2016年05月20日

●「なぜカダフィー政権は崩壊したか」(EJ第4280号)

 引き続きカダフィー大佐が殺害された理由を追及します。カダ
フィー大佐がやろうとした3つのことを再現します。
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  1.アフリカのための通信衛星の実現を提案したこと
  2.アフリカに3つの銀行を創設させようとしたこと
  3.アフリカ経済共同体構想を推進しようとしたこと ←
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 「3」について考えます。
 カダフィー大佐の構想の「2」である3つの銀行が本当に設立
されれば、アフリカがアメリカ合衆国のようにひとつにまとまる
アフリカ経済共同体として機能する──カダフィー大佐はこう考
えたのです。実にスケールの大きい政治家の構想といえます。
 しかし、カダフィー大佐の外部からのイメージとは大きく異な
ります。何しろカダフィー大佐といえば、その容貌のせいもあり
ますが、残虐非道の独裁者で、「砂漠の暴れん坊」のイメージそ
のものだったからです。
 欧米諸国は徹底的にアフリカで植民地政策を実施して、アフリ
カから多くの富を収奪したのです。それも金やダイヤモンドやレ
アメタルといった地下資源だけでなく、奴隷という形で数百万人
もの人間を収奪したのです。
 カダフィー大佐は、そういう欧米諸国に対して、アフリカを一
体化させることによってアフリカの富を守ろうとしたのです。そ
れが3つの構想です。欧米諸国としては、このようなことをする
カダフィー大佐を許せるはずがなく、何らかの手段でこれを排除
しようとします。欧米にとって望ましいアフリカ像は、依然とし
て18世紀以前の「暗黒大陸」としてのアフリカなのです。
 欧米諸国の寡頭勢力のアフリカに対する基本政策としては、既
に述べたように、アフリカ諸国を分断して、それぞれの国同士に
いさかいを起こすネタ与えていがみ合わせ、場合によってはそれ
ぞれの国に武器を供与してクーデターを起こさせ、邪魔者は抹殺
するというやり方です。
 こうしたカダフィー大佐の真実を伝えるサイトは、いくつかあ
りますが、実名でそれをきちんと伝えているサイトはほとんどあ
りません。唯一それに該当するのがレルネット主幹の三宅善信氏
のサイトです。EJのここまでのカダフィー大佐の記述でも、こ
のサイトを参考にさせていただいています。三宅善信氏は、カダ
フィー政権の崩壊について次のように述べています。
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 約半年間の“内戦”を経て、42年間続いたカダフィ政権が崩
壊した。日本のマスコミをはじめ世間ではこれをリビアの西隣の
チュニジアでほうはいとして湧き起こった「ジャスミン革命」が
ベン=アリー政権の崩壊からわずか10日後にはリビアの東隣エ
ジプトにも波及し、31年間続いたムバラク政権もわずか2週間
で崩壊するに及んで、1989年11月の「ベルリンの壁崩壊」
からわずか1ヶ月間に、盤石を誇っていたかに見えた東欧の社会
主義諸国家の共産党政権がドミノ倒し的に崩壊したことを想起し
「砂漠の狂犬」「アラブの暴れん坊」と恐れられたカダフィ大佐
によって40年以上も長期間にわたって独裁体制が敷かれていた
リビアにも自然に波及したものとされているが、これはとんでも
ない間違いである。          http://bit.ly/1R2pNOU
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 三宅善信氏のいうように、カダフィー政権は、2010年から
2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大
規模反政府デモを主とした騒乱──いわゆる「アラブの春」の一
環である反政府デモで崩壊したのではないのです。
 それでは、どのように崩壊したのでしょうか。その事実を正し
く把握するため、ウィキペディアの記述を参照します。
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 2011年リビア内戦は、リビアにおいて2011年に起こっ
た政治社会的要求を掲げた大規模な反政府デモを発端とする武装
闘争である。アラブ圏においては、「2月17日革命」と呼ばれ
る。2月15日に開始され、同年8月に首都トリポリが北大西洋
条約機構軍の支援を受けた反体制派のリビア国民評議会の攻勢に
よって陥落し、40年以上政権の座にあったムアンマル・アル=
カダフィ大佐が率いる大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒ
リーヤ国は事実上崩壊した。その後もカダフィ大佐は抗戦を続け
たが、10月20日に最後の拠点スルトで身柄を拘束され、その
際に受けた攻撃でカダフィ大佐は死亡した。10月23日に国民
評議会によりリビア全土の解放が唱えられ内戦終結が宣言された
が、その後、親カダフィ勢力・イスラム国の台頭を招き内戦は現
在まで継続している。          ──ウィキペディア
                   http://bit.ly/1W2n3pz
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 上記の記述において注目すべきは「北大西洋条約機構軍の支援
を受けた反体制派のリビア国民評議会の攻勢」という部分です。
つまり、NATO軍がリビアを空爆しているという事実です。な
ぜ、NATO軍が出撃したのでしょうか。
 まず、2011年2月17日にカダフィーの退陣を要求するデ
モが起きています。このデモは2月20日には首都トリポリに拡
大し、放送局や公的機関事務所が襲撃・占拠されたのです。これ
に対し、軍はデモ参加者に無差別攻撃を開始し、多数の犠牲者が
出たという“報道”が行われたのです。
 これを受けて国連安保理は「民間人に対する暴力」としリビア
に対し経済制裁と強い非難決議を採択しています。この非難決議
によってNATO軍が出撃したのです。しかし、リビアにおける
騒乱は外部勢力による騒乱である疑いが濃いのです。それを必ず
しも事実とはいえない過大な報道によって安保理は非難決議を出
しています。欧米諸国はこれを利用して何が何でもリビアを潰し
てやるという強い意思が働いています。NATO軍は6月から出
撃したのです。     ──[現代は陰謀論の時代/093]

≪画像および関連情報≫
 ●見え透いた米仏のリビア政権転覆策動/渋谷一三氏
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  『アラブ世界が揺れ動いている。チュニジアに続きエジプト
  で政権が崩壊し、バーレーン、リビア、イラン、スーダンな
  どに波及している。チュニジアは「民主化」という概念で捉
  えることができたが、エジプトではすでに米国のご都合が見
  え透いている。内政干渉もいいところだ。イスラエルをアラ
  ブ世界への楔兼橋頭堡として確保し続けるため、反米政権が
  成立する前にムバラク政権を見限った方がよいとの判断が働
  いた。もう、民主化闘争の勝利などとは呼べない情況がうま
  れている。3例目となるともっと純粋ではない。カダフィが
  外国勢力の手先に負けないと言うのがあながち間違いでもな
  い情況がある。内戦と言おうが、デモ隊に銃を向けたことは
  正当化されないし、放火煽動分子がいるのも確かだが、カダ
  フィが革命家ならば、逮捕しこそすれ、銃殺することはない
  だろう。それが政権を担った同志の離反を招いているのだろ
  う。歴史的な動きが表面に出てきていることは確かだが、そ
  の分析をするには、あまりに情報が偏っている上に情報量自
  体が少ないので次号以降に分析を回させていただきたい』。
   2月号でこのように書いた。東日本大震災により、より情
  報が入りにくくなったが、米仏による「多国籍軍」の空爆が
  何よりも雄弁にリビアにおける階級関係を物語った。「反政
  府軍」は『同志の反乱』ではなかった。もはや革命家とは呼
  べなくなったカダフィと同じ政府にいてもカダフィが革命家
  でない以上、同志と呼べる存在はありえない。
                   http://bit.ly/23RObKv
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リビア内戦でのカダフィー大佐.jpg
リビア内戦でのカダフィー大佐
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 現代は陰謀論の時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
手前味噌ですが、拙者『朝日新聞の逆襲』http://www.amazon.co.jp/dp/48074158で、主要メディアの中東情勢報道が「NATO軍記者クラブ」になっていると批判し、カダフィについてもかなり言及しています。
いろいろな出版社に理解されない中で第三書館が出してくれました。中東情勢に力を入れていて、カダフィの「緑の書」邦訳もだしています。
Posted by 井上静 at 2016年05月20日 13:13
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