2003年03月26日

●ポランスキーがいちばん訴えたかったこと(EJ第1072号)

 この映画で、米アカデミー賞主演男優賞を獲得したエイドリア
ン・ブロディは、「このような時期にこの賞をもらうことを悲し
く思う」とスピーチして、米国主導による対イラク戦争を批判し
ていました。
 映画を見て感じたことは、現在世界中に巻き起こっている反戦
の嵐は、この時期にこの映画が上演されていることにも、関係が
あるのでは・・ということでした。この映画を見た人は、必ずや
「戦争はけっしてやってはならない」と感ずると思うからです。
 この映画で監督のロマン・ポランスキーが訴えたかったことは
戦争そのものの悲惨さというよりも、戦争が人をいかに残酷にす
るか、非人間にしていくか、ではなかったかと思います。
 車椅子の老人を階上の窓から外へほうり投げたり、「私たちは
どこに行くのですか」と質問する女性を容赦なく射殺したり・・
そういうシーンが異常なほど延々と続くのですが、そういう悪逆
非道を尽くすドイツ兵には何のためらいも見られないのです。
 いや、一度でもためらってしまうと何もできなくなるので、そ
れが、あたかもごく自然の行為であるように平然と実行する――
そうしないとドイツ兵として生きていけないのです。一方、そう
いう仕打ちを受ける当時のワルシャワ在住のユダヤ人も、ドイツ
兵のそういう非道な行為をごく平然と、まるで日常の行為のよう
に受け止めるようになる――ドイツ兵もユダヤ人も、そういう非
人間になってしまうのです。それが戦争の恐ろしさです。
 ポランスキー監督は、この映画の前半でそういう残酷なシーン
をいやというほど繰り返し見せつけることによって、映画を見て
いる観客にも、そういう恐ろしいことの反復が一種の慣れを生ず
ることをわからせようとしているのです。
確かに、白昼人が平然と殺され、道路にそのままに放置される
というシーンが執拗に繰り返されていくと、観客としてもそこに
一種の慣れというものが生じて、あまりショックを受けなくなる
ものです。それが、戦争というものの怖さであることを、ポラン
スキー監督は何よりも訴えたかったのだと思います。
 ポランスキー監督自身も、子どもの頃、この映画の舞台である
ゲットー(ユダヤ人居住区)で暮らしており、ワルシャワ大空襲
も経験しているのです。そして、両親は収容所送りになり、父親
は助かったものの、母親はそこで亡くなっているのです。
 この幼い時期の不幸な体験ゆえに、『シンドラーのリスト』の
監督をオファーされたとき、心の深い傷にまだ向き合う準備がで
きていないとして断っているのです。
 そんなポランスキーが、この映画の原作である『戦場のピアニ
スト』(ウワディスワフ・シュピルマン著)に出会ったとき、心
踊る思いだったと次のように語っているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  私はポーランドの歴史におけるこの痛ましい一章を、いつか
 きっと映画化する時がくると思っていました。今まで撮らなか
 ったのは、しっかりとした題材が必要だったということもあり
 ますが、私自身がしっかりとしたビジョンを持つ必要があった
 からです。いずれにせよ、自伝的な作品にはしたくありません
 でした。なぜ、この原作に出会って、心躍る思いだったかとい
 うと、私の個人的体験に近すぎるということがなかったからで
 す。もちろんそこに描かれているのは、私のよく知っているこ
 と、とてもよく覚えていることでした。そして、これなら、私
 自身のことを語らずに、当時の出来事を再現できると思ったか
 らです。           ―――ロマン・ポランスキー
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第2次世界大戦がはじまったのは、1939年9月1日のこと
です。そのときドイツが真っ先に目指したのがポーランドの首都
ワルシャワの占領だったのです。9月8日にワルシャワはドイツ
軍に包囲されます。
 9月25日、歴史に残るといわれるワルシャワ大空襲が行われ
28日にポーランドは全面降伏を余儀なくされるのです。当時、
ポーランドには約350万人のユダヤ人がおり、そのうち36万
人がワルシャワで暮らしていたのです。彼らは、職人、商人、労
働者、専門家などであり、ワルシャワの人口の30%を占めてい
たのです。
 10月1日にドイツ軍がワルシャワに入ってきます。そして、
12月1日から、ユダヤ人全員が、ダヴィデの星のついた腕章を
付けることを義務づけられ、財産や所持金も没収されてしまいま
す。そして、交通機関の利用は禁止され、公園は立入り禁止、歩
道を歩くことさえも禁止されるのです。
 さらに1940年の4月からは、ヒットラーの命令によって、
周囲を壁で囲まれた307ヘクタールのユダヤ人居住区が作られ
ユダヤ人はそこに押し込められるのです。これが、ゲットーとい
われるものです。
 11月になると、ワルシャワの全ユダヤ人はゲットーに入れら
れ、他の地区からのユダヤ人も集められて、1941年3月まで
には、その数は約46万人にまでふくれ上がります。その頃から
本格的なユダヤ人虐殺がはじまるのです。『戦場のピアニスト』
の主人公のシュピルマンもゲットーの住人だったのです。
 映画の中頃で「50万人いたユダヤ人は、今は6万人しかいな
い」ということが語られますが、戦後解放されたワルシャワで生
き延びていたユダヤ人は20人だけだったといわれます。
             −− [戦場のピアニスト/01]

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posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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