2015年11月18日

●「マクドナルド議員は生存している」(EJ第4161号)

 大韓航空機007便は、長時間にわたってソ連の領空を侵犯し
ソ連の戦闘機による2発のミサイルの攻撃を受けましたが、時間
をかけてゆっくりと下降し、モネロン島沖に無事着水したとみら
れます。その後、乗客乗員はどうなったのでしょうか。
 シフリン・レポートによって、その後のKAL007便の乗客
乗員の消息を探ってみることにします。
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 ソ連軍戦闘機によって攻撃された同機は、サハリンに接するモ
ネロン島(海馬島)沖に着水。機体はほぼ無事で、そのまま沈み
もせず、暗い波間に浮かびつづけた。その洋上の機体に、KGB
の沿岸警備艇が接近、機体の中にいた乗員乗客は、警備艇に乗り
移った。無人になった機体は、深度の浅い海域へと警備艇に曳航
され、そこで爆破され、海底に沈められた。
 サハリン島のKGB基地の警備艇に乗せられた乗員乗客は、本
土のKGB管轄C区域のソブガバン基地へと、9月4日までに全
員が運ばれた。沿海州のソビエツカヤガバニである。
 子どもたちはそこで両親と離され、成人男女も別々に分離され
た。グループ別にティンダに向けて移送された。あの3歳のステ
ーシーと5歳のノエルは、ソブガバンに設けられた臨時の孤児収
容所に他の子どもたちと収容された。同年10月を過ぎてからそ
こを出て、ウラジオストック、オムスク、バマウル、そしてカザ
フ共和国(現カザフスタン)の孤児収容所へと送られた。分離さ
せられた成人男女が、ティンダ駅からどこの収容所へ送られたか
は不明である。               ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
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 マクドナルド議員はどうなったのでしようか。
 マクドナルド議員は、他の乗員乗客とは別の扱いを受けていま
す。1983年9月8日になって、KGBが特別に用意した飛行
機で、ハバロフスク経由で、モスクワに送られているのです。そ
して、市内のKGBの監獄ルビヤンカで尋問を受け、「囚人ナン
バー3」と呼ばれるようになります。その後はレフォルトボ収容
所に数ヶ月間収監され、毎日尋問を受ける日々を過ごします。
 モスクワ近郊のスハーノファにあるKGBのダッカ(夏期保養
所)、さらにカザフ共和国のカラガンダ監獄へとぐるぐると監獄
を移されます。待遇は悪くなく、マクドナルド議員へは、市内の
レストランから運び込まれる食事が与えられていたのです。
 しかし、連日の尋問と特別の「治療効果」によって、マクドナ
ルド議員は、自分が誰であるのかがわからなくなってしまったの
です。KGBの狙いはここにあったのです。
 1993年当時の収容所の看守からの情報によると、マクドナ
ルド議員の様子は次のようになっています。
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◎看守は議員の姿をコンピュータ画面で見ていた。画面に映しだ
 された米国人は、マクドナルド議員に間違いなかった。議員は
 カラガンダ監獄からライトバンで運ばれてきた。厳重に封印さ
 れた茶封筒には、議員のおそらくプロファイリングがはいって
 いたようだ。議員は毎週散歩するよう義務づけられていた。毎
 週1日だけカラガンダ監獄からKGBの担当官(将校)がきて
 尋問を続けた。担当官は収容所の囚人全員の変化をチェック、
 囚人間の会話を厳禁した。毎度同じそれらの仕事が繰り返され
 ている・・・。
◎1987年にはカラガンダ監獄からカザフのその小さな収容所
 へ護送される議員の姿が確認された。KGBの監視は徹底ぶり
 を極めていたから、その囚人(議員)は特別な虜囚にちがいな
 い、と収容所内の誰もが密かに噂しあった。注目を集めていた
 だけに議員の動向は把握しやすかった・・・。
                ──高橋五郎著の前掲書より
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 その後、マクドナルド議員はどうなったでしょうか。
 少なくとも2008年までは生存しています。添付ファイルを
見てください。この写真は、2008年3月に撮影されたマクド
ナルド議員の貴重な写真であるといわれます。
 左側は大韓航空007便撃墜時の1983年当時のマクドナル
ド議員であり、右側は2008年当時のマクドナルド議員である
というのです。ロシアのチュクチ自治管内のアナディリで生活し
ている遊牧民のビデオに出ていたといよわれます。
 右側の写真は一見すると、とてもマクドナルド議員には見えま
せんが、この写真の出ているサイトによると、次の分析を加えて
本人であることを確認しています。
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 眉間のY字型、鼻と鼻の下の長さが、マクドナルドと一致して
いる。25年前と比較すると顔が面長に変化している。しかし、
特に上唇と下唇の形、鼻から口にかけて皺の溝の形が左右完全に
一致している。1983年の彼の顎の骨の形は二股型。この画像
1枚からだと一瘤型のようだが、場面を少しずらすと顎の下の先
がふたつに分かれ、顎先の真ん中にわずかな窪みがある。眉毛と
目の大きさが変化している。
 しかし、歯が小さめで弱いため、下顎の歯の大きさを見る事が
できれば、それで確認する事ができる。マクドナルドは、目が、
時々ギョロリと大きくなる人で、視線などにも彼の特徴が表れて
いる。右側の画像の人がラリー・マクドナルドと確信したのは、
彼の左側の頬の肉付きと頬から鼻の根元までの面積比や角度が全
く同じで、左側の顔に対する右側の顔の面の角度と形、頬骨によ
る。左側の頬骨は逆三角形型、右側の頬骨が平ら。左右非対象で
似ているだけでは済まされない同一性がある。1983年の事故
当時48才。2010年、現在も生存していれば75才というこ
とになる。              http://bit.ly/1HNEM1o
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           ──[航空機事故の謎を探る/036]

≪画像および関連情報≫
 ●大韓航空機撃墜事件を検証する(事件直後のまとめ)
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   1983年9月1日(木)午前3時26分20秒、ソ連防
  空軍サハリン・ソーコル基地所属のスホイ15戦闘機の発射
  したミサイルはアンカレッジ発ソウル行き大韓航空KAL0
  07便乗員・乗客269名に向かって、白煙を噴いて突進し
  た。240名の乗客の多くは他社よりも割安な運賃で大韓機
  に乗る事を決めたのであろうが、誰もが飛行は順調に続いて
  いると確信し眠りについていたに相違ない。しかし、その直
  後に始まった急降下に眠りから覚めた者も、眠ったままの者
  も27分10秒に命中するミサイルの接近を知る筈もない。
   ミサイルは2発。1発或いは両方が赤外線誘導による物で
  あった。ジェットエンジンの排出する熱を求めてミサイルは
  追尾する。エンジン部に命中すれば主翼の半分近くは破壊さ
  れ正常な飛行を続ける事は不可能であろう。1万メートル近
  くの高度から5千メートルに急降下した時、客室内の気圧は
  急激に低下し、乗客は救命着も付けないままで恐怖に耐えて
  いたのであろう。海面に激突する38分迄の間、損傷した機
  体は何故か沖に向かって飛び続ける。機内は照明も消え暗黒
  の中で負傷者のうめき声、時折起こる爆発音と不気味な振動
  が続く。乗客の誰もが何が起きたのか理解できないままで死
  を待つ以外に無かった。彼等は何の為に死ななければならな
  かったのか。彼等を救う方法はなかったのか。
                   http://bit.ly/1MgU5yh
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マクドナルド米議員/2008年撮影.jpg
マクドナルド米議員/2008年撮影
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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