いっていること以外信じない人が大勢います。そうではなくて、
物事には必ずウラの事実があることを伝えるべく、今年の1月か
ら今回のテーマを書いています。
日本では、一般に周知されている以外のことをいうと、たちま
ち陰謀論者のレッテルを貼られてしまいます。しかし、その陰謀
論者のいっていることの方が正しいことがたくさんあるのです。
むしろ本当のことを隠そうとして、それらの文書にレッテルを貼
り、読ませないようにしているのです。そんな本を読んでいると
軽蔑される雰囲気を巧みにつくっているのです。
現在EJでは、イスラムのことを書いていますが、この世界を
理解するには、次のイスラム教の二大宗派について正確な知識を
持つことが必要です。
─────────────────────────────
1.シーア派
2.スンニ派
─────────────────────────────
中東情勢の本を読むと、この二大宗派の話が必ず出てきます。
しかし、必ずしもわかりやすくないのです。そこで少し陰謀論的
アプローチをしてみることにします。
中近東のイスラム世界の文化には大別すると、次の2つの潮流
があります。
─────────────────────────────
1. ペルシャ系文化
2.遊牧系トルコ文化
─────────────────────────────
アラブ中東地域に住んでいる人は、基本的には遊牧民です。移
動生活が基本なのです。遊牧民は国境を「線」ではなく「面」で
とらえようとします。国家というものの考え方が違うのです。つ
まり、国境線で囲まれた特定範囲が国家ではなく、自分たちが活
動できる領域が国家ということになります。民族的な対立などで
自由に活動できない地域が他国ということになります。この考え
方はイスラム国のそれによく似ているといえます。
ペルシャ、イスラム、オスマンなどの大帝国といっても、地図
に載っている領域をすべて支配し、管理していたわけではないの
です。大体この領域が支配地域であるというレベルです。
ペルシャ帝国といえばかつてのアラブの覇者ですが、イランで
生まれ、最も古いメソポタミア系の文化の流れを汲んでいます。
オスマントルコは19世紀末までは巨大な帝国だったのですが、
第1次世界大戦で破れて解体され、大半の領土を奪われて現在の
トルコになっています。
そのとき、英国、フランス、米国の欧米列強国は、石油資源な
どの利権を基にして、自分たちの都合のよいように、勝手に国境
線を引いて国をつくったのです。このようにして、トルコ、シリ
ア、イラク、イランなどができています。
しかし、そのとき、その土地に長く住む部族の歴史的背景など
はまったく考慮されず、国境の線引きが行われたのです。当然住
民からは強い不満が出たのです。
なぜなら、これまでなら自由に行き来できた場所に国境線が引
かれると、そこに行くと不法入国になってしまうからです。これ
に関して訪米列強国は、ちゃんと手を打っているのです。国を支
配する国王や独裁者に対して、石油利権の一部を譲渡し、国の国
境線を守らせたのです。国を守ることによって、自分に莫大なカ
ネが入ってくることを知り、権力者は一転して国というものに執
着するようになったのです。
ベンジャミン・フルフォード氏によると、ペルシャ系文化圏と
遊牧系トルコ文化圏という性格の異なる文化圏をゆるやかにまと
めたのが「イスラム教」であるというのです。
─────────────────────────────
イスラム教については、興味深い情報がある。バチカンに拠点
を持つイタリア・フリーメイソンの関係者は「イスラム教はバチ
カンが作った」といっているのだ。
ローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ全般に広がったローマ教
会はさらに当時、先進国だった中近東への拡大を目論んでいた。
当時のペルシャは多神教やゾロアスター教(拝火教)を信仰して
いた。一神教を広めるために遊牧文化圏のアラブの特性に合わせ
てキリスト教をローカライズしたのが「イスラム教」だというの
だ。彼らの情報によればマホメットもコーランもバチカンによっ
て指導、製作されたものらしい。
ようするにアラブの遊牧民に受けやすい「一神教」としてイス
ラム教を普及、そのイスラム教指導者を裏から支配するという計
画である。 ──ベンジャミン・フルフォード著
『崩壊するアメリカ/巻き込まれる日本/
2016年、新世界体制の成立』/KKベストセラーズ
─────────────────────────────
そのようにして生まれたのが二大宗派といわれる「シーア派」
と「スンニ派」です。これら2つの宗派を分けるのは、宗教指導
者と権力者の関係です。
シーア派というのは、宗教指導者を最高指導者(カリフ)とし
て仰ぎ、権力者(国王や大統領)は世俗管理を行う代理人という
位置づけです。イランはまさにこの体制です。
これに対してスンニ派では、あくまで権力者が最高指導者であ
り、それを指導するのが宗教指導者という位置づけです。サウジ
アラビアがその体制です。
遊牧民が社会のベースになっている場合は、独裁権の強い方が
社会は安定するので、スンニ派が合っています。イラクでは少数
派のスンニ派のフセイン大統領が独裁支配していたのに対し、イ
ランでは米国傀儡のパーレビ国王が権力を握っていましたが、シ
ーア派のイラン人が国王を追い出し、ホメイニ師をカリフにして
います。 ──[現代は陰謀論の時代/116]
≪画像および関連情報≫
●なぜスンナ派とシーア派は 争うのか?/塩尻和子
───────────────────────────
宗教集団を統率する本罪制度を持たないイスラームでは、
当初から正統と異端を区別する意識はなかった。宗教的少数
派も、基本的な教義から外れさえしなければ、少なくとも宗
教上は異端として迫害されることもなく、同じモスクで祈り
ともにメッカ巡礼に出かけ、近所付き合いをして姻戚関係を
結ぶこともできた。歴史の過程で分派間の確執や紛争が生じ
るのは、政治的覇権や経済的利害問題が背景にある時に限ら
れてきた。昨今、イラクでは、スンナ(スンニ)派を中心と
した「イスラーム国」がシーア派を敵視して大きな国際問題
となっているが、その要因も「宗教的な宗派対立」ではない
ことに注意する必要がある。
イスラーム初期の分派発生が、預言者ムハンマドの後継者
争いという政治的闘争によるものであったことも、こうした
特徴をよく示している。ムハンマドの従弟で女婿であるアリ
ーがようやく第4代「カリフ」(共同体の指導者)に就任し
た際、当時シリア総督であったムアーウィヤは彼のカリフ位
就任を認めず、二人はシッフィーンの戦いで対峙することに
なった。アリー軍は戦闘では優勢だったが、敵側の戦略に嵌
まって停戦協定を結びそれに反発したかつての味方が661
年にアリーを 暗殺するという事態が生じてしまった。
http://bit.ly/28KwwBZ
───────────────────────────
アラブ・イスラム世界



なお、イスラム教の伝承にある、開祖ムハンマドの前に現れた天使ジブリールとは、「旧約と新約の聖書」にある天使カブリエルのことで、この正体は悪魔サタン・ルシファーです。