いたのは、ジェームス・ゴスリングという人物です。穏やかな天
才肌の人物ですが、優れた技術力を持っています。彼は高性能の
UNIX対応ウインドウ・ベース・インタフェース「ニュース」
を開発したのですが、サンはそれをうまく事業化できず、失敗に
終わっていたのです。
ゴスリングは、サンの事業展開のまずさに対して不信感を持ち
グリーン・チームに自ら参加するといい出したのです。サンの最
高技術責任者であるエリック・シュミットは、ゴスリングを辞め
させないようグリーン・チーム入りを許したのです。
ゴスリングとしては、コンピュータ言語の開発に意欲を燃やし
ていたのです。彼はコンピュータ言語は次の特徴を備えているべ
きであると考えていたのです。
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1.コンピュータ言語は人間に分かり易いこと
2.どのような環境でも機械語化ができること
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少し説明が必要であると思います。コンピュータ言語を使って
プログラムを書くのは人間ですから、そのプログラムのミスを発
見したり、改良したり、追加したりしやすいように人間に分かり
易い必要があります。こういう言語のことを高級言語と呼んでい
ます。これが1の条件です。
しかし、そのプログラムのままでは、コンピュータは理解でき
ないのです。そのためその高級言語をコンピュータがわかる機械
語に変換しなければなりません。これを「コンパイルする」とい
うのですが、ゴスリングはそのプログラム「コンパイラー」作り
に意欲を持っていたのです。
ところがこれが簡単ではないのです。コンピュータ言語のコー
ドがプロセッサ――CPUごとに違うからです。ゴスリングはこ
れを解決しようと考えたのです。
1990年の前半において、コンピュータエンジニアは、双方
向テレビ――インタラクティブTVをはじめとして、家電製品の
使い勝手を上げることに取り組んでいたのです。あのジム・クラ
ークも、アンドリーセンと会社を設立するとき、インタラクティ
ブTVに取り組もうとしていたのです。
家電製品には不十分ではあるもののCPUが内蔵されているの
ですが、今後それがもっと進化すると考えられていたのです。そ
のため、それを利用してすべての家電をネットワークでつなぐ技
術を開発しようとしていたのです。しかし、それは次のようにそ
う簡単なことではなかったのです。
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(ゴスリングは)C++のコードがプロセッサごとに違う問題
を解決しようとした。ウインドウズに使われているペンティア
ム向けにコンパイルしたコードは、マッキントッシュのモトロ
ーラ製チップでは動かない。マック用にコンパイルされたコー
ドは、ブラック&デッカーのオープン・トースターでは動かな
い。どの機械でも(電子カミソリや、電気スイッチ、掃除機な
どでも)同じように動く高度な移植性をもったソフトウェアの
開発をめざしているチームにとって、コードがプロセッサによ
って違うのは、やっかいな問題だった。そこで、ゴスリングが
この問題に挑戦した。
――ロバート・リード著/山崎洋一訳
『インターネット激動の1000日』上巻 日経BP社刊
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結局、ゴスリングはこの難問を「仮想マシン(VM)」を開発
することによって解決してしまいます。10種類程度のOSに対
応したVMを用意することによって、どんなプログラムもVMが
コンピュータが理解できるものに変換し、どのようなマシンでも
プログラムは動くようになったのです。
さらにゴスリングらは、この言語にユニークな機能を付け加え
たのです。それは、この言語で記述されたプログラムは、システ
ム自らの判断で、不要になったプログラムを削除する機能をもっ
ているのです。そのため、プログラマはメモリを気にしないでプ
ログラムを書くことができます。これを「ガベージ・コレクショ
ン」といいます。
ゴスリングは、このコンピュータ言語の名前を決めるとき、た
またま目に入った窓の外の大きな樫の木にちなんで「オーク」と
名付けたのです。
しかし、どんな凄いコンピュータ言語であっても、CEOや役
員に対しては、何らかのかたちにして見せる必要があるのです。
1992年8月のことです。ゴスリングたちは「オーク」を利
用して、タッチスクリーンでテレビ、ビデオを集中的に操作でき
るシステムを開発し、それをノートンがスコット・マクニーリの
前でデモをしたのです。これが「スターセブン」なのです。
このスターセブンの命名は、ゴスリングたちがいたオフィスに
おいて、外線電話がかかってきたとき「*7」のキーを押してつ
なぐことにちなんでいるのです。
しかし、「スターセブン」のような試作品は、家電業界がその
気になって投資しない限り実現しないのです。ところが、この業
界は厳しいコスト競争をしており、コストが上がることを気にす
るのです。そのためなかなか乗ってこなかったのです。
1993年になって、タイム・ワーナーが興味を示し、ファー
スト・パーソン(グリーン・チームの子会社化)はオークでセッ
ト・トップ・ボックスを作ってタイム・ワーナーに売り込みをか
けたのですが、コストがネックとなって、ジム・クラークが率い
ていたSGIに仕事をとられてしまったのです。
どうも、このチームはついていないようです。しかし、彼らの
開発した驚くべき技術は、当初彼らが予想もしていなかった分野
で大きく生きることになったのです。これについては、明日お話
しすることにします。
―― [インターネットの歴史 Part2/47]
≪画像および関連情報≫
・ジェームス・ゴスリング氏の現況
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米サン・マイクロシステムズのバイスプレジデント兼サン・
フェローのジェームズ・ゴスリング氏は、現在、開発ツール
部門のCTOという職に就いている。JAVAが普及するこ
とによって、開発者が切実に求めているのは統合開発環境だ
ろうIBMが開発の中心を担ったEclipse はオープンソース
のIDEとして、開発者から圧倒的な支持を受けている。同
社でもゴスリング氏を旗振り役にして、IDE開発に積極的
に取り組んでいる。
http://www.atmarkit.co.jp/news/200402/20/gosling.html
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