は5ヶ国あるのです。それは、第二次世界大戦後に創設された国
際連合の常任理事国である次の5ヶ国です。
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1.アメリカ
2.イギリス
3.フランス
4. ロシア
5. 中国
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これら5ヶ国の正式名称は「安全保障理事会常任理事国」とい
うのです。つまり、国際連合のこの仕組みは、昨今日本で話題沸
騰になった「集団的安全保障」という考え方を具現化し、大きな
戦争を抑止して平和を実現することです。これら5つの大国はそ
の目的を実現する主役といえます。したがって、世界の警察官は
これら5ヶ国のはずです。
しかし、これら5ヶ国のうち、世界の警察官らしい役割を果た
してきたのは米国であるといえます。そもそもこの集団的安全保
障の仕組みそのものには大きな疑問があるのです。これについて
しばらく述べることにします。
国際連合の前身は、第一次世界大戦後の国際連盟です。米国の
ウッドロー・ウイルソン大統領の提案によって実現した国際平和
機構の仕組みです。国際連盟は、1920年1月、連合国と中立
国あわせて45ヶ国が参加して創設されたのです。世界史でも初
めての国際的な集団安全保障の試みだったのです。この国際連盟
の創設による功績によってウイルソンはノーベル平和賞を授与さ
れたのです。
しかし、国際連盟は力不足だったのです。なぜなら、本来大戦
を阻止する目的で創設された国際連盟が、第2次世界大戦を防げ
なかったことです。それは、さまざまな制度上の不備や平和を破
壊する国に対する制裁の仕組みを欠いていたからです。さらに物
事の意思決定は、全会一致で決めることになっており、最高意思
決定機関である総会で1ヶ国でも反対があるとどのような決議も
成立しなかったのです。
しかし、何よりも大きな失敗は、創設の旗を振った米国がこの
国際連盟に入れなかったことです。ウイルソン大統領は議会の孤
立主義者たちの反対によって、上院の批准が得られなかったので
す。このときの経緯について、国際問題評論家の古森義久氏は著
書で次のように書いています。
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病弱のウイルソン大統領は医師の制止にもかかわらず、国内各
地を回り、国際連盟加盟をアピールした。だが旅中に血栓症に倒
れ、上院は加盟条約の批准を否決してしまった。アメリカ国内の
一部の伝統的な孤立志向が反戦感情と結びつき、勢いを得た結果
だった。アメリカなしの国際連盟には当初、ドイツもソ連も入れ
なかった。フランスとイギリスが中心メンバーとなったものの、
両国の利害は対立した。日本やイタリアも加わったが、英仏主体
の国際連盟には冷淡だった。国際連盟の加盟国は一時は59ヶ国
にも達したとはいえ、1930年代には日本、ドイツ、イタリア
が次々と脱退していった。そして国際連盟は39年のドイツ軍の
ポーランド突入による第二次大戦の始まりに対しても、まったく
無力となった。 ──古森義久著/『国連幻想』/産経新聞社刊
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この国際連盟の集団的安全保障の考え方を引き継ぎ、世界の警
察官を何とか実現させたいと考えたのは、第32代米大統領フラ
ンクリン・ルーズベルトです。ルーズベルト大統領は、その創設
に当たって次の2つのことの実現を目指したのです。それは、ウ
イルソン大統領の失敗の轍を踏まないようにしたことです。
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1.アメリカ自身がその国際平和機構への加盟が実現できる
ようにする。
2.平和を破壊する国家に対して実力行使できる仕組みを創
設すること。
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同じような構想を英国のチャーチル首相も持っていたのです。
チャーチル首相は、世界を「西半球(南北米大陸)」「ヨーロッ
パ」「太平洋圏」の3つに分け、地域ごとに平和と安定をはかる
べきであると主張し、米国、英国、ソ連、フランスの4ヶ国を世
界の警察官にする案を示したのです。
これに対して米国はアジアの中国の存在を重視し、フランスよ
りも中国を4ヶ国のなかに加えるべきであると主張したのです。
なおルーズベルト大統領は、当時日本を「平和を脅かす国」と位
置づけ、第2次世界大戦後、日本の経済力を解体して、再起不能
にするといっていたのです。そのため、中国をアジアの警察官に
しようとこだわっていたのです。これについて、白鴎大学の高畑
教授は次のように述べています。
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4人目の警察官を「中国にするかフランスにするか」の米英ソ
連の腹の探りあいは、三者三様の利害を反映していて興味深い。
国際政治の裏で指導者の人柄や性格がいかに作用するかについて
もうかがえる。そうこうするうちに、新たな機構の骨格をまとめ
るための非公式会議が1944年8月、ワシントン郊外ジョージ
タウンのダンパートン・オークス邸で開かれた。ところが、中国
とフランスの扱いが定まっていなかったために、ソ連代表は中国
代表との同席を拒否し、米英ソ連3ヶ国の会談と、ソ連が同席し
ない米英中国3ヶ国の会談が別々に開かれる異例の方式となった
という。──高畑昭男著/『「世界の警察官」をやめたアメリカ
/国際秩序は誰が担うのか』/株式会社ウエッジ刊
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──[孤立主義化する米国/005]
≪画像および関連情報≫
●ウイルソンと国際連盟、そしてソビエトの取扱
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アメリカ第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、第一
次世界大戦終結へ向けて努力するばかりではなく、終結後の
新しいヨーロッパの安全保障体制の構築に腐心をしました。
1823年のモンロー主義による孤立主義の宣言、1904
年の金融・財政に関しては関与を行なうというルーズベルト
・コロラリーの宣言のなかで、1917年4月に第一次世界
大戦へ参戦をしたアメリカは、ヨーロッパの(国際)政治に
は決してかかわりを持たないというそれまでの孤立主義から
大きな変革を自らが行なおうとしたのでありました。
なぜ、ヨーロッパの国家間関係にアメリカ大統領が、明晰
なアドヴァイザー達と共に取り組んだのか、その背景の大き
な理由は、まず、ハプスブルグをはじめ、ホーエンツォレル
ン、(オットーマン)などの王朝が第一次世界大戦において
消滅をし始めたことが上げられます。
ヨーロッパの絢爛豪華な文化的遺産は、まさにこのような
王朝文化であったのであり、その王朝が、一つ、また、一つ
と次から次へと消滅してゆく第一次世界大戦の持つ意味は、
一般のヨーロッパ人にとっては、ヨーロッパの歴史始まって
以来のことでありました。唯一ナポレンの時代を経験してい
ました、実際にそれを経験した人物など既におらなかったわ
けであり、王朝が消えてゆく状況に直面したヨーロッパは、
未曾有の政治的混乱が予想されたのであります。
http://bit.ly/29Delys
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ウッドロー・ウイルソン元米大統領