2007年05月16日

●スコット・マクニーリの決断(EJ第2080号)

 JAVAは、サン・マイクロシステムズで赤字を垂れ流してい
たあるプロジェクトが開発していた無名のコンピュータ言語だっ
たのですが、それをネットスケープ社のナビゲータに結びつけ、
世界中で脚光を浴びるまでに育て上げた功績者として、次の4人
を上げることができます。
―――――――――――――――――――――――――――――
           キム・ポレーゼー
           アーサー・バン・オフ
           サミ・シャイオ
           ジョナサン・ペイン
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの4人は、1996年1月にサンから独立して、ポレー
ゼーをCEOとする「マリンバ」という会社を設立しているので
す。ポレーゼー以外の3人は、サンにおいて長くJAVAの開発
に携わってきた10数名のメンバーの主要な3人なのです。
 これに対してポレーゼーは、1995年の春以降、JAVAの
マーケティングを担当しており、それをネットスケープ社に採択
させるのに力を発揮したのです。彼女は、JAVAについて顧客
にわかりやすく説明し、相手にその素晴らしさを理解させるのに
優れた才能を持っていたのです。
 ポレーゼーは、地元のカルフォルニア州立大学バークレー校を
卒業し、さらにコンピュータを勉強するために、シアトルのワシ
ントン大学コンピュータ科学学部に入学しています。1年間勉強
して、カルフォルニアに帰り、マウンテンビューのインテリコー
プという企業に就職します。1985年のことです。
 インテリコープは、AI(人工知能)に特化した企業だったの
ですが、当時はAIの最盛期であり、財源豊かな企業をいくつも
抱えていて、会社自体は潤っていたのです。しかし、企業という
よりも、研究のための研究をしているところがあり、ポレーゼー
は自分には合わないと考えて、サンに移ったのです。
 サンにおいてポレーゼーは技術サポート部門に配属されたので
すが、マーケティング部門に空きがあると聞いたので、そちらに
移ったのです。具体的な仕事は、プロダクト・マネージャ――製
品の運命に大きな責任を持つ仕事であり、自らの創造力を発揮で
きる仕事だと感じたからです。
 そういうわけで、ポレーゼーはサンのC++開発ツールのプロ
ダクト・マネージャになったのです。C++はオブジェクト指向
の言語で、非常に注目を集めている分野だったのです。そして彼
女は、プロダクト・マネージャの仕事をしながら、自分の会社を
持ちたいと思うようになったのです。
 そのように考えはじめたときに、ポレーゼーは「オーク」――
後のJAVAに出会うのです。パトリック・ノートンからそれを
聞いたのです。ノートンに会ったのには、モンタレーで行われた
経営者会議の席上だったのです。
 経営者会議は、副社長や取締役だけしか参加できないのですが
ポレーゼーは新しい開発環境である「ヘリックス」の説明とデモ
をするため、特別に参加したのです。もともと彼女は難しい技術
の説明をやさしく明解にできる能力があったのです。
 一方、ノートンは、パロアルトの一等地であるユニバーシティ
街に本社を置くサンの子会社、ファースト・パーソンの幹部なの
です。この会社はサンから特命を受けて高度な技術開発をしてお
り、サンの社員でも上級幹部以外は何をやっているかいっさい秘
密にされていたのです。
 ポレーゼーはたまたまノートンと同じ部屋でデモをやったこと
で親しくなり、話し込むうちにノートンは経営会議でデモをした
コード名「スターセブン」について秘密を打ち明けてくれたので
す。このときポレーゼーはその印象を次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 信じられないと思った。そこまで多機能で、小さくてまとまっ
 ていて、優雅で、単純で、マルチスレッドで、無駄がなく、堅
 牢で、安全で、OSに依存しないなんて。そんなの無理にきま
 っていると思った。
            ――ロバート・リード著/山崎洋一訳
   『インターネット激動の1000日』上巻 日経BP社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 「スターセブン」とは何でしょうか。
 これは、理想的なコンピュータ言語「オーク」によって構築さ
れる未来の住宅を制御する装置のプロトタイプモデルなのです。
「オーク」の開発が進んでいることを幹部にデモするために作っ
たものなのです。
 ことの起こりは、ノートンが当時サンのCEOであるスコット
・マクニーリに送ったメールからはじまったのです。ノートンと
マクニーリは、同じホッケーチームに属している仲間であり、知
り合いだったのです。1990年の話です。
 ノートンはマクニーリに「サンを退社する」という挨拶のメー
ルを送ったのです。マクニーリはノートンの能力を買っていたの
で、「どうしてやめるのか、サンの気に入らない点をメールに書
いて送ってくれ」と返信したのです。
 そこで、ノートンは数千語に及ぶメールをCEOに送ったので
す。マクニーリはそれを読んで幹部と協議したのです。その結果
経営陣は、ノートンのように優秀だが経営陣に不満を持つ社員を
安易にやめさせないで、研究が続けられるように支援をする制度
を作ることにしたのです。
 その結果、できたのが「グリーン・チーム」という組織です。
サンの傘下の組織なのですが、そこで何をするかは一切がまかさ
れていて、潤沢な資金が提供されるのです。ポレーゼーがノート
ンに会った当時ノートンが所属していたファースト・パーソンと
いうサンの子会社は、ここでいうグリーン・チームの発展したか
たちなのです。このファースト・パーソンが、あのJAVAを開
発したのです。 ―― [インターネットの歴史 Part2/46]


≪画像および関連情報≫
 ・スコット・マクニーリ/サン会長
  ―――――――――――――――――――――――――――
  現在の私の役割を説明したいと思います。2006年の4月
  に私はCEOから、会長となりました。1984年に就任し
  てから以来、22年もの間CEOだったことになります。今
  はスタッフミーティングやSOX法対応、社員の昇進や昇給
  といったCEOの仕事を全てジョナサンに任せ、だいぶ楽を
  させてもらっています。ジョナサンに頑張ってもらっている
  一方、私は世界中を旅して、パートナーやサプライヤー、各
  国の政府の人々にお会いしています。これは私がジョナサン
  から3つのミッションを与えられているからです。1つは、
  政府関連の仕事を拡大させること。2つめはトップ50のパ
  ートナーのビジネスを成長させること。3つめは日本との関
  係を強化させることです。したがって、今後は以前よりも多
  く来日することになると思います。
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:42| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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