芳樹氏は、その輝かしい研究成果によって、文科省や科学技術振
興機構などの国がからむ大型プロジェクトに参加するようになり
その名声をさらに高めていったのです。
それに笹井氏は、日本の大学における研究環境に疑問を持って
いて、若い研究者が実力を発揮できる研究環境を何とか確立した
いと考えていたのです。
日本の大学では、若手研究者は雑用が多かったり、研究成果を
嫉妬されたり、自分の研究室を持つことが困難だったりといろい
ろ問題があります。そういうわけで、理化学研究所からのCDB
(理研発生・再生科学総合研究センター)設立には早くから関心
を示し、その設立メンバーに加わっていたのです。CDBができ
ると若手研究者に大学とは比べ物にならない快適な研究環境を与
えられると考えたからです。
2000年にCDBができると、笹井氏は、京都大学の再生医
科学研究所教授と兼務で、CDB細胞分化・器官発生研究グルー
プ・グループディレクターを務めるようになったのです。このと
きから笹井氏は、京都大学とは少しずつ距離を置くようになり、
2003年にCDBの専任になったのです。
京都大学もそういう笹井氏の動きを察知していて、ひそかに笹
井氏の後任の教授を探していたのです。その結果、目を付けたの
が山中伸弥氏だったのです。そのとき、山中氏は奈良先端科学大
学院大学にいたのです。
そして2004年10月、京都大学は42歳になった山中伸弥
氏を笹井氏の後任の再生医科学研究所教授として迎えたのです。
iPS細胞が発見される2年前のことです。それがノーベル賞受
賞に結びついたのですから、京都大学は先見の明があったという
べきでしょう。
しかし、京都大学の研究環境は最悪で、笹井氏がイヤになって
飛び出すだけのことはあったのです。これについて、黒木登志夫
教授は次のように書いています。
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京都大学で与えられた研究環境は、奈良先端大と比べると余り
にひどかった。ぼろぼろの建物の古い部屋、机はなく、エアコン
は故障していた。奈良から一緒に来てくれた学生や技術員とiP
S細胞に向かって新たな研究のスタートが切られた。それから6
年経った2010年、山中の研究グループはiPS細胞のために
作られた「iPS細胞研究所」(CiRA)に移ることになる。
そして、今、京大CiRAは、スタッフ300人を超える研究所
になり、建物もさらに二棟増築されようとしている。
──黒木登志夫著
『iPS細胞/不可能を可能にした細胞』/中公新書2314
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CDBの笹井芳樹氏は、ES細胞による研究を加速させている
のです。2005年には眼科医の高橋政代氏と組んで、ES細胞
による網膜の分化誘導に成功し、2006年にはES細胞から視
床下部前駆細胞を分化誘導させることにも成功し、2008年に
その論文を「セル」誌に発表しています。
さらに、2011年にはマウスのES細胞から網膜全体を作る
ことに成功したことを「ネイチャー」誌に発表しています。ES
細胞から網膜を立体的に作ったのは世界初の試みであり、「この
分野を一変させた」として、高く評価されています。これら一連
の研究により、笹井氏は次の各賞を受賞しています。
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文部科学大臣賞 ・・・・ 2009年 4月
大阪科学賞 ・・・・ 2010年10月
井上学術賞 ・・・・ 2012年 2月
塚原仲晃記念賞 ・・・・ 2012年 9月
山崎貞一賞 ・・・・2012年第12回
武田医学賞 ・・・・・ 2012年度
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このように笹井芳樹氏のES細胞を中心とする研究は、大きな
成果を上げていたのです。それは、竹市雅俊CDBセンター長を
して、「笹井さんなしでは今のセンターはなかった」といわしめ
るほどであったのです。また、CDBのあるポートアイランドの
関連企業からも、「神戸全体の発展や産学連携を見据えるまれな
存在だった」と高い評価を受けていたのです。この時点では、笹
井氏がCDBセンター長に就くのは時間の問題だったのです。
そして、2012年12月、安倍総裁率いる自民党が、民主党
から政権を奪い返すことになる総選挙直前のある日、笹井芳樹氏
は、小保方晴子氏のCDBユニットリーダー採用面接に立ち会う
ことになるのです。2人が会うのはこれが最初であるといわれて
います。そして、竹市センター長から小保方氏の論文の指導を依
頼されるのです。
しかし、2012年12月といえば、山中伸弥教授のノーベル
賞受賞の興奮が冷めやらぬさなかです。笹井氏としては、同年齢
の山中氏に先を越されたという思いはあったと思います。そのた
め、その時点では海のものとも、山のものともつかぬ小保方氏の
論文に笹井氏が過度の期待を抱いたとしても、それは不思議なこ
とではなかったといえます。
2012年末までは、山中伸弥教授にノーベル賞で先を越され
たとはいえ、発生・再生科学分野での研究者としての実績では笹
井芳樹氏の方が山中氏を上回っていたし、国からの予算も十分獲
得できていたのです。
しかし、iPS細胞がノーベル賞を受賞すると、国からの予算
もiPS細胞に大きくシフトし、笹井氏の研究する分野には予算
が思うように獲得できなくなっていったのです。ちょうどその時
期が2013年度であり、笹井氏としては何とか再生医療の分野
において、iPS細胞を超える何かを求めるようになっていった
のです。 ── [STAP細胞事件/012]
≪画像および関連情報≫
●「理研が落ちた『わな』」/再生医療の覇権争い
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寺田寅彦、湯川秀樹、朝永振一郎・・・。日本を代表する科
学者が在籍した理研は日本唯一の自然科学の総合研究所だ。
全国に8主要拠点を持ち職員約3400人。2013年度の
当初予算844億円は人口20万人程度の都市の財政規模に
匹敵、その90%以上が税金で賄われている。予算の3分の
2を占めるのが、理研の裁量で比較的自由に使える「運営費
交付金」。STAP細胞の研究拠点である神戸市の理研発生
・再生科学総合研究センター(CDB)には年間30億円が
配分される。研究不正の疑いがもたれている小保方晴子・研
究ユニットリーダーは5年契約で、給与とは別に総額1億円
の研究予算が与えられている。英科学誌「ネイチャー」に掲
載されたSTAP細胞論文の共著者、笹井芳樹CDB副セン
ター長は、疑惑が大きく報じられる前の毎日新聞のインタビ
ューで「日本の独自性を示すには、才能を見抜く目利きと、
若手が勝負できる自由度の高い研究環境が必要」と語り、こ
の10年で半減されたものの運営費交付金がSTAP細胞研
究に「役立った」としている。理研関係者によると、小保方
さんに「自由度の高い」研究室を持たせ、大がかりな成果発
表を主導したのは笹井さんだった。
http://bit.ly/1cMmVsZ
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笹井 芳樹氏




IPSでノーベル賞の先を越されて焦った
のでしょうか?
そうだとしても、あれだけの俊才がSTAPの
疑惑を見抜けなかったとは?
瓢箪から駒で、今からでもSTAP細胞が
偶然生まれる事を願って、ご冥福を祈ります。