2007年05月18日

●VM−−仮想マシンについて知る(EJ第2082号)

 ファースト・パーソン社のジェームス・ゴスリングらの開発し
た「仮想マシン――ヴァーチャル・マシン/VM」について少し
解説しておくことにします。
 仮に「ジャバ語」という外国語があったとしましょう。そのジ
ャバ語で書かれた重要なメッセージがあるとして、その内容を日
本人と米国人に伝えたいとします。
 この場合、直接日本語や英語に翻訳しないで、その前段階であ
る「共通コード」というものを翻訳するのです。そして、その共
通コードを理解する日本人通訳を日本人に、同じく共通コードを
理解する米国人通訳を米国人にあてがうと、日本人と米国人に同
じメッセージの内容が伝わります。
 さらにこのメッセージを中国人にもイタリア人にも伝えたいの
であれば、共通コードを理解する中国人通訳とイタリア人通訳を
用意すればいいのです。
 実は「オーク」――JAVAは、この考え方を使っています。
それぞれの関係を示すと次のようになります。添付ファイルの図
を見ながらごらんください。
―――――――――――――――――――――――――――――
  ジャバ語のメッセージ ・・・・ JAVAプログラム
  共通コード ・・・・・・・・・ JAVAバイトコード
  共通コードを理解する通訳 ・・ JAVA仮想マシン
  日本人、米国人など ・・・・・ コンピュータ+OS
―――――――――――――――――――――――――――――
 JAVAのプログラムは、JAVAコンパイラによって翻訳さ
れて実行可能なプログラムになるのですが、そのプログラムは、
CPUが直接理解する機械語ではないのです。「JAVAバイト
コード」と呼ばれる特殊なコード(命令)であり、それを解釈し
実行するソフト(実行環境)がJAVA仮想マシン――VMなの
です。つまり、JAVA仮想マシンは、ウインドウズやMACの
OSに対応したものがそれぞれ用意されているのです。
 難しい話はこれで終わりにして話を元に戻します。
 キム・ポレーゼーは、スターセブンのデモで知り合ったパトリ
ック・ノートンとその後も連絡を取るようになり、ノートンが属
していたファースト・パーソン社(グリーン・チームが法人化)
に興味を抱くようになったのです。そして、同社からの打診を受
けて、入社を決意したのです。1993年夏のことです。
 ファースト・パーソン社に入って気がついたことは、同社の雰
囲気は彼女が最初に入社したインテリコープに似ていたのです。
確かに有能なエンジニアが集まって、それぞれ世界を変える製品
を作ろうと日夜がんばっているのです。しかし、それは天才的頭
脳を持つ子どもたちが集まって、おもちゃ箱をひっくり返して何
かをやっている――そんな感じだったのです。
 この頃の米国のベンチャー企業について調べてみると、必ずと
いってよいほどひとつの共通点があったのです。それは双方向テ
レビ――要するに視聴者側もメッセージを発信できるインタラク
ティブ・テレビ――現代のデジタルTV――その開発を目指して
いることだったのです。ファースト・パーソン社もそれを目指し
ていたというわけです。
 ファースト・パーソン社はいくつものプロトタイプを製作し、
スタッフはそのデモのため米国中を飛び回っていたのですが、一
向に売れなかったのです。とくに同社にとってショックだったの
は、タイム・ワーナーの実験用双方向テレビのプロトタイプの受
注競争で、SGI――シリコン・グラフィクス社に負けてしまっ
たことです。今度こそという思いで臨んだ商戦で、SGIにまん
まと油あげをさらわれてしまったのです。
 ポレーゼーがファースト・パーソン社に入社したのはちょうど
その頃なのです。今になってみればわかるように、1993年の
時点で双方向テレビを目指すのは、明らかに時期早尚だったとい
えます。インターネットの方がはるかに可能性があったのです。
しかし、誰もそれに気がついていなかったのです。あのマーク・
アンドリーセンを除いてはです。
 当時ファースト・パーソン社は事業計画について大きな問題点
を抱えていたのです。それは「事業計画そのものが存在しない」
ことだったのです。ポレーゼーがそれを主張したところ、とんで
もない命令がトップから下りてきたのです。「それじゃ、君が事
業計画を作ってくれ」という命令です。
 ポレーゼーは「そんなこと、トップの仕事でしょ!私はプロダ
クト・マネージャなのよ」といいたかったのですが、いっても作
れないと思ったのです。そこで、自らトップになったつもりで事
業計画を作ることにしたのです。
 結局、彼女の作業に協力してくれたのはあのパトリック・ノー
トンだったのです。2人は基本前提を考えてみたのです。「オー
ク」の目指しているのは双方向テレビ用受信機である――これが
できると、コンテンツ、ソフト、電子商取引システムなどの開発
者が大量に双方向テレビを支援するはずという前提に立っている
のですが、肝心の双方向テレビ用受信機はどこにもないのです。
 しかし、その一方においてPCは既に存在し、開発者はPCで
動くソフト開発に全力を注いでいます。加えて、PCは商用オン
ラインサービス――日本のパソコン通信――との結びつきを深め
ようとしていたのです。
 そこまで考えたポレーゼーとノートンは、これから出現する双
方向テレビではなく、既に消費者から受け入れられているPC用
に「オーク」を開発すべきであるという結論に達したのです。
 マルチメディアCD−ROMソフトや、CD−ROMとオンラ
インを活用したアプリケーションにもオークが最適な言語である
――2人はこう考えたのです。
 しかし、ポレーゼーとノートンの提案はなかなか受け入れられ
なかったのです。彼らはPCは過去のものであり、これからは双
方向テレビの時代になるという方向性を頑固に持っていたからな
のです。    ―― [インターネットの歴史 Part2/48]


≪画像および関連情報≫
 ・『インターネット激動の1000日』の書評より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  『シリコンバレー・アドベンチャー』の書評時にも書いたが
  日経BP社はこの種のハイテク・ビジネス書を発掘してくる
  のがうまい。インターネットにまつわる企業群の話題など各
  種報道で耳にタコができるほど聞いていたつもりだったが、
  これだけのボリュームの取材は,やはり新たな視点を与えて
  くれる。
  http://www.ritsumei.ac.jp/~hideytam/bookdoc/book3.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:38| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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