2015年05月15日

●「開発のヒントになった2つの実験」(EJ第4034号)

 「皮膚細胞から万能細胞を作る」──奈良先端科学技術大学院
大学助教授時代の山中伸弥氏は、これが不可能なことではないと
いうヒントを掴んでいたのです。ヒントは2つあったのです。
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     1.ジョン・ガードン博士のクローン実験
     2.多田高准教授のES細胞を使った実験
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 「1」のジョン・ガードン博士の実験について考えます。
 「分化した細胞は受精卵と同一のDNAを持っている」──昨
日のEJでご紹介した細胞生物学の基本的な考え方ですが、19
50年代のはじめには、細胞生物学者たちは分化後の細胞が分化
前のDNAを維持するのは難しいのではないかと疑いをもってい
たのです。しかし、ガードン博士は、実験によってそれが正しい
ことを証明してみせたのです。
 どんな実験かというと、アフリカツメガエルのオタマジャクシ
の腸の細胞から核を取り出し、そこにあらかじめ核を抜いておい
た卵子を入れたところ、その卵子の一部がカエルに成長すること
を明らかにしたのです。
 これは、核を提供したカエルと同じDNAを持つ脊椎動物で初
めての「クローンカエル」の誕生だったのです。この実験は19
50年代から60年代にかけて行われているのです。
 もしガードン博士のこの実験がなければ、1997年の英国ロ
スリン研究所のイアン・ウィルムット教授らが発表したクローン
羊の「ドリー」もなかったはずです。
 イアン・ウィルムット教授らは、羊の乳腺の細胞から核を取り
出し、あらかじめ核を抜いておいた卵子に移植したのです。そし
てこれを代理母になる羊の子宮に入れることで、乳腺の細胞を取
り出した羊と遺伝的に同じクローン羊を誕生させたのです。そう
いう功績で、ガードン博士は、山中伸弥教授と一緒に2012年
のノーベル生理学・医学賞を受賞しているのです。
 続いて「2」の京都大学の多田高准教授の実験です。
 多田高准教授は、ES細胞を再生医療に使えないかと考えてい
たのです。しかし、ES細胞から治療に必要な組織を作っても、
患者にとっては受精卵を提供した他人の細胞なので、移植すると
拒絶反応が起きる恐れがあったのです。
 多田准教授は、マウスのリンパ球などの体細胞とES細胞に電
気ショックを与えて融合させたところ、体細胞が万能性を獲得し
たといいます。多田准教授はそのことを論文にまとめ、2001
年に発表したのです。これが多田准教授の実験の成果です。山中
氏はこの論文を読んで「これだ!」と思ったというのです。
 これまで成功したクローン──ガードン博士のアフリカツメガ
エルのクローンも、ロスリン研究所のドリー羊のクローンも、い
ずれも体細胞の核に卵子を入れて誕生させています。したがって
体細胞を万能細胞に初期化するパワーは卵子にあると多くの学者
は考えていたのです。
 しかし、多田氏の場合は卵子を使っていないのです。というこ
とは、体細胞を初期化するパワーはES細胞にあって、その因子
が体細胞の核に移ったのではないかと山中氏は考えたのです。
 それならば、ES細胞のなかにあるそれらの因子を発見するこ
とができれば、体細胞を初期化できるのではないかと考えたので
す。そういう意味において山中氏は「多田さんからは重要なヒン
トをいただいた」とよく口にするそうです。
 その多田高准教授は、山中伸弥教授を「情熱の人」と評し、次
のように述べています。
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 そのとき、最もできるはずのないという手法で登ろうとしたの
が、山中さんでした。できるはずがないと言われても、説得して
やり続ける情熱が科学には重要です。山中さんの情熱が、だれよ
りも勝った。そして運をつかむ才覚があった。
          ──朝日新聞大阪本社科学医療グループ編
       『iPS細胞とはなにか/万能細胞研究の現在』
                  講談社/ブルーバックス
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 やるべきことは、ES細胞のなかにある体細胞を初期化する因
子を突き止めることです。しかし、これは容易ならざる作業なの
です。なにしろ、ヒトの遺伝子は2万2000個ほどあるといわ
れているからです。
 ところが、山中教授は運の強い人です。ちょうど時を同じくし
て、理化学研究所ゲノム科学総合研究センターがマウスの遺伝子
のデータベースを公開したのです。山中チームはこのデータベー
スを利用して、遺伝子の絞り込みに着手したのです。もし、この
データーベースが公開されなかったら、遺伝子の絞り込みはさら
に時間がかかったはずです。
 山中チームは、ES細胞で特徴的に動く遺伝子を約100個に
絞り込んだのです。そしてさらに動物実験を重ねて、可能性のあ
る遺伝子を24個まで絞り込んでいます。ここまでに要した期間
約4年、もしデータベースがなければ、ゆうに10年以上かかっ
ていたはずです。
 問題は24の遺伝子のなかに体細胞を初期化する遺伝子がある
かどうかです。それを確かめるには24個の遺伝子を全部入れて
みることです。この実験をやってみると、間違いなくES細胞の
ような塊があらわれたのです。これは、まさに奇跡としかいえな
いような出来事だったと山中氏は述懐しています。
 2004年10月、山中氏は京都大学再生医科学研究所教授に
就任します。高橋和利氏は講師として山中教授をサポートするよ
うになったのです。
 この時点で問題は、24個の遺伝子が全部必要なのか、それと
も、もっと少なくていいのかということであったのです。これは
高橋氏のアイデアで解決し、問題の遺伝子は遂に4個に絞り込む
ことができたのです。   ── [STAP細胞事件/007]

≪画像および関連情報≫
 ●アメリカで教わった「V」と「W」/山中伸弥教授
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   研究者に転向するためにアメリカに渡りました。そこで研
  究者としてのトレーニングを受けたのです。受け入れてくれ
  たのは、サンフランシスコのグラッドストーン・インスティ
  テュートでした。そこで、トーマス・イネラリティ先生の指
  導のもと、ポスドクとしてトレーニングされました。そこで
  のもう一つの大切な出会いは、当時の研究所所長ロバート・
  マーレー先生との出会いです。そこでわたしは生涯モットー
  とすべき考えを学んだんです。
   あるとき、ボブ(ロバートの愛称)がわたしたち若い研究
  者を集めて、「大切なのはVWだ」と述べました。当時も今
  も彼はフォルクスワーゲン(VWと略す)に乗っていて、わ
  たしは今もそうですが当時もトヨタに乗っていたので「ああ
  車からダメだなぁ」と思ったんですが、もちろんこれは車の
  VWのことではありません。これは「ビジョン(Vision)」
  と「ハードワーク(Hard Work)」のことです。
   ハードワークについては、わたしは誰にも負けないくらい
  一生懸命に働いていたという自負がありました。でも、ボブ
  から「Shinya, what’s your vision?」と尋ねられたとき、
  「いい論文を書くため」とか「いい職につきたいから」と答
  えたところ「伸弥、それはビジョンじゃない。ゴールだ。本
  当のビジョンは何だ?どうして医者をやめてアメリカに来た
  んだ?」と言われて初めて、あ、自分が研究者になったのは
  論文を書くためではなかったんだと思い出しました。
                   http://bit.ly/1cCZeUu
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ジョン・ガードン博士.jpg
ジョン・ガードン博士
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | STAP細胞事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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