2015年10月01日

●「何かを隠しているマレーシア航空」(EJ第4129号)

 最初にマレーシア航空370便の失踪事件について考えること
にします。ところで、マレーシア航空とはどういう航空会社なの
でしょうか。
 マレーシア航空の前身は、1947年のマラヤ航空です。19
57年にマラヤ連邦は英国から独立します。1963年になって
マラヤ連邦とシンガポールおよびボルネオ島のサバ州とサラワク
州が統合し、マレーシアが結成されたのです。それに伴い、マラ
ヤ航空はその名称をマレーシア航空に改称します。
 1965年にシンガポールがマレーシアから離脱・独立したの
を契機に、1967年にマレーシア航空は、マレーシア、シンガ
ポール両国政府の共同保有になり、マレーシア・シンガポール航
空になります。そして1971年4月にこの共同保有は解消され
マレーシア航空とシンガポール航空に分離したのです。
 このマレーシア航空の正式名称は「マレーシア航空システム/
マレーシア・エアライン・システム」(MAS)というのですが
2002年に政府全額出資のマレーシア航空会社(PMB)が設
立されると、機材保有と国内線はMASからPMBに移管されて
います。そして、MASはPMBの子会社として、主として国際
線の運航会社になったのです。一応かたちはこうなっていますが
一般的にマレーシア航空といわれる航空会社は、事実上国営とい
うことになります。
 2006年の原油高によってMASが経営危機に陥ると、国内
線96路線をLCCのエアアジアに委譲し、エアアジアと資本提
携まで結ぶのです。競合関係にある「格安」による「国営」支援
という異例の連携策でしたが、2012年にこの資本提携は解消
されます。そして、2013年に経営再建中のMASは、航空連
合「ワンワールド」に加盟するのですが、事故はその翌年の20
14年に起きるのです。おまけにエアアジアまで事故を起こして
いるのですから、経営再建の途上という最悪のタイミングで、事
故が連鎖して起きたことになります。
 マレーシア航空370便(以下、MH370便)がどのように
して、クアラルンプール空港を飛び立って行ったかについて調べ
てみることにします。しかし、マレーシア航空、運輸省、軍はほ
とんど情報を公開していないのです。最低でも次の4つのデータ
(ローデータ)は明らかにするべきですが、このうち明らかにし
たのは、乗客乗員数の239名だけなのです。
─────────────────────────────
         1.     飛行計画
         2.出発時の機体の重量
         3.     搭載燃料
      →  4.    乗客乗員数
─────────────────────────────
 このMH370便の行方不明事件については、元日本航空機長
の杉江弘氏が事故直後からテレビ番組に連日出演し、2014年
7月には、『マレーシア航空機はなぜ消えた』(講談社刊)を上
梓されており、MH370便に関する記述は、杉江氏のテレビで
の発言や、著作を参照させていただくことになります。
 MH370便の予定されていた飛行は、マレーシアの首都クア
ラルンプール空港から中国の北京首都空港までであり、標準的な
飛行時間は5時間55分です。杉江氏によると、こういう場合、
目的地の北京首都空港で何か不測の事態が起きた場合に備えて代
替空港を予定し、そこまでの燃料を追加しておくのが機長として
の通常の務めであるといっています。
 杉江氏の推測によると、その代替飛行場は天津空港であり、そ
れに航空法上定められている上空待機燃料を加えると、約8時間
分の燃料を搭載していたものと思われます。これによって上記の
「3」が決まり、それから「2」も決まることになります。行き
先もわかっているので、必要なデータは航空関係者であれば推測
できますが、こういうデータは事故を起こした航空会社──MH
370便の場合はマレーシア政府から、速やかに情報が提供され
てしかるべきものです。
 本来真っ先に提供されるべきなのは、MH370便が出発して
マレーシアの民間の航空路レーダーから機影が消えるまでの機と
管制塔の交換記録ですが、これについても当初はマレーシア側か
らは提供されず、外国メディアが公表したので、やむを得ず追認
するかたちでの公表になったのです。
 それにしても、マレーシア政府はなぜこうまでして情報を隠す
のでしょうか。これについて、杉江弘氏は怒りを込めてマレーシ
ア政府のメディア対応を次のように批判しています。
─────────────────────────────
 会見では、なにを聞かれても「把握していない」「確認してい
ない」「あらゆる可能性を」を3点セットを毎日繰り返し、外国
メディアからの質問を受けつけない。過去に航空事故を受けて当
該政府当局が今まで行ってきた対応からすると、目を疑うような
言動が続いている。関係機関は、ローデータ(基礎的データ)、
たとえば、機体の出発時の重量や搭載燃料、フライトプラン(飛
行計画)なども、なぜ明らかにしないのか?
 自ら明らかにしたのは「便名」と「乗客乗員数」のみである。
これまでのマレーシア当局の対応は、真相を知りたがっている家
族やメディアに対し「引き延ばし」と「的を絞らせない」といっ
た作戦を取っているとしか思えない。      ──杉江弘著
        『マレーシア航空機はなぜ消えた』/講談社刊
─────────────────────────────
 MH370便の管制記録は、出発のさいのやり取りしかないの
です。通常であれば、もし機内で何かが起こったとき、機長は無
線やトランスポンダーを使って、数秒で管制官に異常を知らせる
ことができるのに何も知らせてきていないのです。それすら、や
ることができない事態とは、突然の空中爆発ぐらいしか考えられ
ないのです。しかし、そのような空中爆発の起きた気配は全くな
いのです。      ── [航空機事故の謎を探る/004]

≪画像および関連情報≫
 ●インド洋南部に墜落と断定したマレーシア政府
  2014年3月28日付「逝きし世の面影」ブログより
  ───────────────────────────
   丸々1週間も情報を隠して、捜索隊や世界の目を何も無い
  ベトナム沖の南シナ海に誘導して、機体の捜索を意識的に妨
  害していたらしいマレーシア政府ですが、貴重な時間を浪費
  して何かの工作を行っていたのでしょう。
   イギリス領のディエゴ・ガルシア島のアメリカ軍とかハイ
  ジャックした機長と秘密交渉をしていたのかも知れないが、
  それなら事故から1週間後の15日の驚愕発表は交渉決裂の
  サインだと解釈する方が判りやすい。(何れにしろ乗客の命
  は助からないでしょう)
   マレーシアのナジブ首相(兼財務相)は24日、英事故捜
  査当局からの報告を受けてマレーシア機が『インド洋南部で
  最後を迎えた』と結論する。ナジブ首相ですが、何一つ、具
  体的な物証が無い状態でも乗員乗客239人全員死亡での早
  期の決着での、事件の『幕引き』を急いでいる風に見える。
  (政府当局の発表翌日の25日には早くも行方不明マレーシ
  ア機乗客の親族が、米国に多額の賠償金を要求して、米イリ
  ノイ州地方裁判所に審議開始の申し立てをしているが、提訴
  は事前に用意していたと思われる)ナジブ首相は何故か、マ
  レーシア機の行方不明から1週間後の15日には、不明機の
  捜索エリアを(1)中央アジアなど北部の陸地(2)インド
  洋など南部の2箇所に絞ると発表していたのである。
                   http://bit.ly/1M0vzyr
  ───────────────────────────

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posted by 平野 浩 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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