2014年07月22日

●「モルガン潰し図るルーズヴェルト」(EJ第3837号)

 これまでの話の流れを簡単にまとめて先に進みます。世界の覇
権国の金融を支配する者がその国の実質的な王であり、いち早く
その王のカウンターパートになった者がその国の実質的な王にな
る──吉田祐二氏はそう考えています。
 かつての世界の覇権国は英国だったのです。その英国で金融を
支配し隠然たる力を誇示していたのは、ロスチャイルド家です。
日本では、松方正義がロスチャイルド家のカウンターパートにな
り、日本の中央銀行である日銀を創設したのです。
 しかし、日露戦争が避けられない事態になって、高橋是清が戦
費の調達の任を負い、ロスチャイルド家に頼ったのですが、ロス
チャイルド家からは色よい返事がもらえなかったのです。しかし
それを引き受けてくれたのが、クーン・ローブ商会を率いていた
ジェイコブ・ヘンリー・シフなのです。
 クーン・ローブ商会は、1850年代にアブラハム・クーンと
ソロモン・ローブの姓を組み合わせてクーン・ローブ商会を設立
したのですが、その後、事業で手を組むと同時に、クーン家の娘
イーダとローブ家のモリスが結婚して一族となったのです。
 その娘であるテレサと結婚したのが、ジェイコブ・ヘンリー・
シフです。シフはロスチャイルド家と親密な関係にあり、一緒に
事業をしていたので、クーン・ローブ商会はロスチャイルドの米
国の出先機関といわれていたのです。
 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、クーン・ローブ
商会は、鉄道を中心に、鉄鋼、生命保険(エクイタブル生命)、
銀行(ナショナル・シテイ銀行)などで企業集団を作り、モルガ
ン商会と並んで権勢を振るったのです。このクーン・ローブ商会
のカウンターパートになったのは高橋是清です。
 クーン・ローブ商会は、1900年にドイツ公債を引き受け、
1904年に高橋の要請にしたがって日本国債を引き受けた頃が
絶頂であり、モルガン商会を完全に抑える存在になったのです。
しかし、ここからモルガン商会が反撃に出るのです。
 モルガン商会は、クーン・ローブ商会と同じような事業をして
いたのです。ジョン・ピアモント・モルガンは、1895年に会
社をモルガン商会として改組し、15の鉄道事業会社を買収し、
再編成したのです。その鉄道資産は合計85億ドルに達し、19
98年の時価で7310億ドル(88兆円)になり、今日のヘッ
ジファンドでさえ足元にもおよばない資産を築いたのです。
 1892年には、発明王エジソンを籠絡してGEを設立し、電
気事業を再編しています。1901年にはカーネギーの鉄鋼会社
を買収し、USスチール社を設立、鉄鋼業を再編しています。さ
らに1907年には、全米の電話を独占するAT&Tを買収し、
1920年に死の商人デュポンと組んでGMを支配しています。
 さらにモルガン商会は、米国の第1国法銀行であるファースト
・ナショナル銀行およびミューチュアル生命を中心にシンジケー
トを組んでいたのです。その後モルガン商会は、クーン・ローブ
商会の支配下にあったエクイタブル生命とニューヨーク生命も傘
下に収めて金融資本を支配下に置いたのです。
 時代は、当時の覇権国であった英国から米国へと覇権が移って
いく過程にあり、それにしたがい、モルガン商会がクーン・ロー
ブ商会を圧倒して、米国の金融資本の支配的な地位を握るように
なったのです。
 そのJ・P・モルガンが1913年に亡くなり、長男のジャッ
ク・モルガンが事業を引き継いだのですが、父ほどの能力はなく
モルガン財閥の実際の采配はモルガン家の大番頭であるトマス・
ラモントが握るようになるのです。このラモントとの知遇を得た
のが井上準之助であり、モルガン商会のカウンターパートになっ
たというわけです。
 その圧倒的なモルガン商会による金融支配を解体させようとし
たのは、1933年に発足したフランクリン・ルーズヴェルト政
権です。実はこの政権を密かにバックアップしていたのは、ロッ
クフェラー財閥なのです。
 世界恐慌直後の政権であり、不況からの脱出がこの政権の最大
の目標だったことはいうまでもないことです。そこで、フランク
リン・ルーズヴェルトは大統領に就任するや、いきなり、銀行を
1週間強制的に閉鎖したのです。
 本来であれば、これは国家による金融統制政策であり、暗いイ
メージになるところですが、これは「バンクホリデイ」と呼ばれ
マイナスのイメージがあまり起きなかったのです。ルーズヴェル
トという政治家はこの手のイメージ戦略に長けていたのです。
 続いて、ルーズヴェルトは金本位制の停止を宣言します。第1
次世界大戦で米国は一時金本位制から離脱していましたが、19
19年に復帰しています。ルーズヴェルトは再び離脱を決意した
のです。新大統領によるこれらの一連の措置は、モルガン商会に
よって青天の霹靂だったのですが、その時点では、ルーズヴェル
トの意図を十分見抜けなかったのです。
 続いてルーズヴェルトの打った手は、「グラス・スティーガル
法/1933年銀行法」の制定です。これは、商業銀行と投資銀
行の業務を分離させる法律であり、カーター・グラス上院議員と
ヘンリー・スティーガル上院議員という2人の議員によって提出
された法案です。
 これは、ロックフェラーによる当時米国の金融資本を支配して
いたモルガン商会への攻撃であることは明らかです。それにして
も、大統領就任直後の銀行の1週間閉鎖、金本位制の停止、グラ
ス・スティーガル法の制定は、事前に相当準備されていたものと
考えられます。
 その作戦の指揮を取ったのは、ロックフェラー2世であると考
えられます。ということは、ルーズヴェルト大統領はロックフェ
ラー2世による傀儡政権である可能性が濃厚なのですが、ルーズ
ヴェルトの伝記などの資料をいくら調べても、それを裏付けるも
のは何も出てこないのです。しかし、意外なところでつながって
いたのです。         ──[新自由主義の正体/51]

≪画像および関連情報≫
 ●J・P・モルガン/井口基成公式ブログより
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  「政治の世界では、何事も偶然に起こるということはない。
  もし何かが起こったならば、それは前もって、そうなるよう
  に謀られていたのだ」──フランクリン・D・ルーズベルト
  第32代米国大統領
  みなさんこんにちは。さて、以下は「エイプリルフール」の
  ネタだと思って欲しい。「タイタニックとJ・P・モルガン
  とFRB」の怪しい関係についてである。「タイタニック」
  や「タイタニック号の最後」などというと、欧米のアングロ
  サクソン人特有の悲劇の中の美談というものの典型になって
  しまう。しかし、これほど陰謀の渦巻いた事件はないのであ
  る。まず一番の怪しいところは、その「タイタニック号」の
  所有者は、かの悪名高い、ジョン・P・モルガン(モルガン
  銀行の創始者)であったということである。もちろん、いわ
  ゆる偽ユダヤ人である。次に怪しいのがテスラのスポンサー
  であったこと。そして、最終的にテスラの研究所を焼き払い
  テスラをお払い箱にしたこと。最後に怪しいのが、このモル
  ガンが「連邦準備制度/FRB」という民間会社の設立に一
  番の重要人物であったこと。要するに、後に第1次世界大戦
  (1914年〜1918年)を起こさせ、それによるアメリ
  カの負債を、アメリカを工業化させることによって、永遠に
  イギリスに利子を支払わせ続ける仕組みを作ったということ
  である。             http://bit.ly/1jI99tV
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ジョン・ピアモント・モルガン.jpg
ジョン・ピアモント・モルガン
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
<<記事とは直接関係ありません。ウクライナでの航空機墜落の件で>>


平野さん初めまして。はじめてコメントさせて頂きます。
ツイッターにて、今回のウクライナでの墜落事件の話を呟かれていたので、リンクを貼らせて頂きます。

http://reptilianisreal.blogspot.jp/2014/07/777.html?m=1

既にお読みでしたらすみません。勝手なお節介ですが、こうした情報・見解もあるという事をお知らせしたく、書かせて頂きました。失礼致します。
Posted by T at 2014年07月22日 19:34
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