外に対し、意図的に隠し始めていたのです。とくに米国から直接
的な金融統制について強い批判があったからです。
ここに1973年の海外向けの日銀の金融政策の説明がありま
す。これを見と、日銀は正統的な中央銀行のルールにしたがって
いることを強調しています。
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窓口指導は、その性格上、市中金利、公開市場操作、預金準備
という正統的な金融政策の補完的なツールである。これはどち
らかというと、金融抑制に使われている。(中略)また、道徳
的説得というかたちであり、金融機関の側の協力が前提である
ことを強調しておかなければならない。
──Bank of Japan(1973)/海外版
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日銀はあらゆる関連印刷物を通して、徐々に金利を主役に押し
上げ、中央銀行の金融政策は、公定歩合とコールレートを操作し
て行われることを強調しはじめていたのです。しかし、これはあ
くまで建前であり、本音は「窓口指導隠し」なのです。
それに加えて日銀は「適切な水準のマネーサプライの重要性」
を強調しはじめたのです。そして、1978年に公式にマネーサ
プライの目標値を導入したのです。リチャード・ヴェルナー氏は
これについて次のように述べています。
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マネーサプライの目標値を導入したほとんどの国は達成に失敗
している。イングランド銀行はさまざまな目標値を設定したが
うまくいかず、結局80年代半ばには完全にあきらめてしまっ
た。ところが、日本銀行は大成功した。きわめて正確に通貨目
標値を達成し、全世界のマネタリストを賛嘆させたのだ。ミル
トン・フリードマンのような国際的なマネタリストは、狂喜し
た。日銀は彼らの信念の生きた証に見えたのだ。当時、日銀の
スタッフはセントラル・バンカーの国際会議で鼻高々だった。
だが、もちろん、彼らの小さな秘密は、彼らの政策はマネタリ
ズムと何の関係もないということだった。窓口指導を通じて信
用創造を正確にコントロールする副産物として、M2+CDの
ような預金量の目標値も達成されたのである。
──リチャード・ヴェルナー著/吉田利子訳
『円の支配者/誰が日本経済を崩壊させたのか』/草思社刊
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この日銀の努力、いや陰謀(?)によって、1980年代のは
じめには、多くのエコノミスト、評論家、官僚たちが、窓口指導
による信用統制の果たす重要性を忘れてしまったのです。日銀の
「窓口指導隠し」が成功したわけです。
ところで、リチャード・ヴェルナー氏は、1967年生まれの
ドイツ人の経済学者です。オックスフォード大学大学院博士課程
を経て、東京大学大学院で経済学を専攻しています。
その後ドイツ銀行証券会社(1989年)、野村総合研究所経
済調査部(1990年)、日本開発銀行設備投資研究所(199
1年)で研究員として実績を積んでいます。日本開発銀行では、
1990年創設の初の「下村フェロー」になっています。
91年〜93年まで、オックスフォード大学の経済統計研究所
の研究員として日本銀行金融研究所および大蔵省財政金融研究所
で研究を重ねています。ちょうど、日本の高度成長の頂点から崩
壊までの時期に日本にいて、多くの日銀職員、日銀営業局の職員
それに民間銀行の日銀担当の銀行員に直撃取材を試みるなどイン
タビューを重ねており、そのうえで2001年5月に『円の支配
者』(草思社)を上梓しているのです。
窓口指導の実態はどのようなものだったのでしょうか。ヴェル
ナー氏は、インタビューした関係者の発言を基にして次のように
それを明らかにしています。
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1980年代の信用統制は非常に効果的だった。日銀職員によ
れば、銀行は設定された枠を超えることはけっしてなかった。
そんなことがあれば、即座に罰がくだったからだ。「もし銀行
が上限を超えたら、次の回の枠が引き下げられる。しかし、そ
のようなことは実際には聞いたことがない。起こらなかったか
らである。窓口指導はきわめて厳格に遵守された」(日銀職員
5)。もっと重大な驚くべき出来事は、1980年代に、銀行
は割り当てられた貸出枠を絶対に使い残さなかったことだ(日
銀担2)。「銀行はつねに貸出枠上限まで貸した。割当枠は、
銀行によって完全に費消されるものと想定されていた。もし、
それを下回ったら、われわれの割当枠は競争相手にくらべて減
らされてしまう。だから完全に使い切ったのだ。それは、食べ
ないといけないお弁当のようなものだ」(日銀担2)。日銀は
窓口指導の枠を上回ったときだけでなく、下回ったときにも同
じ罰を与えた。銀行が2四半期以上、割り当てられた貸出増額
分を消化しない場合にも、その後の貸出枠が減額された。
──リチャード・ヴェルナー著/吉田利子訳
『円の支配者/誰が日本経済を崩壊させたのか』/草思社刊
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1980年代の窓口指導では、日銀に割り当てられた貸し出し
枠は大きすぎると感ずる銀行は多かったのです。1985年以降
になると、「もっと使いなさい」と日銀に迫られることも多く、
不動産などの非生産的投資が急増することになったのです。
それでも使い残しは絶対にできなかったと銀行担当者は発言し
ています。もし、使い残すと、同じような枠を受けているライバ
ル銀行に負けるのではないかと悩み、割当金額の消化のために、
必死になって企業を回って、借りてほしいと説得したものだと告
白しているのです。これなら、日銀が、各銀行に割り当てたマネ
タリーベースは、全額マネーストックになるということがわかり
ます。 ──[新自由主義の正体/69]
≪画像および関連情報≫
●リチャード・ヴェルナー/『円の支配者』書評
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「日銀が日本をデフレから脱却をさせることや、景気回復に
非協力的だ」という見方は、外国人機関投資家の間ではここ
何年か「定説」になっている。大切なカンどころで必ず政策
を間違えるという意味だ。ところがこの本はそのデフレ発生
のバブルの創出まで、実は日銀生え抜きの一握りのプリンス
たちが権力奪取と日本の構造改革を狙った仕掛け」という。
1980年代の前川レポートなどがその戦略の根幹にあり、
省名まで失った大蔵官僚と大量失業を出した国民が犠牲者で
ある。このショッキングな本の筆者ヴェルナー氏は私は11
年前、日債銀顧問のときに知り合った。日銀による金融の量
的供給や株式市場の動向をかなり高い精度で予測するという
分析で、当り屋ストラテジストとして有名だった。そのころ
から同氏は、今回出版された本の内容の相当な部分を主張し
ていた、と記憶する。その後日銀内部からの取材を元にリア
リテイを加えて持論を一冊にまとめたもの。ところで内容だ
が、面白いことはメチャ面白い。前川、佐々木、三重野、速
水、そしていずれ就任するといわれている福井俊彦氏の名ま
で入れてマフィアのコーザ・ノストラみたいな人達で日本を
支配しようとしているという「証拠」が続々と書き込まれて
いる。とくに日銀が、「低金利で十分に景気刺激を行ってき
た」と主張しているが、それはインチキ。中小企業は資金不
足に苦しんでいる」と通貨需要が起きないのでなく、日銀が
阻害しているのだ、と追求するあたりは迫力がある。
http://bit.ly/1sAw5P5
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『円の支配者』の著者/ヴェルナー氏