2016年01月19日

●「特定の政治勢力に支配される日本」(EJ第4198号)

 EJでは、2010年10月から2011年6月にかけて、2
つのテーマで、幕末から明治維新までを取り上げています。狙い
は、日本の政治に巣食う官僚体制がどのようにして築き上げられ
たかについて、歴史的に検証することにあったのですが、まだこ
のテーマは未完のままです。
 そのさい、腑に落ちないことはたくさんあったのです。幕末の
立役者はたくさんいますが、中枢で動いていたのは徳川慶喜であ
ることはわかっていたものの、そこに孝明天皇を中心とする堀川
一派が一緒に策動していたことは、そのときはわかっていなかっ
たのです。
 EJのバックナンバーはブログで見ることができます。幕末関
連の2つのテーマをご紹介しておきます。
─────────────────────────────
 ◎「新視点からの龍馬論」
  2010年10月 4日〜2011年 2月 4日
        EJ第2910号〜EJ第2990号
               http://bit.ly/1WiszEO
 ◎「明治維新について考える」
  2011年 2月 7日〜2011年 6月10日
        EJ第2991年〜EJ第3074日
               http://bit.ly/1n3u0ul
─────────────────────────────
 2つの天皇──政体天皇(表天皇)と国体天皇(裏天皇)がも
し本当であるとすると、幕末から明治維新、そして太平洋戦争ま
でがまるで違って見えてくるはずです。天皇の視点からも加えて
明治維新論の未完の部分を完成させたいと考えています。
 ところで「堀川政略」は、どの時点でどのようにして練られた
のでしょうか。
 おそらくそれは、安政の大獄で当時の一橋(徳川)慶喜が、隠
居・謹慎の処分を受けたときではないかと思われます。なぜかと
いうと、この堀川政略の公家方の仕掛人であり、後に朝廷内の公
武合体派の領袖になる朝彦親王も、安政の大獄で隠居永蟄居を受
けているからです。つまり、蟄居を理由として世間から姿を消し
た2人は、密かに京都でたびたび会って、公武合体論を論じてい
たものと思われます。
 朝彦親王は、当時孝明天皇よりも7歳、慶喜より14歳年上で
あり、堀川政略立案の中心人物であることは間違いないと思われ
ます。この一橋慶喜は情勢を分析できる優秀な人物であり、幕藩
体制の破たんを早くから見抜いていたのです。
 そのため、最初は嫌がっていた将軍就任を受け入れ、自らが主
導して、早くから最も犠牲の少ない方法で幕藩体制の幕引きを図
り、徳川家の存続を巧妙に図ったのです。そのための第一歩が大
政奉還なのですが、これも堀川政略のシナリオの一環です。まっ
たく新しい視点であると思います。
 ここで、1月13日のEJ第4194号の最初の問いに遡りま
す。「特定の政治勢力が長い間にわたって日本を支配しているの
ではないか」という問いです。確かに山口県の田布施町から異常
なほど多くの日本の政治リーダーが出ています。もし、大室寅之
助が本当に明治天皇であるとすると、それは皇室にも及んでいる
ことがわかります。
 考えてみると、戦前戦中戦後を通じて、安倍首相の祖父である
岸信介という政治家は大活躍をしているのです。既に述べたよう
に、岸は田布施町出身の政治家です。戦後になっても岸信介は、
A級戦犯容疑で逮捕されたのですが、裁判でいいたいことをいっ
たにもかかわらず、同じA級戦犯の7名が処刑された翌日に無罪
放免されています。特別扱いです。岸信介の裁判における発言の
一部を次に示します。
─────────────────────────────
 われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責
任はあっても、アメリカに対しては責任はない。しかし勝者が敗
者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負
けたからには仕方がない。侵略戦争というものもいるだろうけれ
ど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったとい
う考え方をはっきり後世に残しておく必要がある。 ──岸信介
           ウィキペディア http://bit.ly/1J9FreD
─────────────────────────────
 そして、同じ自民党政権でも、田布施町の政治人脈が首相のと
きは、米国との関係が親密であり、良好であるのに、それ以外の
政治勢力がトップのときはうまくいっていないのです。明らかに
選別されています。しかも安倍現総理は、はじめての2度目の総
理です。そのウラには何かがあると思います。この点について、
ブログ「日本の支配構造」の著者は次のように述べています。
─────────────────────────────
 日本の幕末〜明治維新にかけて、欧米列強(ロシアを含む)に
よる開国要求、植民地支配の圧力が強まって行きますが、それら
の対日工作を裏で画策していたのもロスチャイルドです。直接的
には日本の開国は米国の黒船の圧力によるものでしたが、その後
の倒幕〜明治維新を裏で画策したのはロスチャイルドです。日本
支配に向け、佐幕派(幕府支持、水戸藩、会津藩)に金を貸した
のは仏ロスチャイルドで、倒幕派(薩長土肥)に金を貸したのは
英ロスチャイルドです。どちらが勝っても儲かるように対立する
両勢力に金を貸すのが金貸しの常套手段であり、倒幕派(薩長土
肥)によって明治維新を実現させた黒幕はロスチャイルドと見て
おくべきです。            http://bit.ly/1RXicWi
─────────────────────────────
 やはり、ロスチャイルドが密接にからんでいるようです。それ
に欧州王室連合の世界戦略というものがからんでいるようです。
この世の中には、表で常識的にいわれていることと、まるで違う
真実も存在するのです。教科書的な歴史は真実を伝えているとは
思えないのです。    ──[現代は陰謀論の時代/011]

≪画像および関連情報≫
 ●欧州王室連合の民主化運動
  ───────────────────────────
   そもそもわが国要所によって「堀川政略」にいたる一大戦
  略を準備する必要が痛感された契機はナポレオン戦争後のヨ
  ーロッパにおける国際秩序を取り決めた「ウィーン議定書」
  (1815年6月9日成立)が結ばれ、続いて同年9月26
  日にロシア皇帝アレクサンドル1世の呼びかけで、「神聖同
  盟」が成立したことにあった。
   鎖国時代のわが国にとって遙か彼方の世界の無縁な出来事
  と言うべき、ヨーロッパ列強間に結ばれた「神聖同盟」に対
  して、なにゆえにわが国要所が危機感を抱いたか。
   ここが「落合史観」の面目躍如たるところで、通説では、
  例えばウィキペディアに説くように「これはキリスト教的な
  正義・友愛の精神に基づく君主間の盟約であり、各国を具体
  的に拘束する内容があったわけではなかった」とするが、著
  者は「しかしながら、神聖同盟の真の意味は、実は『欧州王
  室連合』の成立にあり、それは將來の『世界王室連合』を睨
  んだものだったのです。
   つまり欧州各王室の目は、この時すでに、遠く極東の日本
  皇室に向けられていました。欧州王室連合は世界王室連合に
  向かって発展するために、日本皇室に参加を求める方針を建
  てたのです」このことをもっとも敏感に察知されたのが、第
  119代光格天皇(在位1779〜1817)である。すな
  わち、光格天皇に始まる危機意識の結実こそ「堀川政略」で
  ある。ヨーロッパの王室達は日本の天皇家を巻き込み、世界
  王室連合をもくろんでいた。       ──落合莞爾著
  『明治維新の極秘計画「堀川政略」とウラ天皇』/成甲書房
                   http://bit.ly/1QegLTB
  ───────────────────────────

朝彦親王.jpg
朝彦親王
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代は陰謀論の時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。