「信用」を「マネー」と同義語であると考えてみます。マネー
──おカネというと、ほとんどの人は日銀券、つまり紙幣を思い
浮かべます。ところで日本のGDPは約500兆円です。しかし
日銀券(紙幣)は全部合わせても約70兆円しかないのです。つ
まり、GDPの約7分の1でしかないわけです。その差額430
兆円はどこにあるのでしょうか。
それは紙幣の状態で存在しておらず、銀行の帳簿のなかの数字
として存在しているのです。このおカネは民間の普通の銀行が輪
転機を使わずに増やしたものです。この実体のない、得体のしれ
ないおカネのことを「信用貨幣」、単に「信用」というのです。
英語でいえば、「クレジット・マネー」ということになります。
7日のEJに掲載した「信用創造」のメカニズムをもう一度再
現します。
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1.A銀行はX社から1000円の預金を預かる
2.A銀行は預金から900円をY社に貸し出し
3.Y社はZ社に対して900円の支払いをする
4.Z社は受け取った900円をB銀行に預ける
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この結果、預金の総額は1900円になります。もとはX社の
1000円ですから、900円増えたことになります。Y社がA
銀行に対する債務として、返済することを約束したからです。つ
まり、信用が900円創造されたことになります。
これに「準備預金制度」を入れて、中央銀行をからめて説明す
ると、次のようになります。「準備預金制度」というのは、「準
備預金制度に関する法律」(1957年制定)に基づいて、金融
機関に対して、保有する預金の一定割合以上の金額を一定期間の
間に日本銀行の当座預金に預け入れることを義務づける制度のこ
とです。この場合、準備率を10%とします。
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1.中央銀行がA銀行に100万円の資金を供給する。
2.A銀行はこの資金をX社に融資し、X社がB銀行に保有し
ている預金口座に振り込む。
3.B銀行が預かる預金が100万円となり、B銀行は、この
10%にあたる10万円を日銀の当座預金に預け入れる。
4.B銀行は残りの90万円をY社に融資し、Y社がC銀行に
保有している預金口座に振り込む。
5.C銀行が預かる預金が90万円となり、C銀行はこの10
%にあたる9万円を日銀の当座預金に預け入れる。
6.C銀行は残りの81万円をZ社に融資し、Z社がD銀行に
保有している預金口座に振り込む。
7.D銀行が預かる預金が81万円となり、D銀行はこの10
%にあたる8.1 万円を日銀の当座預金に預け入れる。
8.D銀行は・・・・
──ウィキペディア http://bit.ly/ULYWBn
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この後どうなるのかというと、A銀行、B銀行、C銀行、D銀
行・・・という銀行の預かっている預金額の合計は、中央銀行が
が供給した資金100万円の「1/0.1」 、つまり10倍にな
ります。もし、準備率が1%であれば「1/0.01」 100倍
になるのです。つまり、中央銀行はこの準備率を操作することに
よって、市中に流通する資金量を調節することができるのです。
これを「準備率操作」といいます。
中央銀行と一般の市中銀行の違いは、輪転機を回して日銀券を
印刷できるかできないかの違いとして一般的にはとらえられてい
ますが、一般の市中銀行も輪転機こそないものの、融資という手
段によって「信用貨幣」を創造しているのです。
実は、銀行の「信用」を重視する理論は、ジョン・メイナード
・ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』が登場する前
は、経済学の主流であったのです。とくに、ドイツのオーストリ
ア学派の経済学者たちは長年にわたって「信用」量の変動による
景気循環を理論を構築していたのです。
ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター、ルードヴィヒ・フォン
・ミーゼス、フリードリヒ・フォン・ハイエクなどの著名な経済
学者は、いずれも信用論をベースとして経済学を構築しており、
20世紀の初めまでは、経済学の主流であったのです。
なかでも重要なのは、オーストリアの経済学者のフリードリヒ
・ハイエクです。ハイエクの経済学が、あのマーガレット・サッ
チャー元英国首相に影響を与えたことは既に書きましたが、ハイ
エクはウィーンでキャリアを積み重ね、後に米国に移住してシカ
ゴ大学において、ミルトン・フリードマンによるシカゴ学派にも
影響を与えているのです。
それが、いわゆるケインズ革命によって、一挙にパラダイム変
換が起きたのです。もっと正確にいうと、「信用」の分析から財
政政策の議論へのパラダイム変換です。つまり、ケインズによっ
て景気の循環は「信用理論」だけでなく、「期待の形成」や「利
子率」によっても説明されるようになり、いわゆるオーストリア
学派による貨幣的景気循環論は、経済学の主流から外れることに
なるのです。
これについて吉田祐二氏は、次のような非常に興味ある指摘を
しています。これは、リチャード・ヴェルナーも同じ考え方であ
ると思います。
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「ケインズ革命」とは、ひょっとしたら銀行家たちの「信用創
造」のカラクリに煙幕を張る意図があったとみるのは考え過ぎ
であろうか。 ──吉田祐二著
『日銀/円の王権』/学習研究社刊
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──[新自由主義の正体/64]
≪画像および関連情報≫
●フリードリヒ・ハイエクとジョン・メイナード・ケインズ
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ハイエクとケインズのやり取りは有名である。ただし経済政
策の違いによる論争以前に、「理性主義」批判の項で触れた
ようにハイエクは理性主義者ほどではないにしても新自由主
義者としての我の強い価値観を持っていたことから、財政出
動という政治観からも伺えるように慈悲深く温和な性格のケ
インズとはそもそもそりが合わなかった。このためハイエク
の不機嫌な意見はケインズによって寛容に受け止められ自説
に反映させられてしまうといった構図が長く続いたようであ
る。こうした事情をハイエクも薄々把握していたようで、ケ
インズが亡くなった時に、ハイエクはケインズの妻であるリ
ディア夫人に「偉大なご主人のために私は計り知れない賞賛
をうることができました。もし彼がいなかったら、世界中は
もっと貧乏だったでしょう」と賛辞を送っている。しかし、
その後「私はうぬぼれすぎていた。私は2人の論争するエコ
ノミストのうちの一人だと自分自身思っていた。しかし、今
では彼は亡くなって聖人となってしまった。私は、『隷従へ
の道』を出版したので、状況が完全に変わってしまった。そ
して私は自分の名声を大きく損なってしまった」と述べてい
る。 http://bit.ly/1ueiZof
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ハイエクとケインズ