2007年05月23日

●「OAK」が「Java」となった日(EJ第2085号)

 ファースト・パーソン社は、オークを正式に世に出すに当たっ
て、「オーク」という名前を変更する必要があったのです。なぜ
なら、「オーク」は既に商標登録されていたからです。もうひと
つ「ウェブランナー」という名前も候補にあったのですが、これ
も商標登録されていたのです。
 しかし、「オーク」という名前には愛着のあるスタッフも多く
いて、「オーク」は使えないとしても、OAK――オブジェクト
・アプリケーション・カーネルという長い名前の略称として残そ
うという案もあったのですが、実現は不可能だったのです。
 ポレーゼーは、名前を決める会議の司会をプロのコンサルタン
トに頼むことにしたのです。そして、会議の日、ポレーゼーは、
はじめに「ダイナミック」「ライフ」「エネルギー」の3つの言
葉をボードに書いて、コンサルタントに引き継いだのです。会議
の場には商標専門の弁護士も同席していたのです。
 一時「シルク」という名前が何人かの支持を集めたのですが、
これにはゴスリングが「歯が浮く」といって反対したのです。い
ろいろな名前が提案され、候補から消えていったのです。そして
何時間も経過した頃、誰かが「ジャバ」という名前を提案したの
です。ポレーゼーはその名前を聞いたとたん、これはいけると感
じたといいます。
 「ジャバ」という名前は躍動感があり、親しみやすく、母音が
多い――商標専門の弁護士も「ジャバ」なら大丈夫と太鼓判を押
したので、大方は「ジャバ」でまとまる雰囲気になったのですが
それでも何人かの反対者はいたのです。
 結局製品名決定会議では「ジャバ」という名前を第1候補とし
て、他のいくつかを付けて上層部に図ることになったのです。そ
の会議に同席し、後にポレーゼーが率いるマリンバの一員になる
サミ・シャイオは、このときの印象を次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 選択肢をまともな方向へもっていったのは、間違いなくキムの
 功績だ。(キムとしては)個人的には、WRLという名前を推
 していたと思う。           ――サミ・シャイオ
            ――ロバート・リード著/山崎洋一訳
   『インターネット激動の1000日』上巻 日経BP社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 サンの上層部の会議では、キムの提案通り製品名は「ジャバ」
に決まったのです。エリック・シュミットは、トップにこの名前
を決定させたのはポレーゼーの力によるものであり、自分の力は
入っていないと強調しています。
 上掲の本を読んでいて感ずるのは、サンの最高技術責任者であ
るエリック・シュミットという人物はなかなか立派な人物であっ
たと感じさせます。もともと温和な人物であるようですが、物事
を決めるさいにはけっして上司の権限を使わず、スタッフ主導に
まかせながら、サンのトップに対しては通すべきことは通す立派
なリーダーであると思います。
 「ジャバ」という名前を決めたサンの会議では、1995年5
月のサン・ワールド年次会議において、サンのインターネット戦
略を発表することが決まったのです。そのとき、JAVAが目玉
であり、主役になることは間違いなかったのです。
 こういう状況になると、サンとファースト・パーソン社がそれ
ぞれ分かれてやっているときではなく、一体となってことに当た
る必要があったのです。技術者は本気で準備と最後の追い込みに
入ったのです。今までのように、プロトタイプの開発の追い込み
と違って、「ジャバ」というサンの製品を正式にリリースするた
めの追い込みなのです。意気込みが違います。
 このような経緯でポレーゼーは、サンの広報部と一体になって
動くことになったのですが、実質的な主導権はポレーゼーが握っ
ていたのです。彼女がまず着手したのは、JAVAのテスト・サ
イトを増やすことだったのです。
 ポレーゼーの努力の結果、サービス産業の大手であるモルガン
・スタンレーとアーサー・アンダーセン、最先端のインターネッ
ト企業であるホットワイアードがテスト・サイトに加わったので
す。これらの企業はJAVAに惚れ込んでしまったといいます。
 しかし、ポレーゼーがターゲットにしていたのは、ネットスケ
ープ・コミュニケーションズ社だったのです。なかでもマーク・
アンドリーセンがJAVAをどう考えるかがとても心配だったの
です。彼女は「新聞などのスクープでマークがJAVAを知るの
だけは避けたい」と考えたのです。
 そこで、ポレーゼーは、アンドリーセンに思い切ってメールを
出して、JAVAをダウンロードしてもらい、率直に感想を聞い
たのです。アンドリーセンは直ちにJAVAをダウンロードして
「凄い!」という返信のメールをくれたのです。さらに、ポレー
ゼーと広報部のスタッフはマスコミに情報をリークすることにし
たのです。サンのしきたりでは、上層部の承認を得ることが必要
だったのですが、それを無視したわけです。
 狙いは、サンノゼ・マーキュリー・ニュース紙――マーク紙で
あったのです。マーク紙の記者との数時間の取材に応じたうえ、
アンドリーセンには必ず話を聞いてくれと念を押したのです。そ
のとき、記者はエリック・シュミットにも会見を求めて会ってい
ます。当然、シュミットにとっては寝耳に水だったのですが、彼
は快く会見に応じています。シュミットならそうしてくれるとポ
レーゼーと広報部は予想していたのです。
 翌日のマーク紙――第一面の折り目の上にあるトップ記事とし
てJAVAが掲載されたのです。タイトルは「ホットジャバが役
立つとサンが考える理由」だったのです。アンドリーセンのコメ
ントも出ています。彼は「このソフトがまったく新しいものであ
ることは間違いない。凄いものだ」とコメントしています。
 大成功だったのです。ポレーゼーはこの日のマーク紙を今でも
宝物にして持っているそうです。1995年3月23日のマーク
紙の記事です。 ―― [インターネットの歴史 Part2/51]


≪画像および関連情報≫
 ・「ホット・ジャバ」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「ホット・ジャバ」はウェブ・ブラウザ――JAVAによる
  最初のソフトウェアである。これは、ファースト・パーソン
  社のジョナサン・ペインによって開発されたものである。な
  お、JAVAに関しては次の言葉が有名である。
   Write Once,Run Anywhere/一度書けばどこでも走る
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:39| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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