2014年08月06日

●「ジャパンマネーが世界にあふれる」(EJ第3848号)

 昨日のEJで、ニクソン・ショックによって日本は変動相場制
に変更した経緯について述べましたが、日本という国は、こうい
う国にとっての重大事にさいして政治がほとんど機能していない
のです。つまり、政治家や国民の監視の及ばない官僚の世界で物
事が決められているのです。官僚主導は現在でもそうですが、当
時はもっとひどかったのです。
 当時の佐藤栄作首相の『佐藤栄作日記』には、次のようなこと
が書かれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 田中敬大蔵大臣官房総務文書課長がやってきて、土曜日に為替
 をフロート(変動相場制)にする」との申し出に「許す」とあ
 る。どうも事後報告を受けただけで、自ら判断したようにはみ
 えない。しかも「ドルの平衡買いが十一億ドルになったという
 ことで・・・閣議なしとすると万事好都合」とある。
           ──『佐藤栄作日記』/朝日新聞社より
   ──三国陽夫著『黒字亡国/対米黒字が日本経済を殺す』
                      文春新書481
―――――――――――――――――――――――――――――
 これを読むと、これほどの重大事が首相へは事後報告で済まさ
れ、閣議にもかけられていないことがわかります。当時の米国と
しては、輸出制限の要請も円の切り上げ要求も前向きに対応しな
い日本に対し、ニクソン・ショックを機に重要な二者択一を迫っ
たのです。これについて、元経済同友会副代表の三国陽夫氏は自
著で次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニクソン大統領はニクソン・ショックを通じて日本に二者択一
 を迫った。すなわち生産力増大のシステムを変えるか、あるい
 はそれを変えずにアメリカが回したつけを払うか、要するにド
 ルを買い支え続けるかである。日本にすれば、国として二つの
 選択肢が与えられたことになる。ニクソン大統領は、日本がド
 ルを買い支える選択をすることに賭けたのだった。
   ──三国陽夫著『黒字亡国/対米黒字が日本経済を殺す』
                      文春新書481
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについては、2004年に「日米関係の謎」として、EJ
で取り上げています。         http://bit.ly/1oic3B7
 さて、1980年代の日本はどうだったでしょうか。これにつ
いてリチャード・ヴェルナー氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1980年代。先進国における金融の規制緩和と、資本市場の
 自由化の時代である。銀行と証券業に対する規制は緩められ、
 金融部門のカルテルは崩れ、金融機関は厳しい競争にさらされ
 た。ほとんどの先進国は資本の移動に対する制約を撤廃した。
 資本の国際的な移動が激しくなるにつれて、一瞬のうちに莫大
 な資金が国と国、そして種々の金融資産のあいだを移動した。
 (中略)日本の長期資本の流れは、1980年には20億ドル
 以上の入超だったのに、81年には、資本輸出額がほぼ100
 億ドルになった。ところがそれから4年間に日本の資本はなん
 とほぼ7倍も増加し、85年には650億ドルという歴史的な
 額に達した。しかも、つぎの2年で1320億ドルとさらに倍
 増する。87年には、この劇的な資本の潮流は1370億ドル
 と記録を更新し、翌年も1310億ドルの資本が流れ出ていっ
 た。87年、長期資本の純輸出額は、記録的な経常収支黒字の
 さらに2倍近くになっていた。この金融の「津波」は70年代
 のOPECのそれさえ簡単に凌駕した。──リチャード・ヴェ
                   ルナー著/吉田利子訳
  『円の支配者/誰が日本経済を崩壊させたのか』/草思社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このようにジャパンマネーは怒涛のように世界中を襲い、全世
界の金融資産と不動産を買い漁ったのです。米国産業界の記念碑
ともいうべきロックフェラー・センターやコロンビア映画、世界
一美しいといわれるカルフォルニア州のペブル・ビーチ・ゴルフ
場などが日本人の手に落ちたのもこのときのことです。
 これは欧米人にとって、日本は戦争に負けたので、経済的に占
領の仕返しをしようとしてやっていると思わせるのに十分な行為
だったといえます。欧米の経営学のグルたちは、強い危機感を感
じ、日本流の経営テクニックをチェックせよと、全世界の産業界
の指導者に呼びかけたほどだったのです。
 1980年から1990年までの日本による純対外直接投資の
額は、次のようになっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      ≪日本の対外直接投資≫
      1980年 ・・・・  20億ドル
      1985年 ・・・・  60億ドル
      1986年 ・・・・ 140億ドル
      1988年 ・・・・ 340億ドル
      1989年 ・・・・ 450億ドル
      1990年 ・・・・ 460億ドル
―――――――――――――――――――――――――――――
 問題は日本がなぜこんなことができたかです。1970年は日
本の資本の流れは教科書通りです。日本の貿易あるいは経常収支
の黒字額に資本の流れが見合っていたからです。つまり、純輸出
で得たマネーを外国に投資していたことが数字から読み取れたの
です。しかし、1980年代に入ると、長期資本の輸出は経常収
支をはるかに超える規模になっており、次のことがいえます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1980年代の日本は、輸出で得た金で買える、はるかそれ
 以上の資産を外国で買っていたことになる。
―――――――――――――――――――――――――――――
               ──[新自由主義の正体/62]

≪画像および関連情報≫
 ●三国陽夫著『黒字亡国/対米黒字が日本経済を殺す』から
  ―――――――――――――――――――――――――――
  第2次オイルショックの影響が薄れると、経常収支の黒字は
  大きく増えはじめ、黒字を維持するために資本輸出が行われ
  てきた。輸出業者が受け取ったドルを円に交換せず、銀行な
  どの金融機関が肩代わりする。ドルのままアメリカに貸し置
  く、すなわち、資本輸出を続けた。これでどうなるのか。あ
  るイギリスのバンカーにこのことについて訊ねると、さらり
  と言ってのけた。「日本からアメリカへの資本輸出には、2
  つの効果がある。一つは購買力の移転、もう一つはベースマ
  ネー(日銀券と日銀当座預金の合計額を指し、銀行の信用創
  造の基礎、つまりベースとなる通貨)の輸出だ。」とりあえ
  ず、日銀の与信によって日本は失ったベースマネーが回復す
  る。アメリカでは、日本に支払ったカネがそっくり戻り、本
  来失うべきベースマネーが回復する。日本とアメリカではベ
  ースマネーが二重になりアメリカでは過剰流動性が発生し、
  カネがあふれる。経常収支の黒字がデフレの原因というのな
  ら、黒字が拡大しはじめた1980年代からデフレ現象がみ
  られなかったのはなぜか、という疑問が残る。・・・皮肉な
  ことに資本輸出を続けるためには「無駄」な公共投資は不可
  欠だった。国債の大量発行によって財政支出が行われ、じゃ
  ぶじゃぶになった資金の一部が受注から完成の過程で複数の
  建設業者の預金口座に振り込まれる。当面使われることのな
  い預金が増えれば、ドルは支えられる。しかし、国債は価格
  の暴落が危ぶまれるほど膨らみ、バブルの様相を呈したので
  ある。              http://bit.ly/1seUI26
  ―――――――――――――――――――――――――――

三国陽夫著『黒字亡国』.jpg
三国陽夫著『黒字亡国』
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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