2014年07月18日

●「池田成彬とロックフェラーの関係」(EJ第3836号)

 井上準之助と高橋是清が相次いで暗殺された後の日本の金融の
担い手は池田茂彬という人物です。高橋と井上が日銀を中心とす
る正統の王権の継承者であるのに対して、池田成彬は三井財閥で
実権を握っていた傍流であるといえます。しかし、池田成彬も日
銀総裁と蔵相を経験しているのです。
 池田の名前は「成彬(しげあき)」ですが、「せいひん」とも
読めます。池田は三井財閥の番頭として、財閥の富を増やすため
に辣腕を振るいましたが、自分が私腹をこやすことは一切やらな
かったといわれており、自ら「せいひん/清貧」と自分の名前を
呼んでいたといいます。
 池田成彬は、当時の予備校に当たる英学塾進文学舎で学び、慶
応義塾別科に入学しています。英学舎では小説家の坪内逍遥や高
橋是清などが講師を務めていたといいます。
 池田は別科を卒業すると、24歳のときに理財科(後の経済学
部)に入学し、理財科の代表としてハーバード大学に留学してい
ます。当時いわゆる「洋行帰り」は多くいたのですが、ハーバー
ド大学のような名門大学をきちんと卒業する人材は非常に少ない
なかで、池田は5年後に卒業して帰国しています。
 池田は、マサチューセッツ工科大学を卒業して、東京帝国大学
(東京大学)の助教授を経て三井社に引き抜かれ、重役になった
団琢磨の要請で、三井銀行に入社するのです。そして、三井財閥
の基礎を作った中上川彦次郎の娘と結婚しています。
 中上川彦次郎は福沢諭吉の甥で、彼が慶応義塾から募った人材
には、当時の日本の一流企業のトップを務めた凄い人材が揃って
いたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    藤原銀次郎 ・・・・・ 王子製紙
    藤山 雷太 ・・・・・ 芝浦製作所(東芝)
    武藤 山治 ・・・・・ 鐘紡
    小林 一三 ・・・・・ 阪急グループ
    松永安左衛門 ・・・・ 電力の鬼
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 池田成彬は三井銀行で順調に出世するのですが、その評判を一
挙に落したのは、「池田のドル買い」と呼ばれる事件です。それ
は1930年に当時の井上準之助蔵相が実施した金本位制への復
帰です。このとき井上は、実勢が「100円=38ドル」であっ
たののに、日本が金本位制を採用した1897年当時の「100
円=50ドル」平価に戻して金本位制に復帰したのです。
 これを見た池田成彬は、この平価は無理が祟って長続きはせず
38ドルレベルに戻ると判断したのです。それなら、円が高いう
ちに売って、ドルを買うべきと考えて実行したのです。もちろん
三井銀行だけではなく、財閥系の銀行・企業はこの円売り、ドル
買いに狂奔したのです。これは当然世間から大きな非難を浴びた
のですが、その主犯格が三井財閥であり、主導者が池田成彬であ
ると見られていたのです。
 これによって円は売り浴びせられ、ドルは高騰したのです。も
ちろん日本政府は防御したのですが、防ぎ切れず、これによって
旧平価での金解禁は破綻したのです。
 この「ドル買い」事件によって池田のところへは脅迫状まがい
の手紙が届くようになったのですが、事件に関して池田は沈黙を
守ったままであったのです。しかし、後に刊行された池田の「回
顧録」によると、当時三井は円金利が下がっていたので、金利の
高い英国のポンドに投資しており、そのために円を売ってドルを
購入したといっているのです。ポンドを購入するにはドルが必要
であったからです。
 しかし、これは本当ではないと思われます。当時「時事新報」
が報道した記事によると、ドルを買っていたのは次の銀行や企業
だったからです。
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  ナショナル・シティ銀行 ・・・・ 2億7300万円
         住友銀行 ・・・・   6400万円
         三井銀行 ・・・・   5600万円
         三菱銀行 ・・・・   5300万円
       香港上海銀行 ・・・・   4000万円
       三井物産会社 ・・・・   4000万円
         朝鮮銀行 ・・・・   3400万円
       三井信託会社 ・・・・   1300万円
          その他 ・・・・ 1億8700万円
                      ──吉田祐二著
             『日銀/円の王権』/学習研究社刊
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 巨額のドル買いをしていたのはナショナル・シティ銀行ですが
この銀行はロックフェラー系財閥銀行なのです。それに日本が金
本位制に復帰する直前の1929年に、ロックフェラー財団やカ
ーネギー平和財団が主宰する「太平洋問題調査会」が京都で開催
されており、ロックフェラー3世自らが来日していたのです。
 この会議と日本の金本位制復帰が何らかの関係があるのではな
いかといわれているのです。当時英米では、財政を緊縮にして軍
縮をはかるという動きがあり、平和実現を謳う太平洋問題調査会
において日本に対して金本位制復帰を迫る何らかのプレッシャー
があったとも考えられるのです。
 このように考えると、ナショナル・シティ銀行のドル買いは、
あらかじめ仕組まれていたものといえます。池田は欧米の事情に
通じており、この頃すでにロックフェラー財団の人物との交流を
深めていたのです。
 なお、池田成彬は、井上準之助が日銀の支店長時代から良好な
付き合いをしており、井上は欧米事情に詳しい池田の意見をよく
聞いていたといいます。金本位制に復帰するタイミングについて
も井上は池田に相談していたことが、池田の「回顧録」に残って
いるのです。         ──[新自由主義の正体/50]

≪画像および関連情報≫
 ●池田成彬と自助の精神/ギッコンガッタン
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  慶應義塾がまだ出来たばかりの頃、池田成彬という学生がい
  ました。ある宣教師が、「奨学金をつけてあげるから」と米
  国ハーバード大学への留学をすすめました。喜んで行ってみ
  ると、いきなり「支給する奨学金は無い。まず一年間勉強し
  て良い成績をとってからだ」というので、池田は途端に苦学
  生になってしまいました。学生食堂で、友人達が食事をして
  いるのに給仕をしたり、先生のために、図書館へ行って本を
  取って来たり、スクールボーイとしての毎日を送っていまし
  た。帰国する金もなく、貧乏のどん底生活をしていると、見
  るに見かねて、援助をしようというアメリカ人が現れたので
  す。けれど池田は、飛びつきませんでした。明治時代の日本
  人は、根性があったのです。池田「なぜ、自分に金をくれる
  のか」、アメリカ人「貧乏で見ていられないからだ」、池田
  「それでは困る。頭が良いからだ、と言ってくれ」、アメリ
  カ人「それはまだ分らない。一年たって試験の成績を見なく
  ては言えない」。池田は「貧乏が理由で他人から金をもらっ
  ては物乞いになる。自分は、米沢藩の家老の息子で、もとは
  といえば武士である」と、奨学金を断り、結局、日本へ帰っ
  てきました。福沢諭吉塾長にその旨を報告すると、福沢は、
  「それでは慶應で奨学金を出すからここの卒業生になりなさ
  い」と笑って言ってくれました。池田成彬は、卒業後、三井
  銀行に入って常務になり、やがて三井合名という持ち株会社
  の理事になり、昭和12年には日銀総裁、13年には大蔵大
  臣にも成ったのですから男です。その根性と気位の高さと頭
  の良さは、伊達ではなかったのです。
                   http://amba.to/UdamO3
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池田成彬元日銀総裁 .jpg
池田 成彬元日銀総裁
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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