2007年05月11日

●社名変更はどうして行なわれたか(EJ第2077号)

 モザイク・コミュニケーションズ社のブラウザの名前は「モザ
イク・ナビゲーター」に決定したのです。しかし、インターネッ
トで公開される準備が整ったまさに直前になって、イリノイ大学
から「待った」がかかったのです。
 イリノイ大学は、弁護士を立てて「モザイク・ナビゲーター」
について、次のように要求してきたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モザイク・コミュニケーションズ社のブラウザはNCSAの知
 的所有権を侵害しており、ブラウザ1本について50セントの
 ロイヤリティの支払いを要求する。    ――イリノイ大学
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、これに対してクラークは次のように一蹴し、1994
年10月13日にナビゲーターは、インターネットで公開された
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 学生の頭のなかにあるもの以外、なにも大学から持ち出してい
 ない。第一、大学の目的は、学生の頭のなかに知識を詰め込む
 ことだ。               ――ジム・クラーク
            ――ロバート・リード著/山崎洋一訳
   『インターネット激動の1000日』上巻 日経BP社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 その時点でのナビゲーターの競争相手は、イリノイ大学からマ
スター・ライセンスを受けたスパイグラス社自身の開発したブラ
ウザとスパイグラス社からサブライセンスを受けたスプライ、カ
ドラリー、DEC、IBMなどの改良ブラウザぐらいのものであ
り、最初から「モザイク・キラー」を目指していたナビゲーター
の相手ではなかったのです。
 重要なのは、この時点で最大の競争相手になるはずのマイクロ
ソフト社はまだ動いていなかったのです。そのときクラークが密
かに恐れたのは、マイクロソフト社がスパイグラス社につくこと
だったのです。既にEJ第2062号で述べているように、マイ
クロソフト社は実際にスパイグラス社と交渉しているのです。
 そこで老獪なクラークは、マイクロソフト社と会ってナビゲー
ターのライセンスを買い取る意思があるかどうか打診しているの
です。もちろん売却するつもりなどなく、マイクロソフト社の意
思を探るためです。
 しかし、マイクロソフト社はごくわずかな一時払いのライセン
ス料しか払う意思がないことがわかったので、すぐ手を引いたの
です。それよりもマイクロソフト社のブラウザに対する熱意のな
さを感じたので、クラークは安心したのです。
 この間、ナビゲーターのダウンロードの勢いは物凄く、破竹の
快進撃を続けて、瞬く間に全世界のインターネット用ブラウザ市
場の85%を制してしまったのです。この事態を見てさすがのマ
イクロソフト社は目を覚ましたのです。
 スパイグラス社のダグラス・コルベス社長は、ウォール・スト
リート・ジャーナル紙に対して、次の主張をしたのです。タイト
ルは「開発はクリーン・ルームで行われなかった」というもので
あったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 クラークの技術者が新しいブラウザを開発したときにNCSA
 のコードに関する知識を完全に切り離していなかった。
             ――ロバート・リードの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに対して、クラークは、コードを調べて2つのブラウザが
別のソフトであるかどうかを検証しようと提案したのですが、イ
リノイ大学もスパイグラス社も頑なに拒否したのです。
 加えて、イリノイ大学は、社名の変更とソフトをインターネッ
トでダウンロードできないようにせよと要求してきたのです。こ
れに対して、クラークは次のように返答しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 社名は変更する。しかし、コードの開発コストを支払ったのは
 わたしだ。どうするかはわたしの勝手だ。とやかくいわれる筋
 合いはない。             ――ジム・クラーク
             ――ロバート・リードの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このような経緯でモザイク・コミュニケーションズ社は、ネッ
トスケープ・コミュニケーションズ社になったのです。この社名
変更は、同社にとって、商品名の関係からいってもかえって良い
結果を生んだのです。
 しかし、クラークたち経営陣にとって、イリノイ大学とスパイ
グラス社との争いは神経を疲弊させ、経営に専心できなかったこ
とは、ネットスケープ社にとって大きなマイナスだったのです。
そして、遂に1994年12月21日にイリノイ大学と合意がで
きたのです。クラークは、大学がこれまで使った訴訟費用をすべ
て持つということで手打ちをしたのです。和解金は約200万ド
ルであったというのです。
 そのときクラークは、ネットスケープの株式で支払ってもいい
と大学側に提案したのですが、大学側はあくまで現金を要求した
といいます。10ヵ月後に大学が見向きもしなかったネットスケ
ープの株式は、1700万以上に達したのです。
 結局イリノイ大学は、アンドリーセンたちが開発したモザイク
の価値を最初から最後まで何も生かせず、不名誉な訴訟の記録を
残しただけで終わってしまったのです。
 1994年12月15日、最初にネットスケープ・ナビゲータ
ーの正式版がリリースされたのです。このときはクラークとKP
のジョン・ドーアが用意した経営資金1300万ドルが100万
ドルしか残っていなかったのです。しかし、正規版の売り上げで
少しは取り返すことができたのですが、クラークとしては、その
ときは事業がその先どのように展開するのか見えていなかったの
です。     ―― [インターネットの歴史 Part2/43]


≪画像および関連情報≫
 ・ブラウザ(英語: browser)とは何か
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  ブラウザとは、コンピュータ上の情報を一定の目的に沿って
  表示し閲覧に供するソフトウェア一般を指す語。ブラウザを
  利用し情報を閲覧することをブラウジング、ブラウズする、
  のように言う。原義は興味のあるものを流し読みすること、
  草食動物が植物の特定の部分を選択的に食べること。ブラウ
  ジングのことを「拾い読み調査」と言うこともある。
                    ――ウィキペディア
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posted by 平野 浩 at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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