった」(ヘンリー・
トロフィメンコ・ロシア科学アカデミーUSAカナダ研究所首席
アナリスト)となる。(中略)ダンバートンオークス会議ではグ
ロムイコ代表はおどろくほどの協調性を示し、米英側の国連に関
するほとんどの提案に柔順に同意した。
        ──古森義久著/『国連幻想』/産経新聞社刊
─────────────────────────────
 しかし、グロムイコソ連代表は、次の2つのことに関しては、
絶対に譲らなかったのです。
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 1.国連に参加するのは、ソ連邦だけでなく、構成する15
   の共和国すべてを個別に加盟させる。
 2.国連での重要な平和と安全の案件についてはすべての安
   保理常任理事国の賛成を必要とする。
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 実はグロムイコソ連代表にはしたたかな計算があったのです。
本当に通したいのは「2」であり、「1」については少し譲って
もよいという計算です。「1」の15の共和国全部の参加につい
ては、協議の結果、ソ連邦と、ウクライナ、ベラルーシ両共和国
の3国の加盟で決着したのです。大幅譲歩です。
 しかし、「2」に関しては、ソ連代表は絶対に譲らなかったの
です。米英側は、拒否権の制限を主張し、常任理事国のうち4ヶ
国が賛成すれば、残り1国の拒否権は認めないという案や、紛争
案件の当事者はもちろん、利害関係国は採決に加わることができ
ない仕組みを提案したのですが、グロムイコソ連代表は微動だに
しなかったのです。
 確かに当時の中国は自由主義陣営に属していたので、米英仏中
が組めば、ソ連は孤立し、自国に不利益な決定を押し付けられる
ことを警戒したものと思われます。結局、米英が折れて、国連憲
章はソ連の要求を受け入れ、1945年4月〜6月にサンフラン
シスコで行われた国連憲章制定会議で確定したのです。
 しかし、国連の運営はこの拒否権が大きなカベになり、空転を
重ねて行くことになるのです。しかもソ連は現在のロシアとなり
中国は共産主義国家として安全保障理事会の常任理事国の一角を
依然として占めているため、北朝鮮の暴挙のように、本当に国連
として動かなければならないときに、何も有効に機能できない状
態が現在も続いているのです。
            ──[孤立主義化する米国/006]

≪画像および関連情報≫
 ●国連の安保理が平和の障害になっている/2015年記事
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   国連が創設されたのは70年前。その主要機関の一つであ
  る安全保障理事会は、国際平和と安全に責任を持つことを目
  的に作られた。しかし、理事会の構成や、常任理事国だけに
  与えられた拒否権の問題などで、その影響力の限界が指摘さ
  れており、創設70年を節目に、新たな改革が求められてい
  る。安保理は、常任理事国5ヶ国(中、仏、英、米、露)と
  総会が2年の任期で選ぶ非常任理事国10ヶ国で構成されて
  いる。来年より、日本も非常任理事国となることが決まって
  いる。インターナショナル・ビジネス・タイムズ(IBT)
  に寄稿した、インドの政治家で国連事務次長も務めたシャシ
  ・タルール氏は、安保理は1945年当時の地政学的現実を
  反映し、現状に合っていないと主張する。同氏は、創設当時
  51ヶ国だった国連加盟国は現在193ヶ国となっているの
  に、安保理の理事国は11ヶ国から15ヶ国に増えたのみだ
  と指摘。また、創設時のパワーバランスに重きが置かれ、世
  界人口の5%に過ぎない欧州が議席の33%を支配していた
  り、70年前に戦勝国だったという理由で常任理事国がその
  地位や拒否権を享受しているのはおかしいとし、改革が必要
  だと述べている。         http://bit.ly/29zOid0
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グロムイコ元ソ連外相.jpg
グロムイコ元ソ連外相
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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