木のところで、勝元とオールグレンが話すシーンがあります。そ
こでも武士道が語られます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
勝元の邸宅/昼
勝元:死を恐れず。むしろ時には、それを望む。
違うかね。
オールグレンは、すぐには答えない。勝元はオールグレンの心
の闇にある真実を直感する。
オールグレン:ああ。
勝元:わたしもだ。戦場を見た者は皆、そう思う。
戦いの後、わたしは先祖の住んだ、この地に戻った。
そして、思った。人はこの花のように、いつか散る。
(オールグレンの方を向いて)
勝元:吐く息ひとつにも生命が宿り、毎日飲む一杯の茶・・
倒す敵すべてに生命がある。それが侍の生きざま。
オールグレン:吐く息にも生命が・・・
勝元:それが・・・。“武士道”だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
明治以前に、世界中にあったのに日本にだけなかったものがあ
ります。それは「哲学」です。なぜなかったのかというと、日本
には儒教や仏教、神道などの思想が、武士道に吸収されていたか
らであり、すでに武士道という立派な生きざまがあったら、必要
なかったのです。
それも「武士道」という「道」があったわけではないのです。
誰もそれがあるとは気がついていないのに、それは確かに存在し
たのです。それは、空気や水のように当時の人たちの生きざまと
して存在したのです。おそらく「武士道」ということばも、新渡
戸先生が『武士道』を書くまでは、きっと存在しなかったと思わ
れます。
絶対的な善悪の判断、やっていいこととやってはいけないこと
――日本以外の国では、宗教を通してそれを教育していますが、
日本では宗教教育はやっていません。しかし、長い間にわたって
脈々として受け継がれてきた生活の規範――武士道というものが
あったからこそ、それで足りていたわけです。
しかし、現在では武士道がほとんどなくなっています。車中で
人に迷惑をかけることに気遣わない人、自分の行動に責任をとら
ない人――そういう人があまりにも多すぎます。
電車に乗るたびに、毎回「車中で携帯電話でのご利用はご遠慮
ください」と呼びかけないといけない国、それでも携帯電話を使
う人、逮捕されても辞職しない国会議員、ウソのラベルを貼って
食品を出荷する大企業、鳥インフルエンザが十分疑われるのに隠
して出荷する業者、それに車中で平気で騒ぐ子供たちとそれを注
意しない親たち、年寄りが立っているのにシルバーシートに平気
で座って席を立たない若者、人前でお化粧する女性など――とて
も武士道精神がある国とは思えないのです。
武士道とは、いつまで経っても普遍的なものをいいます。そう
いうものはたくさんあるはずです。自分がやりたくないけれどさ
れたいと思うことがあります。旅館に行ったとき、相手がきちん
と正座して「いらっしゃませ」と挨拶されることに怒る人はいな
いと思います。お年寄りが若い人から席を譲られたり、横断歩道
を渡るとき手を引いてくれたらうれしいでしょう。そういうもの
は、年月が経過しても普遍なのです。
2500年経っても、『孫子』は今でも有効な方法として、世
界中の多くの人に読まれ続けているのは、その内容が普遍的なも
のであるからです。武士道もそういう普遍的なものなのです。武
士道は、日本人という民族を接着してひとつにまとめる接着剤と
いえます。武士道は「日本の国教と考えよ」という人すらいるの
です。武士道は武士だけが守るものではないのです。
「武士に二言なし」という言葉があります。ドイツにも「リッ
ターボルト」という同じ事を意味する言葉があります。リッター
とは「貴族」、ボルトは「言葉」――つまり、「貴族の言葉」と
いう意味になります。武士も貴族(騎士)も約束に証文はいらな
いという意味です。約束を守って、ウソはつかないという意味で
す。これには、孔子の次の言葉が深く関連します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
至誠は広々として深厚、誠なるものは物の終始なり、誠なけれ
ば物なし ――孔子
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「誠」があってはじめて物事が成り立つという意味です。誠が
あると、意識的に働きかけることなく、自然に目標を達成する力
を持つのです。したがって、人に誠を示すことができれば、あら
ゆることは自然に成り立つといえます。
誠の反対は「嘘」です。武士道では、嘘をつくのは必ずしも悪
いとはいってはいませんが、「臆病」であるとしています。とこ
ろで、臆病の反対は「勇気」ですから、臆病とは「勇気がない」
ということになります。
「勇気がない」とは不名誉なことです。武士道では、不名誉と
いうことが最悪なのです。つまり、約束を破るというのは不名誉
なことなのです。不名誉は死を意味するほど武士道にとっては最
悪であり、だから、武士はいったん約束したことは絶対に実行し
たのです。
ある人と「一杯やる」約束をしたとします。しかし、当日少し
体調が良くなかったとします。その場合、体調の悪さを相手に伝
えて断るかどうかです。断らないという行為は、体調の悪さを隠
す「嘘」に当たりますが、こういう嘘は許されるのです。それは
礼儀を優先させ、相手に迷惑をかけない行為だからです。私なら
よほどのことがない限り、約束は守ります。
しかし、約束をたがえて断るという行為は、不名誉なことであ
り、その修復には大きな時間がかかることになります。
−− [ラストサムライ/08]