レイトフル・デッドというロック・バンドを率い、むさ苦しい風
貌とは裏腹に、自由と愛と平和に溢れたメッセージを送り続けた
バンドであり、ヒッピー・ムーヴメントの背景の中、彼らに共感
する熱心なファンを拡大したのです。
そのガルシアは、53歳の若さで急逝したのですが、その亡く
なった日はなんと1995年8月9日――ネットスケープ社が株
式を公開した日だったのです。
そのことから、ガルシアの最後の言葉は、次のように伝えられ
ています。多分よくできたウソだとは思いますけど・・・。
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ネットスケープの寄り付きは?
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ちなみに「寄り付き」とは、株式市場において最初に成立する
売買のことをいうのです。この瞬間にNCSA以来の若い技術者
は大変な大金持ちになったのです。
そのとき、ネットスケープ社は、イースト・ミドルフィールド
街501番地に移転していたのですが、街を上げて株式公開を祝
う盛大なイベントが行われたりして、ネットスケープという名の
インターネット企業――というより、そういう企業を生み出した
インターネットという世界に注目が集まったのです。
しかし、マスコミの一部には、ネットスケープ社の時価総額は
常識外れであり、同社をして「億万長者になった子供の集まりで
ある」ときめつけるところもあったのです。確かに株式公開以来
ネットスケープ社の社内では仕事中に株価の話をする社員が多く
なり、CEOのバークスデールは、その禁止令を出さなければな
らなかったほどだったといわれます。
一方、アンドリーセンは、金銭には無頓着であり、個人的な財
産のことはいっさい口にしなかったといいます。そんなことより
アンドリーセンの頭のレーダーは、少しずつ動き出しているマイ
クロソフト社をとらえていたのです。
ネットスケープ社の株式公開の数週間後に以前から予定されて
いた新しいOS「ウインドウズ95」がリリースされ、同時に、
ウェブ・ブラウザ「インターネット・エクスプローラ――IE」
も公開されたのです。IEは、スパイグラス社のライセンスによ
るNCSA系のコードがベースとなっていたのです。
そのとき、ナビゲータのプロダクト・マネージャはアレックス
・エーデルシュタインという人物ですが、彼はマイクロソフト社
に長年つとめた後、ネットスケープ社に移ってきたのです。
エーデルシュタインは、ナビゲータとIEでは機能的にはぜん
ぜん問題にならないものの、ひとつだけ気になったことがあった
のです。それは「価格」です。そのとき、IEはいくつかのオマ
ケソフトと一緒にOSに無料で付いていたからです。
これに対してナビゲータは一応有料のソフトであり、ウインド
ウズ95搭載のPCを購入したユーザは、ナビゲータを使うため
にはOSに付いている無料のIEを削除して、有料のナビゲータ
をインストールするという面倒ことをやる必要があったのです。
そんなことは最初から不可能であることが予想できたのです。
その間にもネットスケープ社の売上高は順調に伸び、1995
年の第3・四半期には売上高は2000万ドルを超え、はじめて
黒字になったのです。そして、第4・四半期の売上高は4000
万ドル以上になり、ソフト業界史上、もっとも急成長を遂げた企
業として記録されることになったのです。
この頃になると、当初の批判的、懐疑的トーンであったマスコ
ミは、ネットスケープとインターネットの優れた威力を絶賛する
トーンに変わっていったのです。そして、マーク・アンドリーセ
ンを第2のビル・ゲイツと呼び、PC業界の封建地主階級である
「OSの王様」はインターネットのはかり知れない規模のまえに
は、かすんでいくと、あからさまにマイクロソフトを皮肉る論調
の記事が多くなっていったのです。
そのとき、アンドリーセンが確実に迫ってくるマイクロソフト
社の追撃をかわすために力を注いでいたのは、ナビゲータ2.0
だったのです。ナビゲータ2.0は1995年にベータ版、19
96年1月に正規版がリリースされたのですが、そこには驚くべ
き機能が組み込まれていたのです。それは次の2つです。
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1.プラグインAPI
2.ジャバ/JAVA
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「プラグインAPI」とは、簡単な操作でナビゲータの機能を
拡張できるようにするためのインフラのことです。これによって
ナビゲータを使って3Dモデルを回転させたり、3Dシーンのな
かを移動したり、できるようになったのです。
それでは、「ジャバ/JAVA」とは何でしょうか。
JAVAは、サン・マイクロシステムズ社が大変なお金と人を
使って開発した技術であり、これによって、ウェブサイトを単な
る静止画面から動きのある画面に変化させたといえるのです。
実はネットスケープ社は、1995年3月にナビゲータ2.0
にJAVA機能を統合することをサンと合意していたのです。し
かし、IE1.0には、プラグインAPIも、JAVAも入って
いなかったのです。
ここにきて、巨人マイクロソフトの遅れは明確になり、ゴール
ドマン・サックスの有力なアナリストは、魅力的なインターネッ
トの戦略がないことを理由に、同社の推奨リストからマイクロソ
フト株を外したのです。そのためマイクロソフト株は売られ、時
価総額が7%――25億ドルも下落したのです。
JAVAがどのように開発され、インターネットにどのように
組み込まれるようになったかについては知っておいても損のない
話だと思うので、明日のEJから、しばらくご紹介することにし
ます。 ―― [インターネットの歴史 Part2/45]
≪画像および関連情報≫
・サン・マイクロシステムズ社について
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サンの名前はStanford University Network の頭文字SUN
から来ており、スタンフォード大学で校内のネットワーク用
のワークステーションを独自に開発したアンディ・ベクトル
シャイムが、スコット・マクネリ、ビノッド・コースラらと
ともに会社を創立したのが始まり。創立に際してカルフォル
ニア大学バークレー校でBSD・UNIXを開発していたビ
ル・ジョイを創立メンバーに招いた。創立した1982年か
ら数年で世界企業へと成長した。 ――ウィキぺディア
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すごいです、勉強になりました。
今後もがんばってください。