学教授、文部省在外研究員、フルブライト上級研究員、オレゴン
大学、アリゾナ大学、ノース・カロライナ大学、ロンドン大学各
客員教授を経て跡見学園女子大学短期大学部教授になり、現在、
同大学名誉教授という経歴の学者です。
武本昌三氏は、不幸にも1983年9月1日に起こった大韓航
空機007便事故で妻子を失っているのです。武本氏はKAL0
07便事故に疑惑を抱き、米国に長期滞在しながら、この事件を
詳しく調査し、次の本を上梓したのです。
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武本昌三著/潮出版社
『疑惑の航跡/大韓機撃墜事件 安らかに眠れ妻と子よ』
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現在、この本は入手不能になっています。武本昌三氏は、この
本で、高橋五郎氏の本によると、大韓航空機007便事件につい
て次の3つの指摘をしているといいます。
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1.大韓機ソ連領空侵犯は単なる人為ミスとは考えられない
2.米国政府は同機の航路逸脱を知りながら警告していない
3.日米両国とも、持てる情報の一部を作為的に隠している
──高橋五郎著
『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
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一番不可解なのは米国です。米国といっても当時のレーガン政
府という意味ではないのですが、一応この段階では米国というこ
とにしておきます。ちなみに米国は、マレーシア航空事故──M
H370便とMH17便事件でも、疑惑の対象になっています。
もう一人ご紹介すべき人物がいます。その名前は、アブラハム
・シフリン氏です。シフリン氏はスターリン暗殺未遂事件に関連
したソ連のユダヤ人狩りで逮捕され、イスラエルのスパイという
罪状で死刑を宣告されています。しかし、土壇場で死刑を免れ、
減刑され、釈放されたのです。
シフリン氏は、この長年にわたる収容所生活において、さまざ
まな重要な情報を掴んでいます。そのなかに大韓航空撃墜事件の
情報もあり、その内容は驚くべきものであったのです。その情報
とは、次の通りです。
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大韓航空機007便の乗客乗員は生存している
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釈放後、シフリン氏はイスラエルに移住し、「強制労働収容所
・精神矯正収容所リサーチ・センター」を設立します。そして、
そこでKAL007便の生存者の調査をはじめ、1993年まで
の追跡活動をまとめたレポートを発表したのです。これは「シフ
リン・レポート」と呼ばれています。
当然のことですが、このシフリン・レポートは関係各国に大衝
撃を与えたのです。なお、このレポートは、米国におけるキリス
ト教団体の機関紙「ミッドナイト・メッセンジャー」(1994
年1・2月合併号)にも掲載されています。
しかし、ソ連政府もワシントン政府もこれに対して完全無視の
姿勢を貫いたのです。これに立腹したシフリン氏は、1991年
7月11日にシフリン・レポートに関して記者会見を開こうとし
ます。しかし、当日一人の記者も、記者会見の会場に姿をあらわ
さなかったというのです。何者かが直前に「記者会見は中止」と
いうウソの情報をマスコミ機関に触れ回ったからです。
そこでシフリン氏は、マスコミ各社の記者に会って資料を渡し
直接アプローチしたのですが、どこの社も取り上げようとはしな
かったのです。何か大きな圧力がかかって、シフリン・レポート
を潰しにかかったのです。
ところが、1992年10月26日に乗客乗員生存情報は大き
く動いたのです。韓国の国会で、国民党(当時)の孫世一国会議
員が、「CIA秘密報告書」なる資料を掲げ、「大韓航空007
便の乗客乗員はソ連の強制収容所」で生きている」という爆弾発
言を行ったのです。
この孫世一国会議員の爆弾発言を契機として、日本のマスコミ
も初めてこのニュースを大きく取り上げ、次のように大きく報道
したのです。
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●KAL機撃墜生存者がいた!?
83年9月に起きた大韓航空(KAL)機撃墜事件をめぐり
韓国の国会本会議で26日、野党議員が「米中央情報局(CI
A)の極秘文書によると、KAL機は海上に不時着し、生存者
もいた可能性がある」と“爆弾質問”する一幕があった。
同事件では乗員・乗客269人全員が死亡したとされ、エリ
ツィン・ロシア大統領も今月中旬、韓国などに関連資料を伝達
した際、生存者はいなかったと説明したばかりとあって、韓国
政府関係者は9年ぶりの生存者説に首をひねっている。
―――1992.10.27付、読売新聞
●大韓機事件でCIA報告書/生存者の可能性指摘
1983年9月にサハリン上空で起きた大韓航空機事件で、
米中央情報局(CIA)が最新、極秘報告書を作成し、同機が
サハリン沖に不時着し、生存者がいる可能性があると指摘して
いることが26日、明らかになった。同報告書は、生存者がい
る場合、送還を求める『外交的な努力が必要だ』としており、
日韓米の遺族らから抗議の声が上がることも予想される。韓国
民主党の孫世一・韓国国際委員長が同日、韓国国会の対政府質
問でこの報告書の内容を明かし、日韓米、ロシアの4ヶ国で共
同調査団を作り、再調査するよう要求した。
―――1992.10.27付、朝日新聞
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──[航空機事故の謎を探る/031]
≪画像および関連情報≫
●KAL007便撃墜を指揮した元ソビエト空軍司令官が死亡
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1983年9月1日にニューヨーク発アンカレジ経由ソウ
ル行きの大韓航空、KE007便の747−200、機体記
号(レジ)「HL7442」を撃墜し、乗客乗員269人を死
亡させた事件を指揮したソビエト空軍の元司令官アナトリー
・コルヌコフ氏が、2014年7月1日に72歳で死亡しま
した。ニューヨーク・タイムズが報じています。
大韓航空機撃墜事件は、大韓航空機がソビエトのカムチャ
ツカ半島を横切るなど領空侵犯し、ソビエト空軍のスホーイ
Su−15がミサイルで撃墜した事件です。冷戦期で敵対陣
営の機体とはいえ、大勢の民間人が乗った旅客機を撃墜し死
亡させた事件とあって世界に衝撃を与えました。
ソビエト空軍は大韓航空機をアメリカのスパイ機と判断し
当時サハリン地区の防空を指揮していたコルヌコフ氏がSu
−15のパイロットに撃墜を指示しました。その後、コルヌ
コフ氏は、1998年にエリツィン大統領からロシア空軍司
令官に任命され再び注目を集めました。
1998年に行われたロシアのテレビのインタビューで、
事件の感想を求められた際にコヌルコフ氏は「嫌な思い出で
傷跡を残し、白髪を増やした」そして「私は常に正しい命令
を下したと確信している。時として戦略的な作戦では軍隊を
守るため大勢を犠牲にしなければならない」と話しました。
http://bit.ly/1SBifG6
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武本 昌三氏の本


