それは、この言葉を使うことに何かしら強い抵抗感を感ずるので
す。この抵抗感は一体何なのか、と。
それに、「そんなものがあるはずがない」とか「それは陰謀論
の世界の話」だとか、「核爆弾で人工地震を起こすなんてあり得
ない」などという批判を浴びせられます。まして次の批判は説得
力があります。
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東日本大震災が地震兵器で起こされたというが、米国が同盟国
の日本に対してそんなことをして、何のメリットがあるのか。
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普通の日本人であれば当然の疑問です。しかし、日本人はお人
好しです。国家は国益によって行動を起こすものです。日本の行
動が米国の国益を害すると判断すれば国家というものは、何だっ
てやるのです。まして、地震兵器であれば、自然災害を装って目
的を達することができるので好都合です。大災害になれば、援助
や支援を申し出ることができ、感謝すらされます。
問題は地震兵器がいつ完成していたかです。何となく太平洋戦
争後に完成したようなイメージになっています。そうであるとす
ると、戦争後にそんな兵器を使うことはあり得ないと考えること
ができます。
しかし、戦前ないし、戦争中に完成していたと考えると、その
存在は強いリアリティを持ってきます。なぜなら、米国は日本に
対して必ずそれを使ったと思われるからです。米国としてはこの
戦争を早く終わらせたかったのです。そのために、原爆が広島と
長崎に落とされたのです。もし、地震兵器が完成していたらきっ
とそれは何回も使われているはずです。
そこで、終戦直前に日本で起きている地震の記録を調べてみた
のです。その結果によると、終戦直前に次の2つの大地震が起き
ていたことが判明したのです。
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◎「東南海地震」/1944年12月 7日
◎「三河 地震」/1945年 1月13日
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これら2つの地震はどのような地震だったのでしょうか。ウィ
キペディアには、次のように記述されています。
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◎「東南海地震」
東南海地震は、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海ト
ラフの東側)で周期的に発生するとされている海溝型地震。規模
は毎回M8クラスに達する巨大地震で、約100年から200年
周期の発生と考えられている。東南海大地震とも呼称される。
最新のものは1944年(昭和19年)12月7日に、紀伊半
島南東沖を震源として発生したものであり、元来「東南海地震」
はこの昭和東南海地震を指す名称であった。
この地震により遠州灘沿岸(東海道)から紀伊半島(南海道)
に渡る一帯で被害が集中したために「東南海」と呼ばれるように
なり、現在では過去の同地域の地震についても東南海地震と呼ば
れるようになっている。 http://bit.ly/1n2tQPz
◎「三河 地震」
三河地震は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、
愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6・8の直下型地震で
ある。また、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1000
人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海
地震)の一つである。
1ヶ月前の1944年12月7日に発生した昭和東南海地震の
最大規模の余震とする説があるが、同地震に影響を受けて発生し
た誘発地震とする説もある。地震発生当初は昭和東南海地震(第
一次地震)に対して第二次地震と呼称された。
http://bit.ly/1imZ6nO
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「東南海地震」では、15メートルを超える大きな津波が起き
ています。そのため、志摩半島南岸などで、多くの村々を壊滅さ
せたのです。この地区には、三菱重工、安立電気、中島飛行機な
どの工場が集結しており、それらの工場は全滅したのです。さら
に米軍は、B29爆撃機編隊により名古屋を空襲しています。
この地震に追い打ちをかけるように、東南海地震の約1ヶ月後
の1945年1月13日起きたのが「三河地震」です。あまりに
もタイミングが良過ぎます。このときは、2306人の死者・行
方不明者が出ているのです。東南海地震と合わせると、3529
人の死者・行方不明者になります。
終戦直前のこの1944年から1945年にかけての2つの大
地震が地震兵器によるものと考えることは、戦時中のことであり
納得できると思います。この大震災について、当時の政府は、と
くに軍需産業が壊滅しているので、これによって国民の戦意が喪
失されることを恐れ、メディアに対し、厳しい報道管制をひいた
のです。したがって、救出活動についても、不十分なものになら
ざるを得なかったものと思われます。これについてウィキペディ
アには、次の記述があります。
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地震が発生した当時は太平洋戦争中であり、当時の政府当局に
よって国民の戦意を低下させないことや軍需工場の被害を伏せる
ため(敵への情報流出も作戦へ影響する)報道管制が敷かれ、地
震発生の報道はなされたものの被害規模やその後の状況などは多
くが伏せられた。ただし、地元でもある中部日本新聞(現・中日
新聞)は比較的多い報道を行なったほか、名古屋大学教授らから
なる震害地学術調査団を現地に派遣している。
http://bit.ly/1imZ6nO
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──[現代は陰謀論の時代/018]
≪画像および関連情報≫
●終戦直前の米軍による人工地震攻撃
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「人工地震」なんて、そんなものあるわけがないと嘲笑さ
れている皆さん、NHKの番組の意味が分かりますか?終戦
直前に愛知県で大地震があり、米軍が「地震の次は何をお見
舞いしようか?」とB29から撒いたビラで恫喝したという
ことです。
「まさか、当時、地震を米軍が引き起こしたとでも言いた
いのか?馬鹿な」と再度嘲りの声を上げたあなたにお答えし
ます。その通りです。1944年末の東海地方の地震は、米
軍が日本の軍需工場を壊滅させるために引き起こした「人工
地震」と思われ、土屋嘉男さんがまさにその証言をしてくれ
たわけです。
「人工地震」なんて65年前に完成した旧式の陳腐な大量
破壊兵器なのです。実際に、M7・9の地震でおきた津波で
数千の日本人がなくなり、日本の軍用機生産拠点であった三
菱重工業と中島飛行機の工場が壊滅的打撃を受けています。
当時の日本国政府は、なぜ、この地震被害を「密封」した
のでしょうか?政府はそれが「米軍による人工地震」であっ
たと知っていたのです。地震直前の読売新聞の記事をご覧く
ださい。「米軍は地震兵器で日本を攻撃しようとしている。
笑止千万」といった内容のストックホルム発の記事です。添
付ファイル参照。 http://bit.ly/1JwVhA0
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「人工地震で対日攻勢」/読売東京新聞