2015年11月04日

●「なぜ死亡宣言をそんなに急ぐのか」(EJ第4151号)

 大韓航空機(KAL)007便が撃墜されたのは、1983年
9月1日未明のことです。日本では、事件の第1報を伝えたのは
1日の夕刊各紙です。9月1日付の朝日新聞夕刊は次のように伝
えています。
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 ◎268人乗り大韓航空機、サハリン付近で不明。ソ連が着
  陸を強制?爆撃説や乗っ取り説も
 ◎韓国外務省は1日午前10時半すぎ、同日未明から行方不
  明になっていた大韓航空007便ニューヨーク発ソウル行
  きボーイング747機が「ソ連サハリン(ユジノサハリン
  クス空港とみられる)に強制着陸させられたとの第3国か
  らの非公式通告を受けた」。
         ──1983年9月1日付、朝日新聞夕刊
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 この時点では、生存の可能性が残っていたのです。メディアに
もそういう情報は入っていたはずです。しかし、9月2日付の朝
日新聞朝刊は一転して次のように報道したのです。
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 レーガン政権のジョージ・シュルツ国務長官がミグ23とソ連
軍地上局との無線交信を傍受して得られた情報として、ソ連のパ
イロットはミサイルを発射し、目標は破壊されたと報告した。0
07便はミグ23とみられるソ連軍機によって撃墜された。
          ──1983年9月2日付、朝日新聞朝刊
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 このように、9月2日の朝刊紙では、各社「大韓航空機、ソ連
が撃墜、268人全員死亡」という報道一色になったのです。お
かしいのは、この報道は、KAL007便とみられる機影が消え
て、わずか20時間11分後のことなのです。あまりにも早過ぎ
ると思いませんか。
 このような事故の場合、人の生死に関しては、確認ができるま
では報道しないものです。それなのにこの事件では、早々と「死
亡宣言」を出しています。情報元は米国ですが、これに関して国
連も、当のソ連のタス通信も死亡宣言をフォローしています。
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 ◎デクエヤル国連事務総長は事件の推移を詳しく見守ってい
  る。民間人の命が失われたことを深く悲しんでいる。
                  ──9月1日付共同電
 ◎権限を与えられたタス通信は、ソ連指導部内で、人命が失
  われたことに関して遺憾の意が表明されていることを公表
  し・・・。           ──9月2日タス通信
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 なぜ、このように死亡宣言を急ぐのでしょうか。撃墜事件が起
きてから、わずか1日程度しか経過していないし、KAL007
便の墜落現場も確認されていない時点での死亡宣言です。あまり
にも不自然です。
 さらにダメ押しがこれに加えられるのです。それは保険会社の
発表です。9月14日の報道では次のように伝えています。
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 13日、ロンドンの保険会社スチュワート・ライトソン社は、
KAL007便の大韓航空機にかけられていた戦時保険の保険金
2682万4000ドル(約65億円)を同日大韓航空に支払っ
たと発表した。       ──9月14日付、朝日新聞朝刊
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 事故当日から約2週間後の保険金支払いは異常です。通常であ
れば、機体破損の事故から早くても数年はかかります。それに、
この保険は戦時保険です。この保険金が支払われるということは
KAL007便がソ連のミサイルによって撃墜され、破壊された
ことが「事実」として認定されたことを意味するのです。
 この事件の主役はレーガン政権であると思われます。そうであ
るとすると、その狙いは何でしょうか。
 誰でも考えられることは、ソ連が「悪の帝国」であることを実
証するためです。つまり、ソ連という国は、民間航空機に対して
ミサイルを発射して撃墜し、乗客乗員全員を死亡させるような残
虐非道なことをやる国であることを世界中に知らせるためです。
これはレーガン政権の戦略と一致します。
 この事件の裏の事情を察知したソ連政府は、事件発生後の9月
6日に次の政府声明を出しています。
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 要するにこの事件はソ連の戦略的重要地域での故意かつ前もっ
て計画された行動だった。この行動をそそのかした者たちは、結
果がどうなるかを当然、認識していたはずだ。
 彼らは明らかに、民間機を使った大情報作戦を実施に移し、故
意にその乗客たちを死の危険にさらしたのである。この航空機を
ソ連空域に向かわせるためのデータがどうして機内のコンピュー
ターに入力されたのか、誰にもわからないだろう、というレーガ
ン声明ほど皮相な言葉を誰が想像できるだろうか。
 今回の領空侵犯は技術的な過ちではなかった。この航空機は、
情報作戟を滞りなく実行する予定だったが、もしその任務を阻止
された場合、彼らはこの作戦全体を反ソの一大政治的挑発行動に
切り替えるつもりだったのである。
 米特殊機関によって汚い目的のために使われたこの航空機の乗
客たちは、この厚かましい犯罪の犠牲者となったのである。ソ連
政府は罪のない人々の死に弔意を表明し、その道族、友人と悲し
みを分かちあうものである。今回の悲劇の全責任は完全に米国指
導者たちである。(抜粋)
          ──1963年9月7日付、朝日新聞より
─────────────────────────────
 この声明では、この事件は米国の諜報機関の仕掛けた謀略であ
ることを指摘しており、ソ連軍のとった対応は当然の行動である
と主張しています。  ──[航空機事故の謎を探る/026]

≪画像および関連情報≫
 ●東西冷戦下の国際事件を学生が取材/大韓航空機撃墜事件
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   1983年9月に起きた『大韓航空機007便撃墜事件』
  という出来事を、覚えておられるだろうか?なんらかのミス
  によってソ連領空内に進入した大韓航空機007便を、ソ連
  の戦闘機がミサイルを発射して撃墜した事件だ。破壊された
  機体は、北海道稚内市の北方数十キロ付近の海域に墜落し、
  乗員乗客269人(うち日本人28人)が犠牲になった。
   東西冷戦下に起きた国際的な事件として、歴史年表にも記
  されている。情報公開が遅れたために、日米ソ間の情報戦や
  政治的駆け引きだけが大きくクローズアップされた。
   その後、日本航空123便の御巣鷹山への墜落、北朝鮮工
  作員による大韓航空機爆破事件が立て続けに起きて、この大
  韓航空機007便撃墜事件の記憶は急速に風化してしまった
  感が強い。結局、同撃墜事件は、真相が不透明なままで幕引
  きとなったばかりか、遺骨も遺品も遺族の元に戻ることはな
  かった。ある意味、遺族は歴史の中で置き去りにされた形と
  なった。
   FLPジャーナリズムプログラム松野良一ゼミは2009
  年、稚内でドキュメンタリーの制作活動中に、同撃墜事件の
  遺族会副会長・中澤建祐さんと知り合い、遺族の証言を記録
  するプロジェクトを立ち上げた。そして、足掛け3年をかけ
  て、犠牲者の足跡を全国に訪ね歩き、結果的に計14人の遺
  族の方々にインタビューすることができた。学生たちは、自
  らの取材体験も含め、遺族の証言を軸にルポルタージュを執
  筆した。その成果を中央大学出版部が刊行する『中央評論』
  277号に、特集「大韓航空機〇〇七便撃墜事件」として発
  表した。             http://bit.ly/1Q0J9si
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ジョージ・シュルツ元米国務長官.jpg
ジョージ・シュルツ元米国務長官
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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