2005年06月08日

テレサ・テンが育った時代環境(EJ1608号)

 テレサ・テンが生まれたのは1953年1月29日、場所は台
湾です。テレサ・テンの両親は大陸出身のいわゆる外省人――母
親は山東省の出身、父親は河北省の生まれで国民党軍の陸軍中尉
だったのです。
 この台湾という国は、つねに島外の国によって統治されるとい
う不幸な歴史を持っています。
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    オランダの植民地    1624〜1661
    チョン・チェンゴン王朝 1661〜1683
    清国          1683〜1895
    大日本帝国       1895〜1945
    中華民国        1945〜
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 台湾の本省人(台湾人)と呼ばれる人たちは、日清戦争の結果
日本統治が開始される1895年以前に福建省と広東省から移住
してきた人たちが中心を占めるのです。
 日本――当時の大日本帝国は50年に及ぶ統治によって台湾に
近代国家の基礎を築いているのです。なぜなら、清国は台湾の全
土を統治していたわけでなく、台湾西部の一部(全台湾島の3分
の1)しか実質支配していなかったからです。
 台湾の本省人がどちらかというと日本寄りなのは、統治時代の
日本のやったことを評価しているためです。それは、日本の敗戦
による台湾撤収後に大陸からわたってきた新しい為政者である外
省人たちのふるまいがあまりにひどかったからです。
 1949年に蒋介石は台北を暫定首都とし、北京語を正式に台
湾の国語と定め、台湾全土に戒厳令をしいて臨戦体制下に置くの
です。この戒厳令は実に38年間に及び、この間に知識層を中心
に徹底的な人権抑圧や言論統制が行われるのです。そして台湾が
正常化するのは、1987年に李登輝が総統に就任してからなの
です。テレサ・テン一家が台湾にやってきたのも1949年9月
のことなのです。
 テレサ・テン一家もいやおうなしに台湾社会を飲み込む激動の
渦に巻き込まれることになります。一家は慣れない台湾の各地を
転々とするという生活を強いられたのです。そういう引越しの連
続という生活において、テレサ・テンは成長していったのです。
 幼い頃のテレサ・テンは、よく美空ひばりの歌を歌っていたと
いいます。1950年代になると国民党政府は日本統治時代の影
響を何とか消そうと躍起になります。しかし、なぜか日本映画は
条件付きで上映が認められており、映画『君の名は』や美空ひば
りの映画は各地で大ヒットしていたのです。
 テレサ・テンは10歳くらいから素人のど自慢大会に出場し、
賞金を取ってくるようになります。この頃から彼女の名前は少し
ずつ台湾で知られるようになっていったのです。しかし、父親は
彼女が歌の大会に出ることに反対であり、カトリック系の金陵女
子中学に進学させるのです。
 しかし、1966年にテレサ・テンは学校に通うかたわら台湾
電視台――台湾唯一のテレビ局の専属になるのです。そして、月
に1回歌の番組に出演することになります。この頃、あのチョウ
・シュアンは香港に移り、台湾のテレビ局にも出演して懐メロを
歌っていたといいます。
 しかし、このことは学校に隠しており、何とか学校と両立させ
ようとしたのですが、やがて学校にわかってしまい、結局学校を
やめることになるのです。しかし、このことが契機となって娘が
歌の道に進むことに反対していた父親は、彼女が歌のプロを目指
すことをはじめて許すのです。
 そこでテレサ・テンは、テレビの出演に加えて、ライブハウス
(歌庁)にも出演するようになり、やがてテレサ・テン一家は彼
女の収入に頼るようになっていったのです。当時一家は小さな食
堂をやっていたのですが、収入は月に2000元ほどしかなかっ
たのに、テレサ・テンは月に6000元〜8000元も稼ぐよう
になっていったからです。
 1967年9月には、はじめてのLPが発売され、次々とLP
の数は増えていき、やがてテレサ・テンの名前は台湾では知らな
い人はいないほど有名になるのです。しかし、この頃のテレサ・
テンには自分の持ち歌はなく、他の歌手の持ち歌のカバーをして
いたのです。
 彼女がはじめて自分の歌を与えられたのは、4枚目のLPが発
売されたときです。「晶晶」(チンチン)というテレビ番組の主
題歌がテレサ・テンに与えられたのです。このLPの発売日には
多くの人がそのLPを買うために長蛇の列を作ったといわれてい
ます。
 ここで彼女の名前の変遷についてふれておきたいと思います。
本来であれば名前を漢字で表記したいのですが、表記できないの
で、ここまで「テレサ・テン」で通してきています。彼女に最初
につけられた名前は「リーイュン」です。そして教会ではクリス
チャンネームとして「テレサ」をもらったのです。
 テレビに出るようになって「リーチュン」と変えています。こ
こではじめて「君」という字を使ったのです。1970年になる
と、香港に進出して「香港LEEシアター」で歌うようになった
とき、クリスチャンネームと組み合わせて「テレサ・テン」と称
するようになったのです。
 香港の九龍(カオルーン)の「東方」という歌庁でも歌うよう
になります。10人くらいの歌手が一人2曲ずつ歌うのですが、
テレサ・テンには多くのアンコールがかかるので、だんだん順番
が後ろの方になり、いつもトリで歌うようになるなど、テレサ・
テンは押しも押されぬ大歌手への道を突き進んで行ったのです。
 1972年、19歳のとき、テレサ・テンは、香港の10大ス
ターに選出されます。そして「歌迷小姐」という映画で主役を演
ずるようになります。この映画の主題歌「千言萬語」という曲が
大ヒットするのです。


≪画像および関連情報≫
 ・テレサ・テンと最初の出演映画

1608号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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