2014年07月17日

●「中央銀行に君臨する者が王である」(EJ第3835号)

 吉田祐二氏によると、現代社会は明らかに金融を中心に動いて
おり、その金融を支配できるのは、銀行の銀行たる中央銀行であ
るというのです。それでは、国において本当の意味で実質的な権
力を持っているのは誰か──これについて、吉田氏は次のように
答えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 それならば本当に実力を持った人物とは誰か?
 その間いに答えるため、逆に「権力を持つ者とはどのような者
 か」と考えてみよう。それは、お金あるいは経済を支配できる
 者のことであろう。これまで、筆者は「経済を支配できる者と
 は、銀行とくに中央銀行である」と論じてきた。中央銀行こそ
 は、マネーの量を調節し、一国の景気を良くも、悪くもできる
 機関である。したがって、中央銀行に君臨する者こそ、本当の
 実力者なのである。            ──吉田祐二著
             『日銀/円の王権』/学習研究社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 一国の正当的な権力者は、政府の首長である総理大臣というこ
とになりますが、総理大臣が実質的な権力を持っているわけでは
ないのです。上記の吉田氏のいう「中央銀行に君臨する者こそ本
当の実力者なのである」に注目すべきです。
 中央銀行に君臨できる者とは誰でしょうか。
 それは日本でいえば日銀総裁です。それは真の「王権」といえ
ます。ここまで、日銀が創設された明治期から昭和期までの王権
の系譜をたどりつつありますが、そのもうひとつ上には、その王
を支配する存在があるのです。それは、覇権国の実力者であり、
各国の中央銀行の総裁は、その実力者のカウンターパートである
ことが求められるのです。
 ここまで述べてきたことでいえば、松方正義や高橋是清はロス
チャイルドやクーン・ローブのカウンターパートであったし、井
上準之助は、モルガン商会のそれであったのです。この世界を支
配しているのは限られた一部の富豪なのです。吉田氏は彼らのこ
とを「皇帝」と呼んでいます。彼らは、深く各国の中央銀行に関
わり、巨額の利益を手にしているのです。
 「そんなのは陰謀史観である」という人もいるでしょうが、戦
前、戦後の金融の歴史をていねいにたどってみると、そう簡単に
は否定できなくなります。世の中とはそういうものであるという
ことがわかってきます。
 その世界の覇権国の実力者の間にも激しい争いがあって、時代
とともに実力者が変遷することは、ここまで見てきたことでわか
ると思います。これについて、吉田祐二氏は、本当の歴史のとら
え方について、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本国内だけの歴史を考えていては本当のことは分からない。
 ゆえに、世界覇権国におけるマネーの実力者が誰なのかを把握
 し、それによって日本におけるカウンターパートは誰なのかを
 それぞれ考察することによって、本当の歴史の姿がわれわれの
 前に現われてくるのである。このような視点によって日本の近
 代史を眺めたものは、これまでほとんどないのではないか。
                ──吉田祐二著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 高橋是清と井上準之助のことについて、もう少し述べることに
します。2人の経済政策が正反対だからです。それは金本位制を
めぐっての意見の対立であったのです。
 井上が蔵相のとき、日本は金本位制から離脱していたのです。
日本が金本位制を取り入れたのは1897年の松方内閣のときで
すが、1914年に第1次世界大戦がはじまると、欧州諸国は金
の輸出を禁止し、金本位制から離脱したのです。どの国も非常時
には金を貯め込もうとするからです。日本も1917年に金本位
制から離脱しています。
 しかし、井上準之助は、金本位制への復帰を何とか実現させよ
うと考えていたのです。したがって、井上は浜口内閣の蔵相にな
るとその実施を決断します。1929年のことです。これについ
ては、昨日のEJで述べた通りです。
 井上の背中を押したのは国民だったのです。井上は、日本には
徹底した構造改革が必要であると考えており、国民もこれを熱狂
的に支持していたからです。ちょうど小泉構造改革のさいの日本
と同じような雰囲気だったのです。井上は今でいう新自由主義的
政策を取ろうとしたのです。
 しかし、当時の日本は金の保有量が乏しく、金本位制に戻せば
かなり貨幣量を抑制しなければならなくなります。まして平価設
定の関係で円高にしたので、当然経済はデフレになります。井上
はそれをよしとしたのです。なぜなら、井上は生産性の低い企業
をなくすためにもそれが必要であると考えたからです。
 ところが井上が実際に構造改革路線を押し進めると、失業率は
10%を超えるようになり、デフレが極度に深刻化したのです。
ちょうどそのとき米国の金融大恐慌が起こり、井上の経済政策は
日本経済に致命的なダメージを与えていったわけです。さすがに
国民も、このデフレには我慢ができなくなり、政策転換を求める
声が広がったのです。
 政権交代が起こり、蔵相に復帰した高橋是清は、直ちに金本位
制を停止し、大胆な積極財政への転換を図るとともに、これに必
要となる資金を日銀引き受けの国債発行でまかなう方針に切り替
えたのです。現在の黒田日銀総裁と同じような政策ですが、当時
は大蔵省が日銀をコントロールできたのです。
 この高橋の政策は現在では「ケインズ政策」と呼ばれますが、
高橋がこの政策を実施したのは、1932年のことであり、その
ときは「ケインズ政策」などなかったのです。ケインズが「雇用
・利子および貨幣の一般理論」を発表したのは、1936年のこ
とであり、そのように考えると、高橋是清が蔵相としていかに優
れていたかがわかります。   ──[新自由主義の正体/49]

≪画像および関連情報≫
 ●「今こそ高橋是清から学べ!」/朝香豊氏
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  高橋是清が行ってきたことを、ここで一度まとめてみましょ
  う。高橋は、まず@半値になるほどの大幅な円安を容認しま
  した。そしてAすさまじいレベルでの国債の買いオペも行い
  ました。しかしそれではまだデフレからは脱却できませんで
  した。もっと強烈な手を打つ必要を感じた高橋は、B財政を
  思い切って拡大することを追加決定し、Cこの資金を国債で
  賄う方針を立て、そしてDこれを日銀に直接引き受けさせる
  という大胆な方針を示したのです。そして、Eこうした思い
  切った手段を次々に実施していくことが、国民や企業の心理
  面でも大きな効果を上げ、デフレ脱却の実現につながったわ
  けです。高橋是清から私たちは何を学べるでしょうか。実は
  高橋が大蔵大臣として登場する前の10年間は、不況が続い
  た10年間でした。戦前版の「失われた10年」と言ってよ
  いようなものでした。この失われた10年は、第一世界大戦
  の大戦景気の反動から不況に転落したことから始まったもの
  です。そこに追撃を食らわせたのが関東大震災です。多くの
  工場・商店が崩壊し、企業間での貸し借りの決済がつかなく
  なりました。こうした不良債権の存在が経済の重しとなると
  いうことがその後もずっと後を引いたと考えて下さい。そし
  てそんな時に「こんな長期低迷を抜け出すには構造改革しか
  ない!」という感じで井上準之助が登場し、とにかく現状か
  ら脱却したいと思う国民から熱狂的な支持を受けたのです。
  小泉構造改革の頃と、本当によく似ていますね。
                  http://amba.to/1kZ2pTu
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高橋是清元大蔵大臣.jpg
高橋 是清元大蔵大臣
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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